つまりこの憲法のこの改正の手続には、憲法が規定しておりますのは、その国民の総意で発案する、そのことだけ書いてありますですね。すなわちその場合には、国会の両院の三分の二を何したものでなければ発案はできない。これだけの規定しかないのです。
つまりこの憲法のこの改正の手続には、憲法が規定しておりますのは、その国民の総意で発案する、そのことだけ書いてありますですね。すなわちその場合には、国会の両院の三分の二を何したものでなければ発案はできない。これだけの規定しかないのです。
その場合に、この規定の精神を拡張してですね。私から言わすれば、それは拡張し、あるいは精神をくんで、こういう規定があるから、その国会できめる原案の原案を発議するということは、これはやはり議員でなければならんのだと、こういう説もあり得ると思います。しかしまた、何も書いてないのですから、その場合には、一般の原則によって、議案というものを国会に提出するという一般の原則に帰って、政府もまた、その原案の原案を提起してもよろしいというお説も成り立つわけでありまして、政府は後者の見解をとっております。
はい、さようでございます。
私の方の見解については疑いはないのです。ただ、世間にはそうでないという説もある。これはしかしながら、明文には出ないのですから、その精神を拡張してやれば、そういう解釈も世間にはあるということは承知しております。
政府としては、それは考えて、疑義はないのです。そういう解釈でよろしいと思いますが、これがあるいは憲法調査会で、これはどうもそうでないという説もあるから、変えた方がいいという論が出るかもしれません。それは今、私は予想する限りではございません。
私まだ具体的にどうだということは承知しておりませんが、こういう場合に、前例がございますから、こういったような各種の委員会で選ぶときの、国会議員をやるときの……。そういう前例を私は踏襲して、内閣の方で公平にやるだろうと思います。
特別に理由がなければ、これは変えない方が公平だろうと思います。変えるには変えるだけの特別な理由がなければ、やはり従来やってきた慣例というものを尊重することそれ自体が公平だろうと思います。
ですから私が申し上げましたのは、ただ従来の慣例がそうなっておって、別にそれに不都合も認めない、こう思うのでございます。それですから、従来の慣例通り多分内閣の方で現実の問題のときにやるだろう、こういうことだけは申し上げておきます。
お話の点はあまりなまなましい(「なまなましいから大事だ」と呼ぶ者あり)現実の問題でございまして、これはただ憲法調査会の法案なんでございまして、これは憲法を改正する場合とかどうとかいうこととはちょっと縁が遠い(「えらい縁があるのです」と呼ぶ者あり)のでございまして、私が今そういう問題についてどうもお答えするのは適当でないと思います。
先ほど申し上げた点で尽きると思いますが、とにかくこの憲法の改正の問題は今のお引きになりました小選挙区法と違いまして、議会がこれを最終的に決定するんじゃないんですね、国民投票というもので国民全般がこれをきめるということは言うまでもないことでございます。それでございますから、世論を無視して一体案が立ちようがないのです、これは国民全般がやるのでございますから。それですからそういう御心配は私はないと思います。
私もはなはだ何ですけれども、憲法調査会法案の担当をお手伝いをいたしておりますので、憲法そのものについての学者でも何でもございませんが、ただせっかく御指名でお話でございますから私の法律的常識に基いた見解を申し上げますれば、自衛権があるかないかということはこれは憲法九条からきているんじゃないんです。私の見解は、これは独立国家としてこれは当然の権利なんですから。ただ問題はその当然の自衛権の行使といううちに武力行使が入るか入らぬかということが、これは問題であろうと思います、さっきからの問題は。しかるに九条に書いてあるのは、どんな場合でも、自衛権の行使の場合でも戦力を動かしてはいけないとは書いてない。国際紛争を処理するという場合だけに限る。だ
よけいなことですけれども私は自衛戦争ということはないと思うのです。
それで、これは戦争じゃないので、戦争といえば国際法上に一定の概念があるので、そうじゃないのです。九条のは戦争じゃない。独立国家たるものは自衛権というものがあって、自衛権は行使する。そこで自衛権というものを行使するためにどれだけの兵力が要るか、こういうことです。その兵力が要るということは、これは自衛権というものの性質からいって、抽象的にいえば、最小限度の必要にとどめるのですから、そこで最小限度の必要というもののうちにおいて、私は今政府で考えておる計画は入ると思うのです。しかしながら、最小限度というのはだれがそれなり最後にきめるかといえば、これはいろいろの手続きもございましょう。国防会議ができればそれもありましょう。これは結局国民の代表
さようでございます。そうでなければ、国際紛争のためにはこれは戦力は持てないのですから、規定上許されるものは自衛戦争じゃないのです、自衛権の行使だ。それに必要な最小限度のものの範囲外に出ることは、これは理論上あり得ないとこういう私の見解でございます。
それですから、先ほども申し上げました通り、結局は、終局的にはこれは国会がきめるべきものだと思います。兵力量も、これは私はよく存じませんけれども、多分法律できまっているだろうと思います。その他の予算の関係もございますし、政府は自衛権の行使に必要な最小の兵力はこれこれだという見解を持って、それに法案を立ててこれを国会に出しましても、国会がそれは最小限度以上じゃないか言えば、これは削るわけですね。ですから最終の決定は、これは国会がきめる、そういう建て前だと私は承知しております。
私はさっき申し上げました通り法律の専門家でもございませんし、違っておれば何ですけれども、ただ私の法律的常識から申せば、戦争というものは、これは国際法上の一つの概念があるのですから、お話のように自衛権の行使は、これは別な観念であります。ただお話の点は戦闘行為が両方に共通にあるのじゃないかということであれば、これはあります。しかしこれは戦闘行為であって、互いに殺傷し合うということであって、それが直ちに国際法上の戦争というものじゃないと私は思います。
私は国際法上の戦争というものじゃないと思います。それであるから、この二項にも交戦権というようなものは、これはない、こう規定している。
私の申し上げるのは、戦争と言えば、国際法上の一定の概念がこれはあるのです。そこで戦争というものは、どういう場合には、たとえば交戦権の内容にいたしましても、つまり敵の戦力を粉砕する、敵をして城下の誓いをなさしめる、あるいは中立国の船舶を掌補する、いろいろそういう意味の国際法上の交戦権というものはございますけれども、それがことごとく全部自衛権の行使のうちにいくかいかんかということは、これは私は問題だろうと思います。
それは戦争は当然でしょう。宣戦を布告しているのですから……。これと自衛権の行使とは別問題です。
私も詳しいことは何ですが、それは侵略に関することの条約でありますから、解釈でありまして、それが直ちに戦争かどうかということとは私は別問題だろうと思う。