愛国心条項とおっしゃいましたが、それは先生の規定であって、我々は愛国心条項というものは設けておりません。 ただ、先ほど来お話がありましたように、日本の歴史、文化をとうとんでいくような気持ちを養う、事実関係を的確に教えるということを記述しているわけです。
愛国心条項とおっしゃいましたが、それは先生の規定であって、我々は愛国心条項というものは設けておりません。 ただ、先ほど来お話がありましたように、日本の歴史、文化をとうとんでいくような気持ちを養う、事実関係を的確に教えるということを記述しているわけです。
いじめというのは、学校だけではなくて、集団のところで人間が主役である限りは起こりがちのものでございますけれども、特に教育の場でこれが起こり、そして未来を持っている子供の命が結果的にそれで損なわれるということは、本当に悲しいし、ゆゆしい問題だと重大に受けとめております。 そこで、今先生がおっしゃったように、我々内閣が提出しているこの基本法は、先生が今御指摘になったように命のとうとさ、その他のことについて記述しておりますが、一番大切なことは、やはり、日本人が築き上げてきた法律を超える、法律よりもっと強い規範の意識をみんなが共有できるような教育の基本をまずつくりたい。そして、今の教育基本法も、これはどこへ持っていっても私は恥ずかしくな
先生がおっしゃっているとおりだと思います。 それで、今回の教育基本法では国と地方とが分担をしてと書いてございますが、それを受けて、教育委員会を置きながらこれを強化していくのか、民主党案のように、漸進的に教育委員会を廃止して、そして地方自治体の長にその権限を渡していくのか、教育委員会を強化する場合に国がどの程度関与するのか、これは立法政策としては教育基本法にまで書き込むことではないと我々は判断しているわけです。これは、まず教育基本法が通れば、それを受けて教育委員会の法律その他の改正をいずれ立法府の御審議にゆだねたいと思っております。その中で考えていきたいと思います。 この際に、やはり余り強くすると、教育への国家介入じゃないかと
スクールカウンセラーを充実していくという方向は、私は先生と全く同じでございます。 国家資格の問題については、これは御承知だと思いますが、学校現場でスクールカウンセラーのような役割を果たしている方と、ドクターとの関係がこれは非常に微妙で、医療の分野で活躍しておられる方とがおられまして、その辺の意見がなかなか率直なところ合わないわけなんですね。 ですから、これは厚生労働省と文部科学省とで少しその辺をすり合わせて、国家資格の問題も検討させていただきたいと思います。
まず、中川先生が、こういうことを二度と起こさないこと、そのために真実をしっかりと把握して、そして将来の同じようなことが起こらないための参考にもしなければならない。これがあればあるいは福岡の事案がなかったかも分からないと。私は、先生の御努力、そして御調査にまず敬意を表したいと思います。 そして、亡くなられた子供さんが、まあ随分社会状況が変わっておりますから、従来でございますと、いじめがあった場合には御家庭で訴える人がまずいると、あるいは地域社会の中でだれかがくるんでやる人がいると。もちろん学校にもそういう人がいる。それが、そういう人たちが見付けられないまま苦しんでいた子供の心情を考えると本当に気の毒だと、哀れだという気持ちがいたし
まず、昨日再生会議がございましたが、これはいじめのための会議ではありませんでした、事実関係だけを申しますと。ただ、その中でいじめについて何人かの方が御発言になったという事実はございます。 それから、再生会議の事務局長をしておられる総理補佐官の山谷さんが、我々が派遣をいたしました小渕政務官に遅れてジョインをして、そして福岡の関係者の皆さんに、これも先ほど申し上げたように残念なことですが、教育委員会を同席させ、教育委員会を通じて事情を聞かれたということです。 やはり、再生会議は、なぜこれをつくるに至ったかということは、教育にやっぱり携わっている者がみんな、特に文科省も従来の考え方だけでいいのかということは、やはり真剣に受け止めね
昔から、大仁田先生もそうだと思いますが、私も、今から思うと、ああいう、あれはいじめられていたのかなとか、こういうことでいじめたなとかというのがあるんですが、このごろのいじめというのはやっぱり救いがないんですね。従来は、いじめられていてもだれかが必ず話し掛けてくれるとか、一緒に餓鬼大将みたいな人間だけはかばってくれるとかということが昔はありましたが、このごろは一方的に、もうほとんどの人が集団的に一人の子供をいじめると。 ですから、今先生がおっしゃったように、自分より弱い者に対して一方的にということになりますと、一対一、あるいは二対一ぐらいで弱い者をいじめている場合はこの定義に当てはまらないとか、そういうことは当然出てくるから、先生
委員長、いいんですか。
私からお答えを申し上げます。 まず、先ほど中川先生の御質問の最後にお答えしたように、国の持っている調査権がどこまで及ぶかという、やはり法治国家ですから、法律の範囲内で、我々は、しか行動できないんです。ですから、学校がやった調査を一元的に管理しているのは当該町の教育委員会です。プライバシーの問題その他があるでしょう。だから、できるだけ我々は、委員長のお裁きで必要があるということであれば町の教育委員会に出せるかどうかを尋ねてみますが、国家管理の教育は現時点では許されておりませんので、我々が強制的にこれを出させるということは法制上できません。
昨日からこの報道が一斉に行われまして、私の感じをお尋ねでございますので率直に申し上げたいと思います。 まず、高等学校の教育は何のために行われているかということをみんなでもう一度確認をしないといけないと思います。 中学校、高等学校を通じて、一応、日本の歴史を中学校で、そして世界の歴史を高等学校でという、それに地理を組み合わせて学習指導要領を作っているわけです。そのゆえんのものは、やはり高等学校を卒業して、あるいは大学に行かれ、またそのまま社会人になられた場合に、この国際社会の中で立派な日本人として生きていっていただく、特に海外の人と接する場合は、海外の人の歴史的な背景を知らずして、その国の文化を知らずして国際的な付き合いという
佐藤先生の経歴は、改めてお話しいただかなくても、なかなか重要人物なので、私ももう十分勉強いたしております。 今の四本の佐藤説ですが、私はやはり今先生がおっしゃった御家庭、つまり保護者を含めての地域社会、これはまあ一ついいと思います。それから、教職員組合という……
教師ですね。
教師ですね。
いやいや、教職員組合というと、大体組合の加入率が今三〇%でございますのでね。七割の人はらちの外の教師になってしまいますから、やはり教師と学校の管理者。それから、もう一つはやはり行政。この三つが、三本の柱というんじゃなくて、大きな土台となって学校を支えていく上に子供が乗っていると。 先生の今の教職員組合というところを除いては私は全く同意見でございます。
先生が二十年前におっしゃっていることが今もそのままだということは、その間に教育改革は進んでいなかったということなのか、あるいは先生がそのときおっしゃったことが教育を扱う場合に普遍的な真理としていつの時代にも通用するということなのか。私は、やはり先見性のある佐藤先生のおっしゃったことは、普遍的なことをおっしゃっているんじゃないかと思いますね。 ですから、地域とそして家庭と学校とが一体となってやはり子供のために教育をしていけるという原点はしっかりと大切にしていくべきだと思います。おっしゃっているとおりだと思います。 ただ、残念ながら、時代の変遷とともに、例えば、核家族化が進んで家族の教育力が低下している、あるいは共働きをしていた
私は、再三、英語教育の必修化について申し上げたわけじゃなくて、一度しか言っていないんですが、非難の声も率直に言ってございました。不思議なことに、海外で勤務をしている経験の方は、ほとんどと言っていいほど私の意見に賛成のメールを送ってこられましたですね。ですから、今先生がおっしゃっていることと全く同じことを多くの人が感じているんだと思います。 やはりOECDの調査で、これはもう先生にこんなことを申し上げるのは釈迦に説法なんですが、理数はまだ五番目内に入っているんですよ。しかし、自国語で自分の意思を、コラボレーションとおっしゃいましたが、表現をし理解をする能力は残念ながら二けたに日本は落ちております。こういうことを考えると、やはり学校
今先生は英語教育の必修化のことを例に取られて、内閣あるいは文部科学大臣が替わるごとに方針がくるくる変わるという御指摘をされました。 この件については、御承知のように、中教審に答申を出しているわけでして、どちらにするかということは別にまだ何も決まっていないと思います。ですから、中教審がお答えをお出しになっても、教育行政を預かる者としてそれを参考に御意見を申し上げなければならないということは、これはもう当然のことであると私は思っております。 それから、くるくる変わるということがあってはいけないと思いますが、今おっしゃったその教育改革というものの具体的な中身は何を指しておっしゃっているんでしょうか。それを少し具体的に教えていただき
めり張りの付け方等については、後ほど参考人からめり張りを付けた答弁をいたさせますが、まず基本的な私の──佐藤先生、よろしゅうございますか。佐藤先生、よろしゅうございますか。 基本的な考えだけ私は述べておきたいと思いますが、行政改革推進法案には先生が今御心配になったような記述があることは確かです。しかし、地方へ行くと公務員給与そのものが民間よりもかなり高くなっていますから、これはやはり私は調整をせざるを得ないと思います。 しかし、人材確保法案で文部科学省が国民からお預かりしている財源をそう簡単にむざむざと離したら大臣は何のためにいるか分からないわけですから、これをどこに使うかは少しやっぱり納税者の立場に立って考えないと、先ほど
分かりますよ。
先生、その前にお許しをいただいて、人を評価するということは非常に難しいということは先生がおっしゃるとおりです。政治家の評価もやっぱり非常に難しいですね、政治家は大体自分が一番有能だと思っている人は多いわけですから。しかし、やっぱり客観的に、部活もある程度見てくれる、勉強を教えるのは熱心だ、トータルのバランスとしてはこの人がいいということはだれかが評価しなければ人間社会の評価というのはございません。それは、これは勤務評定その他のことに掛かってくるわけですから、これを全く否定して国民の税金を使うということは私はいささかどうかと思います。 それから、今おっしゃっているように、確かに十四年のときの中教審の答申は、なお慎重にならざるを得な