それは制度的に不備のあることはわかっていますけれども、それでも例の紛争まではちゃんとやれたのですから、これからもやれないはずはないと思うので、できるだけ大学の自主的な改善を期待している。
それは制度的に不備のあることはわかっていますけれども、それでも例の紛争まではちゃんとやれたのですから、これからもやれないはずはないと思うので、できるだけ大学の自主的な改善を期待している。
先ほど、紛争以来まだ改善されていないとおっしゃったけれども、この欠陥はあるけれども、ともかくあの大学紛争までは何も問題はなかったのですよ。ですから、私は制度的に……(西岡委員「あったのですよ。そんなばかな認識ないです」と呼ぶ) いや、なかったです。ともかくそういう紛争まではなかった。紛争後おっしゃるような事件が起きた。これはよくない。 それから、任期制とか学問の審査ですね。それは私は大変結構なことだと思うのですけれども、これはやはり大学が自主的に改善策を講ずべきだと思っている。
改善すべき点は積極的に改善したいと思います。 ただ、できるだけ大学当局の人の理解と協力を求めて改善したいというのが私の願いです。
御指摘の点ですが、グラマン、ロッキードの件はよくわかりませんけれども、連日こういう問題が討議されておりますことは、教育上子供たちにいい影響を与えるとは私は思っておりません。
御意見よくわかりますけれども、しかしダグラス、グラマンの問題はいま国会でも審議されておりますし、まだ検察庁でも十分検討しておる段階でございますから、私はこの問題については意見を差し控えさせてもらいたいと思います。
政府も国会も真相究明に真剣にいま努力している最中ですから、これをごまかすなんという考えは絶対ないと思います。
私は、教育勅語が国会で廃棄の決議をされたときにちようど私も文部省におりましたから、その事情はよく存じ上げております。しかし、教育勅語の中にもいい部分もあるのです。確かに「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」というようなこと、「古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」の教えだと言われていていい面もあったのですから。私は別に教育勅語を礼賛するのじゃないけれども、教育で一番大事なのはやはり道徳なんですよ。人柄ですからね。お勉強も大事だけれども人柄が一番大事だから、この人柄をどうして育てるか、これが私の一番願いなので、ひとついい案があったら私に教えていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
私も戦前に育った人間でございますから、教育というものはやはり親と子供と先生、この三者に共通の価値観がなければだめなんですよ。親は親、子供は子供、学校の先生は学校の先生で、てんでんばらばらというのではりっぱな教育はできっこないのです。ですから、何かそういう共通の価値観があってほしいなというのが私の願いで、私は教育勅語を復活させる気は毛頭ありません。
教育勅語にある共通の価値観、先ほど申しましたように、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」というのは、これはだれが見ても私は当然の教えだと思うのです。そういう価値観があったことを私は高く評価したので、私は教育勅語復活論者じゃないから、この点は誤解のないように願 いたいと思います。
教育勅語で日本は明治以来終戦までずっとやってきて、その当時の日本人というのは国際的に大変な評価があったので、私は決して日本の教育は悪かったとは思っておりませんが、それは、いま申しましたように教育勅語の中で国民の指導原理が明確になっておった、こう申し上げたわけです。
先ほど申しましたように、やはり「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」というようなことはどこの国に出してもいいことだと私は思っています。
私は教育基本法に基本理念はないと申しておりません。教育基本法の中にもやはり教育の原理がはっきりしているのです。ですから、真理と正義を愛し、勤労と責任を重んじ、平和で文化的で健康な国民を育成するというのが教育基本法の原理でございますけれども、ただ教育基本法の原理は少し抽象的過ぎるのじゃなかろうか。やはりもう少し具体性があって、親も子も学校の先生も共通の価値観を持って、そして教育するというのが一番大事じゃないか、そういう点がいまの教育に欠けているのじゃなかろうかなという不安を私持っているわけなんです。
やはり教育の根本は徳育だと私思います。何といっても人柄であります。先ほどあなたがおっしゃるように、日本は東南アジアから非難を受けておるそうですが、私は、資源小国の日本が国際的に信頼と尊敬をかち得るような日本でなかったら日本の繁栄もないと思う。そういう意味で何が大事だというと、一番大事なのは人柄だと思うのです。そういう意味で人柄を育てるのにどうしたらいいのか、いま文部省の指導要領でもいろいろ苦労しておりますが、私がちょうど文部省におりましたときに道徳の時間を特設したわけでありますが、道徳だけではありませんで、各教科活動全部を通じて徳育に専念すべきだと思います。
教育基本法の中にも指導原理はあります。ただ少し抽象的過ぎやせぬかというのが私の懸念でございます。
教育基本法はいろいろな問題が入っているのです。ただそれは教育の目的だけじゃないのです。その目的の中に真理と正義を愛し、勤労と責任を重んじ、平和で文化的で健康な国民、これは間違いないのです、結構なんです。結構だけれども、これは少し抽象的過ぎやせぬでしょうか。教育の現場に十分かどうか私もよくわからないのですけれども、やはり教育で一番大事なのは親と子、学校の先生、この三者が共通の価値観をもって教育しなかったら教育の効果は上がらないと思うのです。そういう意味で、少し抽象的過ぎるのじゃなかろうかなという懸念を私は持ったわけでございます。
明治、大正、昭和を通じて敗戦までずっと教育勅語が日本の指導原理であったことは間違いないのです。
そういう考えは持っておりません。もうこれは衆参両院で廃棄決議をされたので、私もその当時文部省におりましたから、よく存じております。こういうものを復活しようなんて毛頭考えていないので、誤解のないように願います。
私がそういう発言をした記憶はないのですけれども、ただ、教育勅語が全部悪いのでなくて、あの中にもいい徳目があると申し上げただけで、私は御指摘のように、教育勅語の復活論者じゃないし、今後発言は、お説のとおり慎重にいたしたいと思います。
私が学校教育法は全部起案しましたから、お説のことは全部よく存じております。ですから、私は教育基本法、学校教育法の体系のもとにやりたい。今回も指導要領を改定いたしまして、十分に検討いたしまして、子供たちの能力を伸ばし、そして徳育をしっかりやるようにいたしておりますから、私は心配ないと思っております。
私も教育というのは、徳目だけでいくようなものじゃなくて、やっぱり子供に対する愛情とか信頼とか、そういうものが根本にあると思いますから、徳目だけでやろうなんというような気はさらさら持っておりません。 〔委員長退席、伊東委員長代理着席〕