ちょっとその布令の内容を持ち合わせておりませんが、結局現行犯を見たらそれを一応は押えて、そしてMPに引き渡す、こういうかっこうになっておるわけであります。だから、現行犯がもし見つかった場合には、一応はそれを取り調べて、すぐアメリカのMPに引き渡す、その後は沖繩側のケースには何ら関知しない、こういうことでございます。
ちょっとその布令の内容を持ち合わせておりませんが、結局現行犯を見たらそれを一応は押えて、そしてMPに引き渡す、こういうかっこうになっておるわけであります。だから、現行犯がもし見つかった場合には、一応はそれを取り調べて、すぐアメリカのMPに引き渡す、その後は沖繩側のケースには何ら関知しない、こういうことでございます。
いままでも基本的にはおっしゃるとおりに関知できないケースがだいぶございます。ところが、問題によっては県民で抗議集会を持ちまして、そして直接に上司に会いまして抗議文を出したりすることもいたします。ときにはその裁判の公判の傍聴を申し出て許されることもございます。しかしこれも常に許されるわけではございません。県民の世論というものが、もう傍聴をしなければがまんならぬ、こういう世論をくみ取って、それから人員を制限をしてその傍聴を許す場合もございます。ところが、それは軍裁判でございますので、また、その軍裁判の構成の組み立ても違っておりますので、傍聴してかえって非常に憤慨して帰るような実情でございます。その結果がどうなったかわからぬという、行くえ
これは損害賠償を請求する場合の沖繩側のいろんな基準がございまして、その算定に基づいて一応要求するわけであります。それに基づいて相手はいろいろ査定をするわけでありますが、それはケースによってもいろいろ違います。ところが、異例なケースとして、沖繩側がアメリカの兵隊の酒気運転とかあるいはスピード運転でひき殺される事件がありますが、これに対しては、一例を申し上げますと、三千六百ドルの賠償金が出されたことがあります。ところが、アメリカの子供が、前の主席の松岡主席は配電会社の社長でございますが、その松岡配電の変電所に入り込んでけがをした事件がございます。その賠償額の要求が二十五万ドル要求されておるわけなんですね。そのように、一方は死んでも三千六
私、ただいま御紹介いただきました沖繩県祖国復帰協議会の会長をいたしております喜屋武眞榮でございます。なお、明らかにしておきたいと思いますことは、私の本務は、沖繩の教育者で組織しております沖繩教職員会の事務局長をいたしております。なお、今回懸案の裁判移送問題で、沖繩はいま島ぐるみの盛り上がりの中でこの撤回運動が続けられておるのでありますが、その民間団体を結集して組織されました撤回共闘会議の議長をいたしております。今回、このようなありがたい、そうして私たちにとりましてはまことに絶好の機会をお与えくださいましたことを、心からまずまず感謝申し上げます。 自治と自由と民主主義を求める人間にとりまして、孤独と分離は人間不幸の中の最大の不幸で
お答えいたします。沖繩の教育費は、いまは七月になりましたので新年度ですが、前年度でいたしますと、教育予算は全予算の三二%程度でございました。ところが、その中で、日本政府の援助は教育予算の二%、アメリカの援助が二二%、合わせて一五%でございました。そうすると、八五%はわれわれの血税を中心とする民負担でやったわけであります。だから、このような状態で沖繩の教育が復興するはずはございません。一例としてお隣の鹿児島と比較をしますと、鹿児島県は、全教育予算の七五%が国庫だったと記憶いたしております。鹿児島は、戦前戦後、何を比較いたしましても沖繩よりは有利であったわけでありますが、そのような鹿児島県でさえも、八〇%近くは国庫が負担し、二〇%そこそ
お答えいたします。復帰協といたしましては、即時祖国復期を旗じるしに掲げながらも、復帰路線といたしまして、たとえば渡航の自由とか、国政参加とか、主席公選だとか、あるいは日本国憲法を適用してもらいたいとか、布告、布令を撤廃するとか、あるいは公社を民移管するとか、裁判権の民移管とか、こういったことを復帰路線と称しておるのでありますが、この路線を設定いたしまして、その実現に努力いたしておるわけであります。したがいまして、その線から当然われわれは憲法の適用を前提とし、そして布告、布令の撤廃を打ち出しておるわけでありますので、その線に沿うて、復帰協といたしましては、全県民の意思としてこの線に進めていきたい、かように存じておるわけであります。さら
さようでございます。
いま数字的な詳しいデータは持っておりませんけれども、医療行政の面からの貧困性、あるいは設備の問題、あるいは無医村、医者の絶対数が足りませんために、現在におきましても、技術援助という形で六カ月ないし一カ年、あるいはまた高度の技術は短期間本上から御援助をいただいておる状態でありますが、平均余命は、私の記憶では男六十八、女七十だったかと思います。そういった余命のパーセントからすると、本土に遜色はない、こう数字の上からは出ておりますが、たとえば結核の患者に対して、沖繩自体でこれを処置できない状態もたくさんあるわけでございますが、そういう方々を本土の施設に送り出して収容し、あるいは手術をしてもらっておるわけでありますが、その他の病気も、最近特
はい。
現地における大学は、琉球大学、沖繩大学、それから国際大学、短期大学としてのキリスト教大学がございますが、全部で約四千名、それから本土の大学に進学している方が約四千名であります。 こういう概数になっておりますが、本土に進学している、またせんとしている若い学徒の渡航の問題との関係におきましては、過去におきましてはきびしい渡航の制限がありましたために、いわゆる進学の自由、あるいは就職の自由、あるいは病気をなおしに行く自由、こういうことも過去においてははばまれた例がございまして、それが問題とされておったわけでございますが、ごく最近では、進学のための渡航についてはないものと思っております。十分調査はいたしておりませんが、最近は進学するため