そうです。次から次へと他の收容所にかわつております。ほかの收容所は二十二年暮れ以降はほとんど全員参加しております。
そうです。次から次へと他の收容所にかわつております。ほかの收容所は二十二年暮れ以降はほとんど全員参加しております。
露骨に見えました。
そうです。
二十三年の三月ムーリーの将校收容所で、日本大隊長をめぐる選挙運動が行われて、自治生活の中で大隊長の選抜ができて、反動と目される人から一人、デモクラートと目される人が一人、ここで選挙闘争をやつて、選挙カンパの結果は、五百何名いた将校收容所ですが、二百六十三名のいわゆる反動と目される人が草地という人を選挙して、デモクラートと目される人に、わずか五票か六票の差で反動と目される方が勢力があつて勝つたのであります。それがためにその選挙をソビエト側は弾圧して無効にしましたが、その当時、二十三年の三月、全地区には大体反動と目されるのは将校收容所あたりはもちろん、一般收容所にも数えるほどしかありませんが、私のいた将校收容所では、二百六十三名というよ
つるし上げカンパ、極左的偏向というものは、日本新聞に野坂參三氏の極左的偏向批判というような……。
メーデーが終つたころで……。
昨年の五月か六月と思います。これは大きく日本新聞の二面全部に、野坂氏の極左的偏向についてということが出ておりました。いわゆる引きまわし主義だとか、いろいろな最近における行き方、いわゆる極左的偏向に対する注意が非常にこまかく出ておりました。それからその民主運動自体が極左的であるという自己批判のもとに、人をたたくことはまずいというような自己批判というものがここになされて、ある意味における極左的偏向というものは徐行的な傾向をたどりました。
労働攻勢という問題で、国鉄を含む産別傘下の労働攻勢というものは、相当濃厚になつて来ているという、労働攻勢の記事。それから三鷹事件、平事件はそのころでなかつたと記憶しておりますが、舞鶴事件あるいは京都事件、そういうような記事が出て、野坂批判というものと関連して、民主主義運動の流れというものは、極左的偏向の愼しみ、いわゆる帰還船の中で船長をつるし上げたとか、そういうことはやはり間違いであるというような、極左的流れというものが、徐行されて来ております。
日本新聞では、労働攻勢の中のある事象として、つまりベースにからみつく問題であるというような、分析的なことが行われておつたように思います。
あまりありません。
それは收容所の閉鎖とともに動いた場合もありますし、民主運動の対抗部隊としての存在という意味でかわされた場合もあるし、地区閉鎖とともに動いたこともあります。いろいろ動いた実情は、そういつた特異性によつて動いたのであります。
もし私自身がソビエトでいう戰犯であるならば、一回ないし二回は取調べが行われなくちやならないと思います。だが私自身は、帰国するまでかつてソビエトの軍事的なMVDから、一回も取調べを受けたことはありません。
はあ、寄稿しました。
見ました。
私は実際はもう少し長いものを書きました。
それは私の客観的な見方です。
自分で見た新聞社の内容、あるいは実際太平洋の星に使役に行つた場合聞いたこと、見聞事項をみな含んだものであります。
そうであります。直接日本新聞社の記者から聞いたものもあり、ツリロコフ大尉に会りたこともあります。
日本新聞社には入つたことはありません。外側から……。
外側からガラス越しに輪転機が動いておるのが見えるのです。