そういう指導を加えて片づく問題でなくて、航行の障害になる偽像がもうそこへ出ないようにしなければならぬわけですが、偽像を残したままでもやむを得ぬ、そのときいろいろ指導を加えて航行させるということですか。
そういう指導を加えて片づく問題でなくて、航行の障害になる偽像がもうそこへ出ないようにしなければならぬわけですが、偽像を残したままでもやむを得ぬ、そのときいろいろ指導を加えて航行させるということですか。
指導を行っても最後に偽像が残るということでございます。橋が完成した時点で偽像が残るのです。そのときはどういうことになるかということです。過程を言うのでなくして、アーチ橋ができ上がったその時点で偽像が生まれる可能性がありますということでなくて、いまからちゃんとそのことを用意しておかないと、航行の船にしても船長にしても大変な不安です。また乗組員にしても、いつガチーンとやるかもしれない。現に、この偽像ということに直接関与はなかったけれども、大島大橋で、ガチーンと橋げたにぶち当たって一人死亡したのです。そういう事件が起こっておる。特に、瀬戸内海は最も安全な世界の楽園でありますが、楽園が地獄になっては大変ですからね。瀬戸内海でも、広島県、山口
浅間先生、本四架橋公団はどうですか、塗料によって電波を吸収して反射せしめないで偽像をつくらないようにしたい、そのときに莫大な金がかかってもそういう吸収塗料を用いたい、厚さも厚くしたいということでございますか、費用の限界がございますか。
課長さん、レーダーに映る実像と虚像、それはレーダーの研究が十分足りて、その免許を取った人には明確にわかるということになりますかどうですか。非常な不安な状態だが判別はできるという程度かどうかです。
天候が悪く霧の中を航行するというような状態、いろいろな状態が海上には起こるわけですが、そのときには適切な指導も加えられるということをわれわれはよく承知しております。そうした視界が十分でないときの船長の航行安全のための措置については、それぞれ適切な指導が加えられており、また基準がある。しかし、いま課長さん御自身がおっしゃったように、虚像か実像かが、非常に洗練されたら識別ができるというようなことでは、非常にこれは不安がある。外国の船がここへ入ってくることもある。ここら辺は偽像ができる地区ですよ、大島、大三島は偽像が生まれますよという注意をしても、外国の船などはそういうものを簡単にすっと通っていってガチンとやる危険がある。常に明確に、人間
これでおきましょう。御苦労でありました。
私、村上先生お一人にしぼってお尋ねをさせていただきたいと思います。布施先生の分はお預けにさせていただきます。 私自身が瀬戸内海の島の出身で、終始世界の公園瀬戸内海で幼き日を明け暮れてきたわけです。日本の持つこの世界の宝を大事にするためのいわばわれわれ地域住民の大変大きな防波堤として、瀬戸内海環境保全のための臨時措置法が生まれたわけです。ところが、この措置法に対しまして、一昨年、瀬戸内海環境保全審議会が措置法の第三条の環境保全に関する基本計画の考え方について答申をしておるわけですが、村上先生、これは十分御理解をいただいておられるでしょうか。
概念的に御理解をいただいてありがとうございます。そうしますと、概念的に見られて、さらにこれに織り込むべき問題点はないか。概念的で結構でございますが、大体これに一応の要望が尽くされておるとお考えでございましょうか。
私、先生のいろいろな御意見等もお話を要約された文書等で拝見をしておりまして、得がたいお人がおいでるという喜びを感じているわけです。いわゆるこの環境保全臨時措置法の後継の法律というものについて、先生御自身の御研究によってさらにこれに新しく盛り込んでいかなければならない具体的な御提言があるかどうかです。
大変いい御意見を伺いました。われわれ瀬戸内海に住まっておる者から見ると、実は、瀬戸内海をいろいろと縮めて押し寄せてくる弊害、それは沿岸の重工業化ということです。その重工業化に伴う当然の措置として、埋め立て計画がこれまで、われわれから見たら本当に残念なほど瀬戸内海の環境保全を無視してやられてきたわけです。そこで、この時点で、ここまで進んでこの環境保全にも影響のある埋め立てが大幅に行われてきた以上、新しい埋め立てはもう一切やめるという厳しいものにしてはどうか。環境保全に余り影響のない埋め立てというようなのと影響のある埋め立てというようなものと分け隔てをすると、これはなかなか限界がむずかしいので、現時点において埋め立てを計画されているもの
データを御提出していただくという御意向であります。 私は、この瀬戸内海の環境保全で、もう一つ新しい形態を生み出す状態を考えなければならぬと思うのです。本四架橋が今度できてくる。そうすると、陸上から陸上へ橋で交通が頻繁になってくる。私の郷里、山口県大島という島には一昨年橋がかかりました。その橋によって大量の、一日五千台以上の自動車が入り込んで、特に日曜などはその大島のきれいな島の周辺の海岸が非常に汚されてくるのです。これは、橋がかかるとその美しかった島が、その周辺が汚染されるという、つまり、人間が、それぞれ美しい島へ寄る、そして物を捨ててくる。そういう環境を大事にするための人間教育をまずやらなければいかぬ。旅の恥はかき捨てという被
私の体験から、瀬戸内海は真帆、白帆が行き交うて、島かと見ればみさきなり、みさきかと見れば島なりという世界の公園であるこの喜び、この喜びを日本国民みんなが味わう、世界の人々にも味わっていただくというためには、これはそうした人間の心の中に植えつける大変なエネルギーを必要とするわけでございますが、同時に、私たちの周辺にも瀬戸内海漁業に対する愛着というものは大変なものがあるのです。タイとかハマチとかいうその周辺の漁場を、祖先伝来の漁場を守っていきたい、そして沿岸において養殖にまた新しい道を開きたい、そういう強い願いがあって、しかも日本的に見たならば瀬戸内漁業というものは、先生御自身の御研究を拝見しても非常に大きなウエートに置いていただいてお
先日の在勤俸関係法案の際に、法務省に関係ある質問事項を残しておきましたので、まずその問題から質問に入ります。難民問題でございます。 難民問題に関しましては、特にベトナム戦争の余波を受けまして南太平洋上に浮遊する小舟にベトナム難民が多数、生死のちまたを彷徨していることは世間周知のとおりであります。この難民の救済に当たりまして、われわれ非常に注目すべき発言をワルトハイム国連事務総長によって聞かされております。それは、国連の難民条約を日本は批准していない、受け入れさえもできず、宗教団体の施設に頼っているありさまである、定住も許されない、仕事も与えない、援助もしない、同じアジアの同胞が困窮し訴え続けているのに、日本政府の態度は余りに冷た
国際人権規約をまず批准したい、これはもう世論も熟しているわけです。私、どうして政府はこういう問題に、いま法務省の吉田局長も、また外務省の国連局長も、何とかしたいというお気持ちがありながら結論をなかなか出していない。国連の事務総長さえもこれほど厳しく日本を批判しているという段階で、もはやちゅうちょ逡巡することを許されないと思うのです。特に国際人権のお約束などというものは、文明国として、平和を愛する日本として、人間を尊重する日本として、全人類に対する深い愛情を寄せる意味からも、どうですか、国際人権規約はいつ踏み切ることになっておるのですか。
今国会中にこれを提出する予定でございますか。
今国会に間に合わせたいと大川国連局長は明言をしておられます。法務大臣も同感でございますか。
法務、外務両責任者、特に国務大臣の瀬戸山先生の御発言もありまして、今国会のうちにこの国際的なりっぱな約束を果たすということ、これは党派を超えて答えが出ると思うのでございます。 したがって、もう一つ、国連の難民条約というものは、いま私が示したような国際情勢はもう熟している。特に日本の周辺にそういう問題が続出しようという情勢の中でこれはいま御協議をいただいておるのでございまするが、これは、時期的にはどういうふうな進め方をお考えでございましょうか。
難民条約の方については、いまその時期を明確にすることが困難であるということのようです。ところが現実に日本の周辺にはベトナム難民が押し寄せておる。私、先般鹿児島を訪問しました。一夜城山観光ホテルに宿泊して、そこを訪問してくれた友人よりベトナム難民を乗せた船が鹿児島に入ってくる、入国管理業務の上からこれらの人々を上陸させることができない。宗教団体がこれを受け入れて上陸、そこで国連の事務職員が適当な日当、七百円か八百円かのいわゆる食事代に当たるものを与えて上陸した人々を生活させておる。アメリカへ行きたい、その他の国へ行きたいという人についての手だてもする。しかし日本に残りたいという希望の者に対しては、これはまことに冷たいということでござい
そういう外交交渉などをやるも何もない、もう生死のちまたを縫って辛くも船に助けられて日本の港に入った、お疲れさまと言って温かく迎え上げて、その時点で交渉すればいいので、沖へ船を浮かしたままで交渉するというのは、陸が見える、あそこに家がある、食べたい、水が飲みたい、そういうものを前にして、長い海上の浮遊から救われようとする人を沖に残したまま交渉するということは、吉田先生、これはちょっと残酷ですね。ごちそうを目の前にどうというような問題とは違って、辛くも助かって救われてきた人たちをまず揚げる。 いま施設とおっしゃったが、この施設はどこにでもあるじゃないですか。公共施設、また民間に協力を求めても、こういうのを同じ人類が、同じアジア人が長
ベトナムに関する難民の問題の中で、かつて南ベトナムから日本に留学した学生さんがある。私、昭和四十六年十月に、前の衆議院議長、文部大臣の松田先生と一緒に日本の経済協力でやったチョーライ病院、カントー職業訓練所を二人で視察をしたことがあります。そのときに南ベトナムの首脳部と連日会談をして、これらの国に対する不幸な人々の救援に私自身も大変意欲をわかしたのですが、恐らく政府首脳部の皆さんの中に戦争の結末でいま悲惨な運命に遭っておる人、それはどこかへ亡命しておる。もちろんグエン・バン・チュー大統領自身はアメリカに逃げておるのですが、あの外務大臣、連日、会談した人たちの中にいずれかへ亡命しておる者もあるかと思います。これらの政治的な意義のある亡