これは総論としてそういうことが言えるのかどうなのかということはかなり検証しないと私はいけないと思いますが、指摘があったという事実はやはり受け止めて、どこに、各教育現場のどこにそういう事実が現れているのか、そしてそれが現れているんであれば、そこを埋めていかなければ我々はいけないわけですから、そのことを荒唐無稽だとかどうだとか思っているわけではありません。それは大切なものとして受け止めているということです。
これは総論としてそういうことが言えるのかどうなのかということはかなり検証しないと私はいけないと思いますが、指摘があったという事実はやはり受け止めて、どこに、各教育現場のどこにそういう事実が現れているのか、そしてそれが現れているんであれば、そこを埋めていかなければ我々はいけないわけですから、そのことを荒唐無稽だとかどうだとか思っているわけではありません。それは大切なものとして受け止めているということです。
国連の勧告どおりの現実があるとすればいじめに影響が全くないとは私言えないと思いますが、いじめは何も学校に限ったことじゃありませんよ、現在起こっているいじめは。各社会のどこにでもあるわけですね。そして、それの学校現場のことについては我々が逃げずにそれに対応していかねばならないということです。したがって、やはりこれは豊穣の中の精神の貧困というのか、現在の病理、社会的な病理の現れだと私はいじめの問題はとらえております。 特に児童でいえば、少子化が進んで、都市化が進んで、共働きになっておりますから核家族がほとんどの家庭では当たり前になって、同時に、家族が親、父親、母親を含めて家族の対話をする時間が共働きですから非常に少なくなっている。同
我々の法治国家においてもいろいろ違法行為、あるいは違法行為じゃないけれども社会規範に反する行為をする人はたくさんおりますね。これをどういうふうに、防圧というのか、止めることによって、社会の秩序を守って全体の公益を維持していくかというのはやっぱり二つの方法がありますよね。一つは、教育や何かを充実をしながら、恥ずかしいことをしない。そして、犯罪を犯した人はもう一度社会復帰ができるように矯正をしていくと。しかし同時に、一方において厳しく、これは法律違反をした者については警察権力、検察、裁判というペナルティーを科しながら取り締まっていく。これで近代国家が維持されている。 私は、いじめの問題についても同じだと思うんですよ。ですから、すべて
先生のお立場で、先生の価値観でそのような判断を下されるということについては、私は別に反論するつもりはありません。 私の価値観はちょっと違うと思いますね。これは、やはりその人の持っている教育の在り方、特に国民負担を投入してやっている公教育、義務教育において、どこまでその、何というんでしょうか、評価というものを前提に国民の納得を得ていくかということはやっぱり考えなければならないわけで、これはもうイズムの違い、価値観の違いでしょうから、先生のおっしゃっていることに対して私は反論するつもりはありません。
これは、もう既に、先ほどもう御答弁を申し上げたように、この調査の数字は、単に教育委員会が、あるいは学校当局がいじめと認識したものを出すんじゃなくて、児童から訴えがあったものは必ずいじめとして出してくださいと、そしていじめが少ないのがいい学校ではなく、いじめをいかに処理したかということが、うまく処理したかということが多い学校がいい学校だということは、文科省は既に再三通知をしておるわけなんですよ。ただ、それが十分行き届いていなかったということです。それは、私もここへ来てみて、なるほど、これはもっともっと口が酸っぱくなるほど言わにゃいかぬことだよということを言っているわけですね。 そして、先生は、強大な権限を持っていて逆らえないという
これは、もう私なんかよりはるかに文教政策に精通しておられる先生に申し上げるのもなんですが、教員免許法の附則第二条の免許外の許可を取っていない限り、そういう授業をすることは、これは禁止されているわけですから、明らかに違法行為でございます。ですから、そういう事実があれば法律の所管省として、それは厳正に処分、処分というか対処をするということ。ただ、対処をするときにこれはまた教育委員会にお話をしなくちゃいけないという筋道がありますので、大変まだるっこいところもあるわけですが、先生の御指摘のような事実がありましたら、それは法違反として処理をしなければならないと思います。
役員がですね。
先輩の貴重な御意見として受け止めさせていただきます。
これはもうここで何度も何度も出ている議論ですが、指導要領はやはり守っていただかなければ全国共通の学力あるいは規範意識というものを担保できませんから、これはもう我々としては当然守っていただくものだし、また、守っていただけるように仕組みをつくらねばいけない問題だと思います。(発言する者あり)
いずれ、先ほど来もいろいろ議論が出ておりますが、国際機関からの勧告というのも一つの意見ですし、国民がどのようにお考えになっているかというのも一つの意見ですし、特に民意の集約の場である、一番大切な集約の場である国会でのいろいろな先生の御質問の内容、こういうものを考えて、やはり時代に合う、しかし必要なことはきちっとやれる学習指導要領に見直しをしていかなければならないと思いますし、これは不断に見直しをしていかなければならないんです。 ただ、子供の立場がありますので、一年生、二年生、三年生と段階を追って、特に小学校五年、六年と行きますから、途中でひょこひょこ変えるわけにはいきませんから、このことは十分念頭に置きながら、先生のお考えも受け
教育の目的、理想の日本人像というのはやはり、何度も申し上げていますように、その人の価値観、その人の人生観によって随分違いますので、教育論というのはだれでもできるんですね。それだけになかなか結論が出しにくい分野だと思いますが、今多くの方々から言われているのは先生が今御指摘になった基礎学力ですね、これがやはりだんだん日本の場合は低下してきていると。数学と化学、これはOECDの調査で見ましてもまだベストファイブに入っております、世界各国の。ところが、残念なのは、自国語の表現力、読解力、これはもう極端に落ちてきていて、OECDの調査でも真ん中辺りということです。 ですから、なぜこういうことが起こったのかというのは、一つは、やはりプラグマ
PTAといいますか、地域の学校協議会といいますか、こういうものはもう学校教育の中で必須のものなんですね。今回、家庭教育ということを入れたのは立派なことじゃなくて、私は非常にむしろ残念なことだと思っているわけです。 昭和二十二年の法制定のころは、これは当たり前のことであったわけですね。ところが、核家族化と共働きが進んできて、家庭での、先生がおっしゃった基本的なしつけというものが今非常に難しくなっております。どうしてもやっぱり家庭を教育の原点と位置付けて、学力よりもむしろ規範と生活習慣を教える、これが一番大切なことなんですね。ですから、それをわざわざ明記しなくちゃいけない現実であるということです。 しかし、共働きを否定したら、も
率直に言いますと、それは先生のような立派な方だからおできになるんですよ。普通のやはり子供とのコミュニケーションというのは、やはり生まれた子供を抱いてやる、そして何も教育水準は高くないけれども、子供に乳房を含ませてやる、そして父親は時には厳しく子供をしかる、母親が、いや、そこまで言わなくてもと言ってなだめてやる、そういう中から人間というのはできてくるんだと思うんですね。 ですから、どう育てようかという意識を持って本来やるものではありませんので、私の感じではやっぱりある程度の時間を、家族としての時間をつくって、共働きがいけないなんて私一言も言ってないんですよ。ですから、できれば家族が一緒におれる時間を長く取れるようなひとつ社会の仕組
ちょっとこういう表現はいけないかも分かりませんが、経済界というのは基本的にはやはり市場原理で動いている世界ですから、損益計算書を一番大きくするために頑張っておられるという感覚だけで動いておられる経営者もおられますし、いや、損益計算書の利潤を超えた価値が発揮できる企業としてブライトネスを表示できるんだという経営者もおられるわけです。 ですから、どういう人を採れっていったって、これはもう向こう側にその採用権があるわけですから、私は、むしろ大学の教育の在り方、それから高等学校の習熟度の検証の仕方、それがつまり大学にどういう形で入っていくか、そして大学をどういう形の能力を持っている人を出すのかということを考えた方が現実的じゃないかと思う
今教育をめぐって先生がおっしゃったバウチャー制度、それから学校選択制、教員の免許制、それから学校の内部評価、外部評価ということは言われますね。これすべてその市場メカニズムを通じてか、あるいは外部のランク付けを通じてか、ともかく学校を評価していくということを言っているわけですよ。これはなぜこういうことを世論がこのバウチャー以外にもいろいろな評価のことを持ち出してきているかということは、私はやっぱり重く関係者みんなが受け止めなければならないと思います。 その上で、私は重く受け止めた上で、市場原理というものは教育には余り適当じゃないと私は思っております。ただし、効率化という意識を失ってもらっては困るということですね。最小限の税金で最大
私は、もう二十年来ボランティアとして京都の身体障害者団体連合会の会長をしておりますが、したがって、かなり障害を持っておられる方の実態は知っているつもりですけれども、現実はなかなかそうきれい事のようにうまくいっていない、これは私もよく存じております。 一番大切なのは、やはり先生がおっしゃったインクルーシブな形でやるのがこれはもう理想なんですよね。ただ、一般の人たちの教育に掛けているお金とその効率を考えて、どちらかというと障害者は、私が障害者の会長をしているからというわけじゃないですが、まあ同じ人間としては犠牲になっているわけですよ、ハンディキャップがあるから。ですから、将来の姿としては先生のおっしゃったような形が理想だと思いますが
京都は、先生おっしゃったように、私が障害者の会長もしておりまして、るるお話をして、単に教育委員会だけじゃなくて、公的な機関はかなりこのことへ配慮した採用をしていると思います。 今おっしゃったように、教育委員会の職員は大部分が教員でございますので、教員免許を持っておりますので、まあ先生が御指摘になったようなことはあるんだと思いますが、ハンディを持っている人も教育免許が取りにくいというようなことがあってはいけませんし、あとは、やはり遵法精神をどこまで維持しながら工夫をしていただくかという、やっぱりこのつかさつかさにいる人の感性なんですね。だから、そのことは私どもからも、また各教育委員会や各学校に先生のような御意見があるということをお
今先生が御指摘になりました群発自殺ですか、連鎖反応が起こるということは、心理学者の方々もそういう説をお持ちの方が非常に多い。私も、直接何人かの方とお話をして、その御注意はいただいております。 今回、今正に先生が御質問いただいたことに対して、私の判断を迫られたことが二つございます。これは御参考に申し上げたいと思いますが、一番目は自殺予告が来たときでございます。これを公表すれば群発自殺予告が起こるんではないかということを大変心配をいたしました。しかし、同時に、これが、その文面が、水曜日までに何も起こらなければ土曜日に自殺するという文面だったんですね。ですから、もし本当の文面であれば、これを私あてに来たものを私が群発自殺予告を恐れて手
このことはどこまで申し上げていいか私も迷いますが、今総理のお名前が出ましたので率直にお話をしておきたいと思いますが、私がアピールをいたします際に、総理のお名前で出した方がいいのか、私たちの、安倍総理と私の連名で出した方がいいのか、私の名前で出した方がいいのか、安倍総理とも率直に御相談を申し上げました。 ただ、これは、今大切なこの教育基本法の法案を抱えておりまして、いろいろ来ている手紙を見ましても、いろんな意図があって書かれている手紙が実はあるんです。愉快犯であれば、アピールをしたりしたものは結果的にだまされたということになりますからね。一国の総理をだまされた対象にするわけにはいきません。私もいろいろ安倍総理と御判断して、そして安
先生の御理解のとおりだと思います。そして、憲法はやはり国の最高法規でございますので、私たちが与党案を踏まえて政府案を作成する段階で、現行憲法はもちろんのことでございますが、自民党が作っております憲法草案との整合性も一応チェックをして、そしてこの法案、教育基本法の法案を提出してございますが、万々一ですね、将来国会で御議決があって国民投票に付された新憲法と、現在提出しております教育基本法が御可決いただいたとした場合、その間にそごがあるということであれば、これは基本法を直さなければならないというのは法理論上当然のことでございますし、民主党さんもやはり同じように現行憲法とそれから民主党の草案とのチェックをして現在の対案をお出しになっていると