トップランナーだけがランナーじゃないですからね。
トップランナーだけがランナーじゃないですからね。
外務大臣、いろいろと暑いところ駆けめぐって御苦労さまでございました。 主としてロンドンのサミットの話と、それから韓国大統領の訪日の問題でお聞きしたいと思うんですが、その前にちょっと余り耳寄りな話じゃないんだけれども聞いておきたいんですが、よく外交については、古い話では吉田外交とかあるいは石橋財政であるとか、あるいは鳩山外交とか池田財政とか、ずっと古くは松岡外交とか幣原外交なんていろんな名前のついた呼び方があるんですが、キッシンジャー外交なんといっても何となくわかるような気がするんですが、中曽根外交という言葉はどこにも出てこないですね。あれほどどぎつい、ぎらぎらした、日本列島不沈空母だとか四海峡封鎖だとか、ああいうどぎつい色彩の外
私の方はどちらかと言うとあすのことはわからないというような、一寸先はやみだというようなそういう政局の変化にむしろあおりたい方の気分ですから、そういう意味でやっぱり感触を伺っておかないというと、いろんな動きの上にデリケートに作用してまいりますので、そういうふうな立場で考えると、余り中曽根政治にそっくり、ぴったりではちょっと動きにくくなるんじゃないかと思うんです。そういう意味でやはり外交そのものが違った立場、意見と突き当たっていくというのが外交だと思いますが、政治もそういう面があろうと思いますので、余り遠慮しないで大胆にひとつやってもらいたいと思います。 それで次に、ロンドン・サミットについてちょっとお話を伺いたいんですが、十回目で
サミットに対する期待は、参加国七カ国というよりも途上国の方にあったのではないかと思います。そういう意味では、やはり必ずしも期待にこたえたものではないのではなかったかというふうな感じを私はいたしております。 あなたは前に、かつて日本も歩んだ途上国の立場を独自に代弁したいというふうに、アメリカの立場とも若干ニュアンスの違ったことを言っておられたようですが、その実際の上の効果は必ずしもそういうふうに出ておらないと思います。やっぱり勇気のある自主外交があってほしいと思います。勇気のある追随外交では褒めようがございません。ましてやレーガンさんと中曽根さんがロン、ヤスというふうなことで、何か自分の再選目当ての見せ場づくりの外交であるなどとい
韓国の新聞にも日本の新聞にもかなりその問題については報道されておるのでありますが、このお言葉といっても、いわゆる戦争責任についておわびをするというようなことになりますと、これは外交上の重大な言葉になるわけでありまして、外交と政治は一体でありまして、政治の国際面にあらわれたものが外交でありますから、ということになりますと、この日本国憲法による象徴天皇の政治に関与、「国政に関する権能を有しない。」と規定したこととのかかわり合いがかなりデリケートになってくるわけでございますが、今までも外務大臣は参議院の委員会の答弁の中でもちょっと触れておられまするが、関係ないということにはなかなかいかないんじゃないでしょうかね、いかがですか。
ソウルの特派員の日本の有力な新聞の報道などを見ますと、両国の折衝で陛下のお言葉が重要問題になることは間違いない、こういうふうな言葉を使って断定的に報道しております。また、韓国筋のいろんな報道を総合しますというと、全大統領が日本を訪問する決断の前にこのお言葉のことで慎重な検討があった、こういうふうな報道もあります。それからまた、かつて陛下が中国に対して、当時の鄧小平副総理ですかに対して、両国――日本と中国ですね、両国には長い歴史があり、一時不幸な出来事がありましたというふうなお言葉を天皇控下が述べられておるのですが、ところが韓国では、この中国と同じ表現では受け入れられない、韓国と中国とでは歴史が違う、こういうふうなことを韓国の政府高官
時間もございませんから、ちょっと意見だけ述べておきますが、天皇のお言葉が、韓国内で対日感情を親日的に整えるというふうな意味で効果が大きいということは確かに言えるわけであります。しかし、裏腹に言えば、同時にそれはそれほど大きな政治外交に利用されるということを意味するものであります。韓国にとってそれが非常に重要な政治問題であるということは、同時に日本でも重要な政治問題であります。日韓同時同様の案件だというふうに考えなくちゃいかぬ。憲法に反して天皇の政治関与をあえてせざるを得ないような形になりますことは、非常にこれははかり知れない重大な問題を起こすことになります。そしてまた同時に、日本国民が朝鮮に対してわびなければならないというのは、日本
韓国代表として来られるわけですけれども、やはり朝鮮には現実に二つの政権がある、そして日本がいろいろな意味で謝罪をしなくちゃいかぬのは朝鮮民族全体に対してである。したがって、朝鮮民族の統一に向けてそういう日本の謝罪の立場を下敷きにしていろいろのものを組み立てていかなければならないと、こういう点を特に申し上げて、私の質問を終わります。
まず、すぐにやれば結果が出る、そういう点を先に希望を述べます。 外務省というのは国際的な仕事ですから、当然そういう国際的視点で、日本の諸官庁の中でも最も開明的な性格を持ったものだと思うんです。つきましては、外務省のつくります文書についてぜひ西暦の使用を考慮していただきたい、これは強く希望いたします。 私は明治生まれですが、既に尺貫法からメートル法に考え方は変わっております。また、紀年法についても日常半分以上は西暦を使っております。 例えば朝日新聞などを見ましても、耳の方に一九八四年という数字を入れて、それから昭和何年と、こういうふうに併記しております。文部省の文書は国内的なものについては元号を使用する、こういうふうな方針
これは私の強い希望です。国内の文書といえども、事外務省の文書は全部国際性を持った、ほかの省よりも国際的つながりの広い仕事でございますからぜひひとつ併用する、併記するという習慣を着々つくっていただきたいと強く希望いたしておきます。 次に、これは取り上げざるを得ない問題としてひとつじっくり考えていかなくちゃいかぬ問題だと思うんでありますが、スポーツとオリンピック、その点について若干私の見解を申し上げて、大臣の見解もこれは伺っておきたいと思います。 戦争をしているときにオリンピックどころじゃないというような歴史の過程はもちろんあったわけですが、よかれあしかれ民族の興亡をかけて、遺憾なことだが殺し合いをしているというそういう状況の中
オリンピック憲章の第一章ですか、第一には、やはり平和の秩序の建設というふうなことをうたってあったように思います。 そこで、スポーツというものはどこから起こったかというように発生的に見ますといろんな見方、意見がございますが、やっぱり一つの精力余剰説と申しましょうか、ちょっと機嫌の悪いときには何も動かさないけれども、少し気分のいいときには、道を歩いていてもその辺に空き缶があるとけ飛ばしてみたり、道の草木に手をかけてみたりするというふうな、あるいは石をけ飛ばすとかというような、そういういわゆる人間の精力の余剰が結局スポーツを生んだもとだという見方、考え方があり得ると思うのであります。 例えば日本の場合、これはオリンピックにはつなが
さっきちょっと言葉が濁りましたが、五輪憲章の第一条には、スポーツを通じよりよい平和な世界の建設に協力する、こういうふうにうたってあります。でありますから、オリンピックのこの事態に対してはカナダの——カナダにはスポーツ相というのが、スポーツ大臣というのがおられるんですね。カナダのオリビエスポーツ相は、米ソ両国のオリンピック委から要請があれば喜んで調停を引き受ける、こういうふうに語ったと伝えられております。 先ほど来我が日本の外務大臣も、傍観するというわけにはいかない、黙っては見ていられない、外交ルートを通じあるいはその他の努力を通じてこの事態をノーマルな状態にするように努力するというような御意見を述べられましたが、これは、外交的、
日本・ECの十五日の会議ですか、日本から出られると。それからさらに、ロンドン・サミットに反映してどういうふうに発展されるか、いろいろ問題について申し上げたいんですが、ちょっと聞きたい点の項目が多いから省きます。 航空機産業の現状についても、私の知る限りでは自衛隊のF15とかP3Cとかというようなものについてはある程度手をつけて進行中のようですけれども、ほかの航空機一般については、民間については余りぱっとしないような感じがいたします。やはりアメリカの産業と日本の平和的な航空機産業とに余り差があってはうまくないと思うんでありまして、こういう点は今後、育成なんと言うといろいろこれまた絡まってくるんでありまするが、やはり伸ばしていくよう
具体的には、中国向けの修学旅行がお金の面で行けないような状態をなくするようにしたいという点での一つの希望であります。今のお話のことは私も若干承知をいたしております。しかし、現実にはやはりいろいろ事情はございますが、エージェントの事情や航空会社のいろんなダンピングはございますけれども、通り一遍に出てくる数字を見るというと、例えば中国の場合は十七万四千何ぼ、これが香港ということになるというと、東京—香港は五万円ないし六万円ぐらいでキャセイとか引き受けるものも出てきているというような実情ですから、実感として、やっぱり日本航空はひとり占めだから高過ぎるのじゃないかというようなあれが出てくるのであります。事実、また私ちょっと調べた範囲では、日
出版物の国際交換の件についてお尋ねをいたします。 この条約は、中身としては一八八六年、明治十九年にブラッセルで始まって、日本がまた一九五八年にユネスコ総会でこの条約に賛成した。なぜ二十年も三十年も合意した条約を批准しないで今まで見送ったか。交換の仕事は支障なく国会図書館や民間でやられてきたから批准の必要がなかったとの先般のお答えでありましたが、これではおくれた理由にはならないんでありまして、やっていればなおのこと早く批准すべきではなかったかと思う。与党、野党の間で対立するような案件でもありませんし、国際関係でも、西側サイドのものはときによるとけんかしても通すぐらいの勢いでやってきているのに、こういう全国際的な、あるいは文化的なも
賛成、合意という段階に行ったものはやはり早く批准を済ませるというふうにするのが本当じゃないかと思うんです。この点は一つの意見、希望として述べておきます。 それから、IFLA、国際図書館連盟東京総会が再来年に開かれる。外国から千人ぐらい、国内から五百人ぐらいの規模と聞きますが、この国際大会に格好をつけるために何か紋付羽織はかまをくっつけたような感じがするんであります。それなりに結構だと思うんですけれども、数えてきますると、この総会は、ブラッセルで条約の発案が一八八六年ですから、ちょうど百年の国際会議ということになります。記念すべき歴史的な国際的、文化的行事であると、こう言ってよろしいと思います。したがって、外務省、文部省、国会図書
この日本の海外協力の重点は、この面でもアジア諸国との関係を拡大すべきものだと思いますが、しかしアジア諸国の中ではインドネシアしか加盟していないと。重点をかけたところから、向こうの方から乗ってこないというのではうまくないわけでありまして、途上国を目標にしながら外務省は、この国際協力の面からも、文化交流の面からもどんな見解を持っておるか、これもちょっと聞かしていただきたい。
国際会議があるんだから、やっぱり一つのチャンスですから入ってもらいたい、入りそうだというふうなところは大いにオルグして、工作してひとつ努力すべきだと思います。これは希望として述べておきます。 図書館は、今まで出版交換をやって六百六万円の予算とかとおととい聞きましたが、これは主として郵送料であると。これで足りないときには図書購入費から流用すると述べております。流用という言葉はおっしゃらなかったようでありますが、国際条約によって遂行するこの第四条の任務というものは、付随的な片手間の仕事ではないと思うんです。予算も横の方から持ってきて使うというふうな筋のものではなくて、一般の図書購入費が削られたら基本の方の購入費が減るんですから、やは
この条約の第四条の2の定めによって、これは読み上げるまでもないのですが、「締約国は、国の交換機関又は中央交換当局に対し、交換すべき資料を入手するための必要な権限及び交換の任務を遂行するための十分な資力を与える。」と、こう規定してあります。「十分な資力を与える。」と、「十分」というのがくっついているんですね。ですから、これはひとつ国の独立の予算として、国の責任として独立の予算を交換機関に与える義務があるんじゃないかと思うんです。国会図書館も、予算請求なんかでもそういう条約に基づく独立した立場で、予算請求の権限なども発揮すべきものだと私は思うのですが、これは出す方の大蔵省も来てもらうといいんだけれども、きょうはお呼びしておいでを願ってお
やっぱり項目はきちんと独立して挙げるべきものだと思うのですが、これは図書館の方の御意見はどうですか、今までと違った基礎の上に立って予算請求の権限が発生したとこう考えて、これはどうですか。