戦闘機の製造計画と申しましても、現在三菱はF86の製造をやっておるわけでございまして、どういう飛行機かわかりませんが、86でございますと、これはだいぶ前の話でございまして、国防会議のできる前の国産計画になるものでございますから、そういうものはないと思います。それからそのほかの戦闘機についても、三菱社の製造計画といったものを私の在任中に聞いたことはございません。
戦闘機の製造計画と申しましても、現在三菱はF86の製造をやっておるわけでございまして、どういう飛行機かわかりませんが、86でございますと、これはだいぶ前の話でございまして、国防会議のできる前の国産計画になるものでございますから、そういうものはないと思います。それからそのほかの戦闘機についても、三菱社の製造計画といったものを私の在任中に聞いたことはございません。
三、四回くらいしたと思います。
打ち合せというわけではございませんが、再三御証言申し上げましたように、個人的につき合いをやっておりますし、まあ天川氏個人の名誉に関することもいろいろ出ておるようでございますし、そういった関係で、天川氏のところへ行って、その後の内輪話とか世間話をした、あるいは私の関係の証言で先生に聞いておいた方がいいという点も聞いたことがあると思います。
天川氏が新三菱の顧問であったとか、あるいはその金がどこから出ておるとかというふうなことを、まず私の知らかったことにつきまして、天川氏の意見を聞いたことがあります。
新三菱の嘱託とか何とか、そういった職員では全然ないと言っておられました。
金については大部分が三洋だが、一部新三菱とかそのほかの会社から出たのもあるというふうに言われました。
そこまでは尋ねません。
金がどこから出たか、この前の証言でも申し上げましたように、当時私は天川氏にお願いして、天川氏と一緒に飲んでおった。どこから出たかについては、当時は三洋電機からおそらく出ているだろうと推測しておったわけでございます。
三洋、新三菱が出した金をどこに使われたか、それは私は存じません。
天川氏なんかと一緒に会食しました分の支払いについては、先ほど申しましたように、当初は三洋電機から出ておるのだろうと推測しておったわけであります。
たしか二十八年以来の古いつき合いでございますから、それで先生も酒のきらいな方でございませんから、一緒に飲みにいこうというふうなことで、再三行ったわけでございます。別に先生がついているわけではございませんけれども、いろいろ御意見を聞かせていただく、その人からごちそうになったという結果にはなっております。
そういう金銭上の関係については別に聞いておりません。
私と天川氏の飲んだ分が、この前の委員会の委員方の御質問によりますと、新三菱から出ておるということがございましたから、そういうようなことがあったかどうか、それを聞きに行ったわけでございます。天川氏の所得なりあるいは収入の全体が幾らか、そういうことについてはお聞きしたことはございません。
一部あると言っておられました。
別に不思議に思ったことはございません。
別に先生が文学博士あるいは理学博士であるとはっきり申したことはございません。世間でそういうふうに確かに言われておりましたが、あるいはその中には、いやそうじゃないんだ、という人もおったようでありますが、その点について、果して博士号を正規に持っておられるかどうかまで伺ったことはございません。
推薦と申されましたが、私は別に天川氏を推薦というような意味でやったのではございませんで、非常にいろいろな斬新な知識を持っておられるし、総合的な話が非常にうまい人であるから、一度話を聞いたらどうかというふうな意味で、御紹介申し上げたということでございます。
国防会議の事務局の、だれだったか忘れましたが、事務局の方に、一度話を聞いたらどうかというようなことで申し上げたことはございます。
たしか国防会議の事務局が発足した当時でございますから、昭和三十一年の夏ごろだったと思いますが、従ってそのころは私は大蔵省の主計官をしておったわけでございます。
廣岡事務局直接には話さなかったように覚えております。