紙の容器の代金は大体一円六十銭くらいだということですけれども、これは事実ですね。
紙の容器の代金は大体一円六十銭くらいだということですけれども、これは事実ですね。
いままでのびん代の小売り商の実際上の負担は、大体三、四十銭というふうに聞いておりますけれども、これは事実ですか。
その場合に、非常にやらなければならない合理化として紙容器にしておる。しかも、紙容器にしたがために、将来はもうけていくでしょう。だけれども、その切りかえどきの大事なときに、小売り商が負担の増加になって、この必要な合理化をいやがる。あるいは、こういうことをやっても、結局自分たちだけが損するんじゃないかというような感じを持たせては、この必要な合理化自体が進まないことになることは非常にいけないことですね。そういうことを考えましても、また、いままでびんの場合にはメーカーが相当負担しておるが、今度紙になるとメーカーが全然負担をしない。しかも、その紙に詰めるいろんな費用についこの国のいろんな援助もメーカーにはあるということになると、これはやはり常
いまの十四円十銭という値段で、いままで小売り商はびんに入れた牛乳を売っていたわけですね。そうでしょう。十四円十銭というコストで小売り商はびんに入れた牛乳を受け取って、その牛乳を売っていたわけですね。しかし今度の場合は、十四円十銭という同じ値段で、一円六十銭という紙の容器代が加わって、これを小売り商が売るのじゃないのですか、いまの転換というのは。
そうでしょう。現在行なわれているのは、びんを紙にかえただけじゃないですか。
何だかちょっとわけがわからないけれども、その合理化のメリットというのは、単に小売り商だけじゃなくて、メーカーもあるのじゃないですか。
それは、確かにメーカーは、いままでびんの容器のためにいろいろ投資をなさっておる。このびんの投資がだめになる。紙容器の投資がまた必要だという問題も起こります。起こりますけれども、この問題があるからといって、新しい紙容器の代金をメーカーが全然負担しないというのはおかしいのじゃないですか。小売り商だけがそれを負担するという結果になるのだから。そうでしょう。十四円十銭という値段は変わりませんよ。値段は変わらないで、小売り商はそれにプラス一円六十銭という紙容器代を加えて売らなければならない。そうですね。メーカーはびんに入れなくても済むのですから、びん代金だけは減ってくる。ただ、いままですでに投資した分は、これはだめになってくる、そういう関係に
どうもよくわからぬけれども、いままでびんに牛乳を入れた。このびんをととのえる費用も、びんをつくる費用も、いままではメーカーが負担したわけでしょう。そうじゃないの。メーカーがびんに入れた牛乳として小売り商に渡して、その代金として小売り商は十四円十銭払ったのでしょう。そうでしょう。ところが、紙容器になれば、そういうびんは必要でないでしょう、全部かわったとすれば、紙容器の分だけは。そうでしょう。そうですね。そうだとすれば、メーカーは、つまりいままでのびん代だけは要らなくなるということでしょう。投資部分がだめになるという問題はありますよ。これは別にして、どうも私はよくわからぬけれどもね。私の言うのは、いままで十四円十銭で、小売り商がびんを込
それはわかりますよ。わかるけれども、十四円十銭という値段が同じで、メーカーと小売り商との負担の均衡というものがとれますかということを言っておる。しかも、今度はびんが要らない。紙容器は小売り商が負担をする。こういうことになるでしょう、紙容器になるということは。そうじゃないですか。
そのメリットの問題は、小売りにもメーカーにも両方あるわけですよ、よく売れるわけだから。そうでしょう。だけれども、ここで私が問題にしているのは、新しい紙容器の一円六十銭というもの、しかもこれは容器代で、容器代というのは普通通念からいえば、メーカーが負担して小売り商に持ってくるものですね。そういうものとして売っているんでしょう。そうじゃないですか。アイスクリームも、封を取ったらすぐ食えるような形で市場に出しで、小売り商がこれを売っている。その問題も必要な合理化だ。必要な合理化だけれども、その新しい一円六十銭という容器代を小売り商だけが負担するのはおかしいじゃないか、というのが私の質問なんです。メリット云々じゃないんです。メリットは、あな
だから、その分をもらって、メーカーはその分を何にしますか。紙容器代の分を。
それならば、紙容器にかわったときに、メーカーはいままでよりも負担は少なくなるね。びんが要らないんだから。そうじゃないですか。
それをどうしてメーカーが負担していけないの。紙容器代の一部をどうしてメーカーが負担していけないの。
つまり、それを小売り商が負担するのがおかしいというわけですよ。小売り商の取り分が多くてメーカーの取り分が少ないという話は、別の問題としてありますよ。しかし、びん容器を紙容器にかえる場合に——これは必要な合理化です。これをかえる費用の一円六十銭なら一円六十銭としたものを、小売り商だけが負担をするという結果になるわけですよ。そうじゃないですか、そうでしょう。それがおかしいのじゃないかというのが私の質問なんですよ。
だから、このことを私は質問しているわけじゃないですよ。小売り屋さんも将来どんどん合理化されて、経費も少なくて配達もできて、メリットもあるだろう。しかし、小売り屋さんが過渡期の場合に負担して、メーカーは負担をしないというのはどういうわけですか、高くなった部分を。メーカーだけは負担しないで、小売りだけが合理化の負担をするというのはどういうわけですか。
この容器の切りかえの一番頼みになるのは小売り屋さんですよ。小売り屋さんが新しい容器を一生懸命消費者のところへ持っていって、このほうがいいから、このほうが結局安くなる可能性があるから、これを使いましょうよ、こうしなければならないのですよ。この合理化を一番実行する小売り屋さんが、いままでよりは高い値段になった、そういう状態で合理化ができますか。
過渡期の問題としてどういうふうに考えますか。
それでは、メーカーのほうはへいままでと変わった点はどういう点……。もうけっ放しということになりますか。
容器代がかかっているけれども、一斉に切りかえれば、びんはなくなるでしょう。びんにがかった費用はなくなるでしょう。
私もよくわからないけれども、とにかく、私の言いたいのは、この合理化は必要な合理化です。この合理化を消費者にPRするのは牛乳屋さんです。消費者に宣伝して回って、配達するのは牛乳屋さんです。この牛乳屋さんが、紙容器にかわったがために、紙容器に必要な一円六十銭というものを余分に負担するような指導のしかたというのは間違いじゃないか。もっと牛乳屋さんが納得できるように、メーカーもその切りかえの費用の負担をし、牛乳屋さんも適度の負担をするというような形で、この必要な合理化を推進していくのが正しいじゃないか、こういうふうに思うのですよ。これは間違っていますか。