人事管理でございます。
人事管理でございます。
それは関係ございません。
佐藤三郎についてのいろいろな評判は、聞きまして、まあ全く荒唐無稽のものもあれば、ああそういうところもあるのかなあという部分もありました。今、平野先生がおっしゃった北朝鮮というのは全くもうばかな話でして、加藤紘一と佐藤三郎が北朝鮮に、米ドル、にせ米ドル印刷機を輸出しているというのがサンデー毎日に出ました。同時に、サリンの製造機を輸出しているという記事が、本気でサンデー毎日に出ました。どういうセンスしているのかなと。そんなことをもしやっていたら、今、私はこの世の中で、日本の官憲によって抹消されてしまっているんではないでしょうか。ですから、そういう中傷もあれば、佐藤個人が非常に性格的につき合いが悪いというのもありました。 やはり一番の
あります。 それは三つでありまして、政党支部に対する企業献金が一つであり、一番大きいのがパーティー券でございます。それから二番目が、いわゆる五万円以下の、いわゆる政治資金団体に対する寄附、この三つでありまして、私が完全に彼に任せたのは、私がちょっとした行動をとって、それが政治資金規正法上危ないとか、業界との関係でちょっと変なことになりますよというときには、口酸っぱくそれを、先々を考えて危ないものには近寄っちゃいけませんし、ああいう方は危ないと思わなきゃいけませんと私に非常に厳しく指示していたものですから、そこは信じていたというところがあったと思います。
ちょっとよく覚えておりません。
わかりませんけれども、出版物というのは、普通、公称というのは高目に言うんじゃないかなというふうに思いますけれども。
それは、いわゆるパーティーをやります、年に四回やります。その出席者の方々に何部ずつかお渡しし、また、自分の選挙区でそれを定期購読してくださっている方、何千人かに一生懸命お配りして、購読料を取っているようであります。
我々の友人の一人がやっております。
それは、どなたになっておりますか、ちょっとわかりません。そこに書いてございませんか。
発行といいますか、編集者は佐藤さんという方です、多分。で、非常に、フリーランシング、フリーランサーというんですか、その編集者の方で、非常に文の立つ人です。それで、その経理なんかはうちの事務所の人間がちゃんと把握しています。 名目上の発行人がだれかというのは、ちょっとそこに書いてあると思いますので、お読みください。
佐藤違いの、別の佐藤さんです。
その雲霓の編集にどの程度の経費がかかり、そして印刷会社との関係でどういう支払いしていたかということは、私は全く存じておりません。
その辺の資料は全部、国税、検察当局に今行っております。したがって、それは今後の解明にまちたいと思っております。 先週の土曜日の東京新聞でしたかね、七年間に私の資産が二億四千万ふえた、その間の私の歳費は二億三千万しかなかったはずだ、歳費よりもふえたじゃないかというような記事が出ていまして、これは一面トップでありますから、私も驚きました。 それは、ああいう記事がいろいろなデータを集められてつくられるということは無理のないことなのかもしれませんが、ちょっと実態と違いまして、例えば、私たちの場合には、選挙活動のときにお金を融資します。そうすると、そのときには、大抵の場合には個人の名前でお貸しします。個人の名前でお貸ししないと、お返し
おっしゃるように、わかりにくいと思います。 それから、おっしゃるように、書かなきゃならぬところを何千万も書いていなくて、私の資産、資産というか、私の個人的な債権がふえているように見えます。これは私の本意とするところではありません。 したがって、これは全部、先ほど申しましたように、調査当局に明確に説明申し上げ、協力して、そうしますとわかっていただけると思いますけれども、我々の個人資産は七年間でほぼ増減ゼロでございます。そこはわかっていただけると思います。
とにかく、青山という場所でああいうマンションを借りて使わせていただいていたわけですから、私は、国民の皆さん、特に一般の市民の目から見れば、何を弁明してもそれはもう弁明にしか聞こえない、聞きたくないという話だろうと思いますので、その点につきましては私は余り論争したくありません。 そして、国がこういうふうに、何割だとかというような、一対九〇で認めるとか、九〇対一〇で認めるとかいろいろあると思うんですね。その判断には従おう、それだけしか申し上げられません。 ただ、あえて言えば、私の自分の生活の場所は山形県鶴岡市です。ローンで家をつくっています。このローンはちゃんと自分で払っています。それは平野先生と同じです。 それからもう一つ
あのとき、彼、参ったと思います。一緒に行ったと思いますが、ちょっとはっきりしていませんが、多分行ったんじゃなかったかなと思います。
佐藤の当時の肩書が代表団リストの中でどうなっているのか、ちょっと覚えておりません。それから、吉田さんの名前、懐かしい名前でありますけれども、その方も一緒に行きました。それで、うちの事務所員という名前を使ってリストに載せたと思います。 その吉田さんを紹介してもらいましたのは、あるジャーナリストであり、ある自由民主党の有力者であり、ある、そうですね、まあそのお二人でしたか。それから、外務省の人間も、その人は我々もよく情報取りの相手として知っていますというような存在の人で、恐らく、日本と北朝鮮との関係を論ずるならば、かなり、だれでも知っている公知の方であります。 そこで、日朝の関係を、私はあのときに打開すべきではないかと。特に、村
父親の代からの教えでございます。
マスコミ対策でお願いしているんではなくて、私の法律的な顧問です。
永野先生、あの永野先生だろうと思います。おります、永野先生という方は。