だれをお呼びして話を聞くかということの決裁については、むろん事務局長の決裁は要ることになっておるだろうと思います。
だれをお呼びして話を聞くかということの決裁については、むろん事務局長の決裁は要ることになっておるだろうと思います。
予算の使用につきましては、やはり事務局長の承認が要るはずでございます。
事務局の都内の事務を総括して管理するという意味においては、そうであろうと思います。
一番先にお会いしましたのは、たしか役所でございます。その後一、二回飲んだことがあるというふうにこの前は御証言申し上げたはずでございます。
一、二回と申し上げましたが、この前の証言でも申し上げましたように、どうも赤坂方面であったような気がするのでございますが、具体的な場所は、はっきりしないということを申し上げたわけであります。
別にそういう事実はございません。
これは私生活にわたることもございますので、どの範囲までお答えすべきか、ちょっと……。
その岩瀬とか井星という方は存じませんから、飲んだことはないと思います。
益田氏以外はもとの私の部下でもあり、あるいは防衛庁で同じような仕事をしておる人でございますから、飲んだことはありますが、しかし益田氏という人は私存じませんから、おそらくそういうメンバーで飲んだことはないと思うのです。
今、名前を四人ばかりおあげになったのでございますが、そのうちで船後、田中、森本君というのはときどき飲んだことがございますが、しかし益田君という人は私存じておりませんので、おそらく酒席の席でも一緒に飲んだことはないと思っておる次第でございます。
その日に飲んだかどうか、この前の証言でも申し上げましたが、はっきりしたメモをとっておりませんので、その日に船後君たちと飲んだかどうかはちょっと私の記憶にはないのであります。
先ほどの四人のメンバーで飲んだ事実はない、こう答えたと思います。
三人のメンバーで飲んだことにつきましては、ときどき飲んでおりますから、その日に飲んだかどうかはわかりませんが——その日に飲んだかどうかとおっしゃられると、私としては、どうもはっきりわからないと答えるよりしょうがないということであります。
船後君たちと飲んだのは大乃あたり、あるいは京稲あたりで飲んだと思います。
幾松で船後君や田中君と飲んだ記憶はないのでございます。
天川氏と、たしか二回ばかり幾松で飲んだことはございますが、そのときは船後君や、そういった森本君とかいうメンバーはいなかったと記憶しております。
だいぶ前のことでございますから、同月というほどのなにも現在記憶から薄らいで、ちょっと思い出せないのであります。
先ほどの幾松で飲んだかどうかは、はっきりしないのでございますが、天川氏、船後君と飲んだときには——大体船後君は、天川氏が旧海軍省時代に同じ課でたしか働いておった懇意な関係にあるのでございます。こういった関係で親しい間柄で、ときどき飲んだということでございます。
酒席の席で天川氏のいろいろな新しい知識をお聞きする、あるいは昔語りをするというふうな趣旨で飲んだわけでございます。
プライベートな関係で天川氏とは再三つき合っておったわけでございまして、そういった間柄で、天川氏も昼間は勉強されたり、あるいは講演に行かれたりして忙しいようで、会えないことも多いわけでありますから、夜聞いたこともあるということであります。