戦闘作戦行動というものは、一体これはどこで明確になるのか。戦闘作戦行動であるかどうかという問題はどこで明らかになるのか。
戦闘作戦行動というものは、一体これはどこで明確になるのか。戦闘作戦行動であるかどうかという問題はどこで明らかになるのか。
事前協議の対象になり得る、こういう佐藤総理のはっきりしたあれがここでありましたが、ここで私は一つの質問をしたいと思う。この際に中国に攻撃が加えられるとか、あるいは北朝鮮が攻撃を加えられるという場合においては、日本は戦争の渦中に直接巻き込まれる可能性がある。したがって、この際に中国あるいは北朝鮮に攻撃が加えられることについて日本の基地を使用することを拒否することは、外交上においても、今日的な段階に処するためにも、私は絶対に必要な事柄だと実は考える。総理はその考えがあるかどうかお尋ねをしたいと思います。
フランスはNATOに参加しておる一国家でありますけれども、御存じのとおり去る三月の九日に、アメリカがベトナムをめぐって中国と戦火を交えることになった場合、フランスの援助を期待することはできないという通告を出した。私は、フランスが三月九日にこの明確な態度を表明したということは、今後のアジア情勢に対しての適切な処置であったと実は考える。私はあえてここに、単に事前協議の場合にノーと言うことが必要であると主張するだけでなく、現在の段階においてベトナムの問題が中国に波及したり、あるいは北朝鮮に波及するようなことがあったならば、日本は基地を提供したりすることはできないということを明確にすることはきわめて当然なことであり、きわめて有効な処置だと実
現在物資調達の面で、北ベトナムに対する攻撃、あるいは南ベトナムに対する武力干渉、たとえば各種の兵器等の調達は日本で行なわれているのですか、いないのですか、お尋ねいたします。
聞いていないということは知らないということなんですね。あるかないかわからぬということですか。答えになっていないから……。政府を代表しているじゃないですか。
政府は、将来そうした日本の民間から兵器を注文し、おるいはその調達を受けるということを拒否する意思がありますか。
共産圏に対しては、御存じのとおりココム、チンコムをやったり、いろいろの貿易制限をあなたやっているじゃありませんか。ましてや非人道的な兵器が、あるいは各種のせん滅的な兵器が使われておる今日の状態のもとにおいて、日本が当然そうした提供を拒否するということはあたりまえじゃありませんか。
ずいぶん外務大臣としては歯切れが悪いのですが、総理大臣にひとつお聞きいたします。私はこの物資調達という問題について、兵器——これは私も別にこまかい繊維類までか兵器であると解釈するつもりはありませんけれども、明らかに兵器と思われる部分が日本の工場で生産されたり、注文を受けたりして提供されることに対しては、私は当然拒否すべきだと思うのです。こうした兵器の提供に対する日本政府の態度を明確に聞かしてもらいたい。
これは私は政治論を言っておるのであって、勧告か拒否かといったような行政論を言っておるのではないのです。そういうことをやらせる方針かやらせない方針かということを聞いておるわけです。総理大臣、どうですか。
私は、この前沖繩に旅行に行ってまいりましたが、沖繩の住民が一番おそれておることはベトナム問題の帰趨で、沖繩の国民は一体どうなるのだろう、端的に言えばこの不安。この沖繩はどうなるだろうという端的な不安に対して、私は日本政府は真剣にこたえるべき責任があると思う。まず第一に疑問に思う事柄は、沖繩百万の生命、財産を一体真剣にだれが考えてくれておるかということです。これを日本政府がよもや考えることができないとするならば、私は沖繩県民の失望だけでなく、重大な問題だと実は思う。今日まで佐藤総理は、講和条約の第三条をたてにとって施政権がないからということで言い続けてきたけれども、それなら憲法で保障されておる日本人としての当然の権利である、最も基本的
私は、クイックリリースはまだ聞いていないということでありますけれども、現地で現に見てまいったわけでありますから、ひとつあなたもよく研究されて、こうした問題が沖繩百万の人たちにどういう精神的な打撃を与えているかということも、私はよく観察される必要があろうかと思います。しかし問題は、ただ沖繩県民の安全を願うという念願だけでどうも佐藤内閣は過ごしているのではないかとさえ思われるような節があまりにも多い。われわれは、やはりこういう沖繩の百万の生命、財産に直接関係のある地域なのであるから、ただアメリカに追従しているだけでなく、日本の立場、日本の利益、日本の平和のためにやはり日本は発言をすべきだ、そういう自主性ある態度をもって臨むべきだというこ
沖繩県民百万の生命、財産を守る権利は、講和条約第三条によってできないのだ、施政権がないからできないのだ、こうきわめて割り切っておきながら、沖繩が攻撃を受けたときの自衛隊の出動という問題については、そうしてどうしてことばを濁されるのですか。どうして一体沖繩に日本の自衛隊をやらなければならぬ理由が法律上あるのですか。それを逆に私はお聞きしておきたいと思う。
そうしますと、結局沖繩に攻撃が加えられた場合においては自衛隊の出動もあり得るということですね。いろいろ理屈を言われるけれども、あるということなんですね。
これは私は重大な事柄だと実は思うのです。日本人の生命財産を守らなければならないという日本の義務というものは厳然として存在しているべきものだし、またその意味において、私どもはあくまでも沖繩の県民を孤立さしてはならないし、あるいは犬死にさせてはならない、われわれは共同連帯の立場に立っていかなければならぬということはあくまでも主張しなければならぬと私は思いますが、しかし、いまの自衛隊の派遣という問題を総理のようにそういう拡大解釈を持って扱うということについては、私は絶対に了承はできない。むしろ生命、財産を守るがゆえに、現在の大きくいえば北ベトナムに対する爆撃をやめるという方針はもちろんのことであるけれども、施政権の返還なり、あるいは領土の
まだ十分あります。
私は、いまの佐藤総理のお話を聞いておって非常に事実を曲げておると思うのは、まずジュネーブ協定が締結されて以来今日までの経過をずっと見ておりますと、五四年の協定に調印を拒否して、単独でスミスの宣言を発したアメリカの当時の態度は、佐藤総理一番よく知っていると私は思う。五四年に協定が締結せられてわずか二カ月後に、アメリカはすでにSEATOの軍事同盟を締結して、ベトナム、ラオス、カンボジアをこの地域に含めさして、これをSEATO体制に持っていこうとした彼らの考え方というものは、もうはっきりジュネーブ協定を守る意思がないということをアメリカは当時から明らかにしておったと私は思う。しかもその後において軍事基地、軍事要員の増員等々を行なって、ジュ
はい。 結局アメリカが最後にねらっているところは、言うまでもなく、かつて韓国においてとった南朝鮮に対する態度、それから現に沖繩にとっている態度、中国を二つに分けて台湾にとっている態度、南北ベトナムを分けて南ベトナムを独立させて、ここに何らかの形でアメリカの軍隊を駐屯させようという態度が結局アメリカのねらうところであると私は考える。アジアにおけるこの四つの、それにさらにSEATO、ANZUS等々の諸軍事同盟を考えてみまするならば、ここにアメリカの中国封じ込めの政策というものが明らかに看取できる。その態度の中にこそ今日の南ベトナムに対するアメリカの攻撃の意図が私は隠されていると思う。こういう事態であるがゆえに、佐藤総理はかつてアジア
私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま行なわれた椎名外務大臣の東南アジア情勢についての報告に関連して、佐藤総理大臣に対して若干の質問をいたしたいと思います。(拍手) アメリカは、ベトコンに対する報復と称して、北ベトナムに対して三回にわたっての大規模な攻撃を行ないましたが、ときあたかもアメリカの武力干渉がベトナムで完全に行き詰まり、文字どおり四面楚歌の中で、撤退か、しからざれば北進かというきわめて重大な岐路に立っていたやさきだけに、またコスイギン・ソ連首相がハノイを訪問している最中であっただけに、この無謀にして危険な武力干渉は、全世界に深刻な衝撃を与えたのであります。(拍手)第二の朝鮮動乱を予測せしむるような不安と恐怖を与え
社会党を代表いたしまして、総理大臣、また若干の問題については関係大臣に対して御質問をいたしたいと思います。 まず第一に、佐藤総理の政治的な姿勢並びに若干の内政問題についてお尋ねをいたしたいと思うのであります。寛容といい、また調和といい、ことばではいかようにでもこれを飾ることはできると思うのであります。しかし、申すまでもなく、問題は佐藤総理並びに佐藤内閣がこれをいかに具体的に行動に移していくかということが今日の最大の関心事であると私たちは考えておるわけであります。その意味から、今日あなたの考えておられる寛容と調和の政治とは一体どういう具体的な内容を持つものであるか、このことをひとつお尋ねをいたしたいと思うのであります。 まず、
聞くところによれば、国会対策の中でやはりこの問題が論議されて、自局党の代表の中からは、主として外交問題がやはり論議の中心となるであろう、あるいは国会対策委員長、あるいは政審会長、幹事長等々の段階を経て党首会談等を行なうということになるであろう、こういうことまで論議されたと私は聞いておるのであります。しかし、いまあなたのお話によりますと、まだ具体的にそうしたことを考えておられるのではないのだ、こういうお話でありますが、かなりその点には食い違いがあるのではないか、私は、若干実は疑問を持たざるを得ないのです。民主政治のルールとして、新たに党首会談というような一つの共通の場を持とうとするのかしないのか、この点については総理は考えがあるはずで