お話のように基本法の拘束を受ける場でない。しかしながら、教員は先ほど来申されたように公務員としての一面性格がある。その公務員としての性格からくると、基本法八条におそれのあることは慎しまなければならぬ、こういうことを申し上げたのです。
お話のように基本法の拘束を受ける場でない。しかしながら、教員は先ほど来申されたように公務員としての一面性格がある。その公務員としての性格からくると、基本法八条におそれのあることは慎しまなければならぬ、こういうことを申し上げたのです。
教育基本法八条に拘束を受ける場ではない。これは私もあなたと同意見です。ただ、教育基本法なり、学校教育法なり、その他もろもろの諸法規に関連のあることについては、これは私慎重でなければならぬと思います。たとえば教員の勤務条件とかあるいは待遇の問題とか、学校教育法なり、教育基本法に関連のないことをおきめになることは、これは自由でございますが、いやしくも学校教育法なり教育基本法に抵触するおそれのあることは、いかに組合大会といえども慎しまなければならぬ問題ではなかろうかと思います。
お話のように、これが全文ではございませんが、その中で問題になりました「歴史的課題」、その歴史的課題解決のための有能なにない手、それからその必要にこたえるための学習を組織して指導する、これがまあ中心でございますので、御指摘のような「日本の青少年が、自由と幸福をからとる道は、これ以外にはない。」、こう断言しておりますのは……、という点も省いてあります。そのほかに、最後に「教師は自ら深い反省に立って、勉学し、努力する。」、このところが欠けておるわけでございます。
別に他意があったわけじゃなくて、なるべく簡潔に出したかった。その第一点は、「歴史的課題」というものはどういうものか。その「歴史的課題」解決のための有能な働き手となるように教育する。それがこの現場の教育の中に入ってくるわけです。そのために教師はそれに必要な学習を組織し、指導する。ここにも一つの歴史的課題が、お話のような……。
ですから、別に他意があったわけじゃございません。
お尋ねの「歴史的課題」という問題がどういうふうに把握されるかということに決着すると思うのです。で、この倫理綱領の中に、「平和の擁護、民族の独立、搾取と貧乏と失業のない社会の実現は、われわれに課された歴史的課題であり、」、この「歴史的課題」の把握の仕方によると思う。だから、その把握をどういうふうに日教組がしておるかという点については、綱領、以下述べるところの綱領、及び「新しく教師になった人々に」というこの中に「歴史的課題」の解明がされておりますので、ここを論議していただかないと、この文だけで判断するわけには参らないと思います。
われわれが理解しておるのは、あとに出ておりますが、搾取と貧乏と失業を伴う今日のような社会制度は根本から考え直さなければならない。社会構造のかなめを取りかえる社会的措置がとられ、全く新しい立場から考えられた社会体制が生まれてこなければ、こういう貧乏の隔たりは、決して人間の勤勉と態度などの個人的資質に基づくものではなく、いわゆる自由主義経済または資本主義経済機構に真因がある。ですから社会制度、これは一部の莫大なる所得者と、その所得者の出現を許す社会制度に原因があるのだから、ですから、この社会制度を根本的に考え直さなければならないということをまず指摘しているのですね。(「それは長過ぎる」と呼ぶ者あり)もう少し、簡単にやります。
そこで、組合の大会でどうおきめになるか御自由ですけれども、それが少なくとも教育基本法第八条に抵触するおそれのある個所があるわけなんです。そのおそれのある個所として歴史的課題の認識の仕方が一つある。その歴史的課題解決のための有能なにない手として教育者がある。これは教育の場に入ってくる。そのために教師は必要な学習を組織し、指導しろ、こういう見解に立って教研集会が組まれ、現場においてもそういう事実が現われておるということが基本法八条に関連する問題であります。
私の方で出したのは四ページにわたるこれを出したのです。別にこれだけが証拠能力じゃない。これとあと含めて全部読んでいただいて、証拠能力ありと、こう断定しているわけです。
この考え方は、歴史的課題ということが一つのポイントなんです。その歴史的課題の把握の仕方については、今後議論されることと思うのです。それから課題解決のための有能なにない手として教育しなければ一そこで教育の中に入ってくる。学校教育の中に入る。そこで、その学校教育の中に入る場合に、それの必要にこたえるような学習を組織し指導する、ここがポイントだということを申し上げたのであって、それ以外に、先ほど御指摘になった日本の青少年が自由と幸福をかちとる道はそれ以外にないのだと断定をしております。いま一つ、今お話しのように、「教師は自ら深い反省に立って、勉学し、努力する。」、これはもちろん全文を出しても一向差しつかえないのですが、とりあえず私どもが問
学校の教師は、あくまでも教育基本法という法律があるし、憲法なり教育基本法なり、学校教育法に目的が定めてある。その目的の範囲内でやっていただくのが建前です。そこで今御指摘のように、倫理綱領の解説の中にも、教師にはまた政治的中立などは求むべくもない、こういうことを否定しておる。「政治的には「なんでもやる」という積極的立場に団結しなければならない。」、これは基本法の……。
違反であると思うのです。
「青少年とともに生きる」ということは、学校の場もあるでしょうし、学校以外の場もあるでしょう。それから特に私どもが心配しますのは、そういう考え方で「学習を組織し、指導する。」という言葉にも問題があるのです。
国立大学の教職員につきましては、御承知のように教育公務員特例法によりまして教授、助教授、講師については大学管理機関にまかされておるわけでございます。なお助手については、大学の学長に委任されておるわけであります。それから係長以下につきましては、これは事務職員でございますが、大学の学長に任命権がまかされておる。そこで文部省が直接任命いたしておりますのは、事務局長、課長、課長補佐でありまして、今日、日教組の中に大学高専部というものがございますが、この大学高専部というものは別に人事院に登録した団体ではございませんので、従って交渉すべき相手方ではないと心得ておるわけでございます。
人事院に登録されたものは権限がある当局と交渉しなければならぬ。権限のある当局は、先ほど来申し上げましたように、任命権の範囲によってそれぞれ異なる。しいて申しますならば、事務局長とか課長、部長のように文部大臣が直接任命しているところの管理監督の者が連合体を作り、あるいは人事院に登録しておりますれば、それは文部大臣の交渉相手かと思います。
明らかに法律上大学管理機関に委任されておりますので、文部大臣はこれに対して発令をすることになっておるわけであります。ですから、事実上の決定権はないわけです。従って、文部大臣が交渉の相下方たるべきものではないと考えます。それから文部大臣が事実上存命権を委任しておりますものについては、これまた同様に文部大臣がいかんともしようがないのであります。委任された範囲においては、その責任ある当局は学長でございますので、学長と交渉する以外にないと思います。
これは大学に配当いたしておりますので、配当した限度において学長が交渉相手になるわけであります。
国家公務員につきましては、国家公務員の給与に関する法律がございますので、この法律に基づいて適切な運営が行なわれているのであります。現実にその法律以上の要求をされますれば、これは無理でございますけれども、その範囲においては、執行上支障がないわけであります。
御承知の通り義務教育費国庫負担法は実績の半額を国が負担する、こういうことでございますから、一般的な県につきましては文部大臣に給与の決定はないわけです。地方が出した分の半分を精算負担するという建前でございます。今御指摘になりました政令は、ただし書きで、ただし、特別の必要ある場合には国庫負担額の最高限度をきめることができる、こういうことになっておりまして、これは財政的な理由にもよるわけでございまして、現在富裕県として交付税が交付されてないような四府県につきまして限度をきめている。その限度をきめる場合に妥当な規模できめておるのでございまして、この限度内で四府県の給与が決定されるならば、これは御指摘のように私は問題があろうと思います。ところ
これは予算編成の問題であって、あくまでもその都道府県の教職員の給与、勤務条件とは直接関係はないわけでございます。ですからこの点について文部大臣と日教組が団体交渉すべき性質のものではないと考えております。