ただいまお示しのものがそうであります。
ただいまお示しのものがそうであります。
ちようど設立の当時が、私選挙の眞つ最中でもありましたし、名前を出すだけでよろしいということで、取締役も、あるいは発起人も名前を出したという程度であります。土地の商工会議所の会長が、名前を連ねてくれなければ困るじやないか、そういう意味と、先に申しました主として勤労者の状態等を考えてなつたのであります。その後、初めに社長になりました占部五郎君が独占禁止法の規定によつて社長を辞することになりましたので、当時しばらく社長なしで困つておつたのでありますが、名義だけでいいから——初めからそうなんですけれども——名義だけでいいから名誉社長として、しばらく社長の名前を貸してもらいたい、再三辞退したのでありましたが、どうも聽きませんので、殊に労働組合
それは私は地方から送つてきた新聞等で承知したのです。その後、それを承知したものですから、懇意な社員を呼んで聽きましたところが、そういう事実があつたということは聽いております。
詳しいことは知りません。
その点はよく存じません。届出をしたであろうと思うのですが、私は実務を全然いたしておりませんから、さような詳しい点は存じません。——ここで、ちよつと申し上げてよろしゆうございましようか。
申し上げたいと思いますことは、S・S・K関係の隠退藏物資ということが新聞に非常に大きく扱われておつたものですから、係りの者に、ちよつと來てもらつて、一体どうしたんだということを聽いたところが、それは非常に話が違つておりまして、佐世保鎭守府というものは非常に厖大な区域でございます。その厖大な区域の何十分の一かに属する佐世保海軍工廠の一部を、先ほど申しました轉用命令によつて、軍艦解体その他に使つておる、こういうことでございます。それで出たのは、面高とか赤崎とかで厖大な物が出た。これは終戰前に敵軍上陸というようなことで、競爭的に、むやみやたらに方々に穴などを掘つてかくまつた物でありまして、この区域は現在S・S・Kの存在いたします場所から、
これは当時——先に申しましたように——元海軍、その当時の第二復員局管業部から、会社が発起されました二十一年の四月一日、すなわち三月三十一日をもつて廃止すべしということを当局から指図されまして、管業部は三月三十一日をもつて終りまして、四月一日に、きわめて明細な書類をもつて引渡しを終つておる。これだけの機械と、この地域と、これこれのストツクというようなものは、明細な書類付で引継をしておる。こういうふうに聞いております。
むろん引継の書類には完全に記載されておる。
その通りであります。
代表取締役になつておりました。
法律の解釈は御自由に願つたらいい。私は事実をもつて申し上げております。
これは私は現に——現にではないが、最近いわゆる役人になりますまで、銀行の頭取をやつておつたのでありますが、これも代表取締役で、実務を見ない。東京にばかりおつて、佐世保にはいない。こういう事実があつたのであります。特に会長制などを新たに設けることはめんどうだし、從來の例のままでいこう、内部関係においてはさようなことです。さような例は実業界において、きわめて多い事実でございます。
ちようど私、その社長就任が八月だつたかと思うのでありますが、当時國営問題で、私は民主党の政務調査会長をいたしておりまして、なおさら非常にいそがしい時に、名前だけ貸せと言われてやつたようなことでありまして、重役会には、東京であつた時には出た例があります。一度か二度くらいあつたと思いますが、その他は全然出ておりません。それで專務取役会の代表取締役もおりますし、その他常務取締役の代表取締役もおりまして、その人たちが、自分たちが代表取締役であるのに社長が代表取締役でないということは自分たちがぐあいが惡いから、やはり依然そういう扱いにさせてもらいたい、というような希望がありまして、御希望の通りでよろしいということでなつた次第であります。
代表取締役のゆえをもつて法律上責任を問われるなら、私はもちろん受けます。内部関係においては、全然名誉社長でございます。特にそういう解釈があれは別として、私はさように解しておりません。
私の聽きましたのは、二、三百万円のものが出たということを聽いております。しかしこれは、会社の成り立ちを知つておる私から申しますと、当時混乱に乗じてずいぶんあのあたりではいろいろなことが行われたのみならず、終戰後一年を経て会社は設立せられた、それまでの間にずいぶん荒らされて、物がなくなつたりいろいろなことをやつておりましたので、これをもつてS・S・Kの責任であるかどうかということも問題としては非常にむずかしいことになると思いますし、また特に解体等による資材がドツクのそばあたりに相当積み上げられたりしておつた。ここにも隠退藏があるじやないかというような話が出たというようなことを新聞社の人から聞いたのでありますけれども、これも解体した材料
ただいまの辻さんのお話の通りであります。三、四百万円のものがあつたという事実を聽いておるだけであります。
これ私がただいま申し上げた通りの事実を聞いておりまして、その事実に間違いないと信じておるのでありますが、先ほどから申し上げますようにS・S・Kに関係のない部分から出たものもS・S・Kに関係あるごとく傳えられておる。この点は必ず適当な事実をもつて是正さるべきものである。かように考えておるのであります。
今私は、株が幾株であるかはつきり覚えておりませんが、当初千株くらいのものを求められたと思つておりますので、あるいは千株くらい持つておるのじやないかと考えております。これは必要に應じて書類でも取奇せて的格なことを申し上げた方がいいと思います。それから今貸金があるかということは、私は今親和銀行の頭取を辞しておりますし、またやつておりましても、東京におりまして、実務は全然離れておつたのでありますから、今S・S・Kに貸金があるかどうか、さようなことは全然存じません。
考課状のごときは見たことはありません。
私はかつて長崎縣の特殊物件処理委員会の委員を勤めたことはございますが、この前の総選挙後、昭和二十一年の三月以前において辞したと思つております。はつきりした記憶はございませんけれども。もちろんそれから総選挙後出たこともありませんし、当然自然消滅したか、やめたか、どつちかであります。今全然関係はないと思つております。