内戦によるベトナム人の死傷者の数字というものは、今つまびらかにしておりません。
内戦によるベトナム人の死傷者の数字というものは、今つまびらかにしておりません。
餓死者が出ました点につきましては、もちろん、その年は冷水害があった、できが悪かったということは事実でありますが、もしこの戦争がなくて、南北の交通が自由であれば、南には米はうんとあるわけでありますから、その米が北に行って、餓死者は出ないわけでございます。もちろん、平年でも、へんぴな所で、多少の、ごくわずかな者は出たかもしれませんが、大量の者は出ないわけであります。やはり戦争というものがあって、そうして南北の交通が途絶しておるということから、餓死者が出てきたわけでございますから、やはり損害に入ると思っております。それから、ほかの国につきましても、これはおのおの人的の損害をあげております。ただ、こういうふうなはっきりした大きな数字の餓死者
ビルマの場合は、三十五億ドルという当初の要求の中には、そういうものを含めておりませんが、それは当初非常に急いで作ったから、それで入っておらない。いろいろその他のものを考えれば百億近くになるということを、あとになって言っております。
御質問の意味がよくわかりませんでしたが、餓死の原因につきまして、この冷水害、それから交通の途絶、それに日本軍の徴発、あるいはフランス軍もあったかもしれません。こういう物資の徴発があった。このことはその通りでございまして、先ほどの御説明が足りなかったと思います。 それから、百万ないし二百万の点が、御質問がよくわかりませんでしたが、われわれは、それを含めるとか含めぬとかいうふうなことを今まで別に、向こうがどう言うからどう言うというふうなことはございませんので、先方は初めから百万ないし二百万というふうなことを言っておりまして、わが方によこしましたエード・メモアールの中には百万という数字を引用しております。せんだっても、向こうの外務大臣
あれには二つ問題がございまして、二百万と言った――まあわが方の、向こうがよこしましたものは百万となっていたが、二百かと言っていたという点と、それから、被害が四五年から四六年というふうな新聞報道でございました。その点は、先方は、それは間違いであった、これは確かに四四年から四五年であった、これは自分の記憶違い、二百万という点につきましては、自分は初めから二百万であり、日本側にも二百万と言ったと、自分はそういうふうに思っていたというわけでございます。それに対しまして、わが方から、あなたの方は正式には百万になっているのだということを注意してございます。
非常識といいますか、当時からも百万、二百万というふうなことがいわれておったのでありますから、そのどっちかを、だいぶ前のことですから、記憶違いかもわかりません。数字そのものが、このこと自体が非常識であるかどうかということと、記憶違いの問題とは、また別問題だと思います。
われわれは、先方の言う数字をそのまま取るものではもちろんございませんが、これがやはり損害の中の一部をなすということは、そう思っております。それから、二十万、三十万を撤回するわけではございません。いろいろな数字があるが、いろいろな人に聞いてみて、わが方の判断し得る限りでは二十万、三十万というのが妥当じゃないかという判断をしているということを申し上げた次第であります。
最初に申し上げましたように、これはやはり賠償の対象になっており、それを幾らにするかということは全然別問題でございます。やはり戦争の結果であるということは確かでございますから、賠償の対象には入ります。
われわれの答弁は決して変っておりませんので、先方は百万とか二百万と言っている、しかし、われわれは二、三十万と判断している、これは終始一貫その通りに申し上げております。
この金額はいつをとるかということで変わってくるわけでありますが、こちらの賠償は今から払うのでありますので、私の方は現在の時価というもので、一応計算いた一しまして、最後の一年分の価格は、最初に衆議院に差し出しました表に出ております。 それから、この分布状況でございますが、工場等はハノイ、ハイフォン等であります。ホンゲイ炭田その他は北の地区に数地区にまたがってあるわけであります。
四〇年から日本軍の進駐が行なわれまして、ノーマルな時代ではなくなっておりますから、その前の三九年というものを向こうはとっておるわけであります。われわれも向こうのとっておるそのままあげたわけでございます。
私もあまり経済のことはよく存じませんが、まあ、戦争の前の年をとっておるということでありまして、ゴムとか、米等の数字を見ますと、その年をとるが、その前年をとるか、あるいは四〇年をとりましても、それほどの大差はないようなふうに、米とかゴムの統計では私は見ましたが、全般的な経済情勢がどうであるか、そいつは私はよく存じません。
先ほども申し上げましたように、経済全般については私はよく存じませんけれども、大体、このずっと数字を見ておりまして、たとえば米とかゴムというものが大きなアイテムでありますので、それを見てみますと、たとえばゴムの生産は三八年が六万トン、三九年が六万五千トン、四〇年が七万二千トンというふうに逐次上がっており、その後の三年間は……。
三八年が六万トン、三九年が六万五千トン、四 ○年が七万二千トン、その後の一年は平均しまして七万二千トン、大体そういうふうな数字が出ております。それから、米について見ますと、三七、八年の米穀年度が六百二十万トン、三八―三九は、これは非常に多く七百九十万トン、三九―四〇年は六百十万トン、四〇―四一年は五西十万トンぐらいになりますか、そういうふうな数字が出ておりました。これは年によりまして非常に違うようでございます。この二つの大きなアイテムにつきましては、特に三九年というものに、これという特異の現象は見られないと思っております。
その方につきましては、今数字の持ち合わせがございません。
石炭については資料がございますが、一九三八年が二百三十万トン、一九三九年が二百六十万トン、こうなっております。それから、石炭のエキスポートの方の数字を見ますと、三八年が千二百万ピアストル、三九年が千五百万ピアストル、四〇年が千六百万ピアストル、こういうふうな数字が出ております。(「生産の方ですよ、貿易はあとからやる」と呼ぶ者あり)
石炭の生産は先ほど申し上げました。
最後の一年分の計算、金額に面した計算は、日本側が作ったものでありますが、数字は全部ベトナム側が出してきたものであります。
この計算に関します数字は、ベトナム側が出した数字でございまして、われわれの力は最後の四四年の八月から四五年の八月までの一年間の数字を出しまして、これも単に四年分か五年分を五で割るということをいたしませんで、四四年の三分の一と四五年の三分の二をとりまして、そこに一年分の数字を出しまして、それの現在の時価によってそれがどのくらいになるかという作業だけは外務省がいたしたものでございますが、その他の数字は全部向こう側が出した数字でございます。
日本側は、戦争状態は四四年の八月二十五日以降、こう考えております。