多分そうだろうと思います。
多分そうだろうと思います。
はいそうです。
吾妻さんという人が主でありまして、もう一人何とかいいますか知りませんが、吾妻さんのもう一つ上の人が大体において連続出られまして、ほかの係の人が時折代理に出ておられました。その吾妻さんは毎日ずつと連続出ておられます。
その後です。
これが終りましたのはごく最近ですから……。
着手もそれと同時にやりました。
そうそうあれは昨年の十月かその見当じやないかと思いますが、あるいは十一月になつておつたかしれません。
終つたのはついこの間です。
はい正月です。
はい。
同一でありました。
違つたものではありませんでした。
はい。
評価いたしました。
数字ですか。それは私は知りません。個々のものは評価をいたしましたけれども……。
はい。
占領当時の価格は昭和二十一年六月付というので、私は向うに格付の評価価格を出しまして、それでよろしいというのでやつたはずなんです。そのやつたのはわれわれがAAの、たとえば何ミリメーター・サイズのものは幾ら、こういうふうにそう格付はきまつておりました。それを今の二人の西洋人が持つておつて、帰りまぎわに全部のものを評価したのか、あるいは向うの事務的の関係の人がそれに当てはめて評価して行つたのかどうか、それは存じません。昭和二十一年のものはそのときの評価になつておるはずです。そのときにはちようど昭和二十一年の十一月にニツポン・タイムスに発表いたしまして、ダイヤモンド二十五万カラツト、代金米貨ドル二千四百七十万というような何に進駐軍の方では発
その数字は私は存じません。
それはニツポン・タイムスに発表いたしましたから、偶然にそれを読んだわけであります。
その格付というのが、いざそれを処分するとか、売買するときには、売手、買手で変動もありましようけれども、とにかく一九四六年の八月、いろいろ検討し、同時にそのときに二人の西洋人にも来てもらつて、それをこしらえ上げたのですが、その値段はあまりその当時とかわつておりません。