デザイン・ブックを提供したとは申し上げなかったと思うのです。そのデザイン・ブック等で大いに議論したことはあるというのでございますが、デザイン・ブックを差し上げたというようなことはございません。
デザイン・ブックを提供したとは申し上げなかったと思うのです。そのデザイン・ブック等で大いに議論したことはあるというのでございますが、デザイン・ブックを差し上げたというようなことはございません。
私が疑問とする点につきまして、ここにこういうふうなデータがあるのだが、どう考えたらいいだろうかというような意味で、その個所を指摘して議論したことはあります。
お答えいたします。何月ごろかとおっしゃられましたが、この前もたしか御質問のときは、おととしでございますか、おととしの夏ごろから去年のたしか九月か十月ごろまでというお話でございましたですが、いつごろと申しまして、はっきり記憶しておりませんが、大体……。
はっきり記憶はございませんが、大体冬ごろの寒い時期に月二、三回くらい、多い月と申しますと、たしか二月ごろではないかと思いますが、四、五回程度あったのではないかと思います。
前回御証言申し上げましたほかに、ちょっと記憶には上りません。
当時、みな天川氏がお払いになっておるものと思っておりました。
はい、その通りでございます。
天川氏がだれから金をおもらいになり、それで払ったかという、そこまでは当時せんさくする気もございませんでした。
私は経理担当の参事官ではございませんでしたから、幾ら払ったのかは承知しておりません。
別にそういう話はございませんでした。
私が国防会議に参りましたのは、国防会議が発足してから約一年ぐらいたったあとでございまして、天川氏はその前から国防会談でときどき御講演をしておられたようでございますから、どういう意味で最初出られたかは、私は承知しておりません。
今、謝礼の点を申されましたが、山田委員がお聞きになりましたのは、国防会議の事務局として天川氏を呼んだときの謝礼の意味のように聞いたのでございますが、先ほどの謝礼は、その限られた謝礼じゃなくて、天川氏がもらっておられるいろんなほかのところでやります講演の謝礼であった、そういう意味であったように私は記憶しておるのでございますが……。
当時、天川氏はいろいろのところで講演をされ、あるいは会社の顧問もされておるように聞いておりましたから、大丈夫だろうと当時判断したわけであります。
そんなに払っていないと思います。全体の謝金でもおそらく——今どうか知りませんが、私がだいぶ前に国防会議事務局の予算を主計官として担当しておりましたときにも、一回十万円払える程度の謝礼をつけた覚えはございません。
存じております。
天川氏のところへ行っていろいろお話を聞いたりなんかし、あるいは天川氏に講演の依頼をする際に大体宮田秘書が出られたことが多かったと思いますが、そういう関係で知り合いになったわけであります。
その後は会っておりません。
知りません。名前は聞いておりますが、本人がどういう人であるか、会ったこともないのであります。
天川氏とは昭和二十八年くらいからのおつき合いですから、むろんその間天川氏のお宅に伺ったこともございますが、当時そういう西野という秘書がおったかどうかは、はっきり覚えておりませんし、おそらく会ったことはないじゃないかと思います。
西野功という人を紹介していただいたこともございませんし、私の感じでは、おそらく会ったことはないと思っております。