ありません。
ありません。
ありません。ただ水谷君を紹介してくれと言われたので、官邸に水谷君を紹介したことはあります。それだけです。
そうです。
もちろん何も陳情はない。
それはよくわからぬが、二回ぐらい芝居に招待されたことはある。それは鈴木君夫婦とわれわれ夫婦とが招待されておる。それからほかに一、二回会つているでしよう。
もちろんそれは梅村君の築地の家で……。
それはどこか芝居の帰りに、芝の家の名前は忘れたが、一遍ある。
そんなことはありません。
それは君の常識によつて判断してもらいたい。いやしくも長い間われわれ無産階級解放のために鬪つて來た者が、何を苦しんでそんなばかなことをやるか。友人とならばたれとでも附合うでしよう。お互いにもしみじんでもそういうものについて條件がつけられるというならば、断固私はだれよりも先に断ります。
それは人はあり得るかもしれませんが、私はわれわれの仕事、すなわち運動のことについては、もし依頼があるならば話をする。しかしそういう仕事についてぼくは全然無能力である。無能力の者が話したところで意義をなさぬ。從つてそのことについては何も触れない。
田中君、僕の方から聞きますが、しからば一体私が戰爭中何をやつていたか、かまわぬから、皆さんの前で言つてくれたまえ。
それが大きな事業というのか。
われわれはあの人民戰線事件のために監獄に入つて、監獄から出て來て、一文の收入がなくてどうして食つて行くか。われわれは友人が八名集まつて、四万円の金を集めて、その四万円の金で廃油の再製をやつた。しかも工場というものは僕と安平君とほかの一人と三人ですよ。しかもその事業たるや、自分の無能力を暴露するようであるけれども、結局戰爭が済んでやめたときに、われわれは出した五千円の金も帰つて來てはいない。それが眞相ですよ。さいわいにそういうことを明らかにする機会を君が與えれくれたことに、僕はむしろ感謝する。
君の言うことはよくわからぬ。
それは一昨年、これはとにかく夏の開襟シヤツだから、一昨年の夏です。自動車は、電氣自動車が今はつきり記憶ないですね。シヤツは夏のシヤツだから、一昨年の夏だということははつきりわかつている。
シヤツは十四、五枚だと思います。
記憶はない。
あとでも記憶がない。何も控えがないから……、聞きたければ、八代君の方に聞くより以外にない。八代君が覚えておればわかるだろう。シヤツは一昨年の夏、自動車はそれより後である。だからはつきり記憶がない。
それは見ればわかるけれども、そんなことは、自動車を寄附されたからといつて、少しも何もないのだから……。
よろしゆうございます。