宣 誓 書 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います 平成七年三月三十日 堀江 鐵彌
宣 誓 書 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います 平成七年三月三十日 堀江 鐵彌
はい、さようでございます。
生年月日は、昭和六年三月十三日でございます。住所は、東京都練馬区大泉学園町七の十四の十でございます。職業は、日本長期信用銀行の取締役頭取でございます。
お答えを申し上げます。 金融機関の役割は、今さら先生に、釈迦に説法で、申し上げるまでもございませんが、国民の資金を、あるいは預金を集め、それを国のインフラストラクチャーあるいは産業、商業その他に、その重要性に従ってこれを配分していく。要するに、国の資金の配分という意味で非常に公共的な性格を持っておりますし、日本の経済の発展のために動脈のような働きをする極めて社会的に重要な役割を持っている機関であるというぐあいに考えております。 このイ・アイ・イの件につきましては、ちょうど一九八六年から九年にかけまして黒字がたまり、これを還元する必要があるといったようなこともございましたが、しかし同時に、海外リゾートといったものも非常に盛んに
お答えを申し上げます。 この新銀行のスキームにつきましては、昨年の十二月の六日に日銀の氷川寮という場所がございまして、そちらで御説明がございました。御説明をされた方は、西村銀行局長と日銀の小島理事でございました。 それで、そのときには具体的に出資とかそういった金額につきましてのお話はございませんでしたが、要するにこのスキームの構想と、それからそれに、まあ金融機関としては、私どもは例えば出資と、それからその銀行に対する収益支援とを分担する、それ以外に、まあイ・アイ・イのメーンバンクであったといったことにかんがみまして、特別の負担をお願いする、その負担の金額は収益支援ベースで二百七十億であるというぐあいにお話がございました。
その明細を申し上げたいと存じますが、要するに、その新銀行の設立に関しまして出資が六億円、それからその新銀行に対する収益支援が十億円でございます。 で、そのほかに、この二信用組合の不良資産は、この新銀行とは別途にいわゆる不良資産保有機関といったところに一時ため込みまして、そこでいずれ償却をしていく。都信協、東京都信用組合協会でございますが、そこが不稼働資産の保有をするわけでございまして、そちらに対する収益支援が二百七十億ということでございます。
この都信協、不稼働資産の保有機関がこれを保有いたしまして徐々に償却するわけでございますが、その原資が、例えば私どもの二百七十億円と先ほど申し上げましたその中から結局こういった不稼働資産を償却していくわけでございます。 ただ、それを保有していくにつきまして、これは保有するだけで運転資金がかかってまいりますので、その運転資金につきまして私どもが融資をいたしましたのですけれども、これは普通のコマーシャルベースの貸し出してございます。別に収益支援ということとは関係ございません。
いわゆる運転資金の供与につきまして、どこから話がございましたか、ちょっと私は定かには覚えておりませんと申しますか、はっきり申し上げられないのでございますが、ただ私は、これは恐らく都信協からその話があったんだろうというぐあいに思っております。 それは、要するに不良資産をずっと抱いていくための運転資金でございまして、結局その分は全部コマーシャルベースでいくわけでございます。そのいわゆるコマーシャルベースその他の、何と申しますか、経費は結局私どものそういった二百七十億の収益支援で行われるということになるわけでございます。
お答えを申し上げます。 この西山荘カントリー倶楽部の案件につきましては、私どもの新宿支店で受け付けましたのでございますが、私どもでございますと審査その他に日がかかる、日にちがかかるといったようなこともございまして、この東京信組に紹介したわけでございます。 東京信組はこれを協調融資で、例えば八千代信金の子会社の八千代リースであるとか、そういった三行で協調融資でその資金を調達したというぐあいに聞いておりまして、私どもはその融資には入っておりません。 なお、申し上げますと、私がそうやって紹介をいたしました案件は、この西山荘カントリー倶楽部の案件一件だけでございます。
お答えを申し上げます。 本件に関しまして、私どもが紹介した案件があるかどうかにつきまして、私は部下を呼びまして詳しく調査を命じました。その結果は、あくまでも一件であるというぐあいに報告を受けておりますので、私はその言葉を信じたいと思います。
お答えを申し上げます。 御承知のように、九〇年の十一月から、東京協和信組並びに安全信組両者につきまして、特に九一年の四月にかけまして資金繰りが非常に繁忙になりました。私どもがその資金繰りの状況をウォッチいたしまして、どうしても穴があいてしまう。これはもちろん、高橋さんに大口預金をできるだけとってきてもらうとか、あるいはイ・アイ・イ社からできるだけ資金を返してもらうと か、いろいろそういった形での資金繰りの緩和を図ったわけでございますが、御承知のように、私どもは関連会社を通じまして、一番ピークでは東京協和信用組合は三百七十億円、それから安全信用組合につきましてはピーク六十六億円の緊急預金をしたわけでございます。 ただいま先生
お答えを申し上げます。 たしか一月の七日付の資料だと思うのでございますが、これは第一次リストラ実行前の、とりあえず暫定委員会をつくるといった形のときの資料であるというぐあいに思っておりますが、これは、その精神といたしましては、このリストラ計画になりましても、少なくともイ・アイ・イにつきましては、全面的に経営に関与するというつもりで当然おったわけでございます。 しかしながら、その下の方に書いてございます例えば安全信組、東京協和、ゼネラルリースあるいはシーコムといったようなものにつきましては、それは実際にリストラ計画を実行すると申しますか、リストラ計画を作成いたします段階でその強弱その他を決めていく、ただ全体としてはウォッチして
お答えを申し上げます。 イ・アイ・イが何と申しましても、その規模、リストラの必要性その他、これは最大の案件でございました。そこに我々が五つの管理銀行団の代表として送り込まれたわけでございます。したがいまして、我々の目くばせはすべてのところにやはりやらなければいけない、特に資金繰りについてはしなくてはいけない。 と申しますのは、例えばゼネラルリースにしましても、あるいはその他にしましても、もしそこで資金破綻を生じるようなことがあれば、それは、高橋さん自体の個人的な信用を失墜させることによりまして、イ・アイ・イは大丈夫でもよそが経営破綻しちゃうといったようなことで、非常にリストラ計画の潤滑な進行にそこを来すということでございまし
ただいまの御質問は、私どもの残高に関するものでございましょうか。経緯でよろしいのでございますか。(桜井委員「ええ」と呼ぶ)イ・アイ・イは、御承知のように、九六年ぐらいからずっとプロジェクトを続けまして、結局九〇年十一月に資金繰りの破綻をしたわけでございます。そのときの残高は、ここにございますように、私どもが単体では三百五十億円を貸しておった、それは、金額としてはそれほど大きな金額ではない。 ただ問題は、いわゆる、ここにございますように、当行からイ社グループ全体に対します私どものエクスポージャーが千二百億ということでございました。他行さんはほぼ、これに引きかえ、何と申しますか、匹敵する金額を出しておられたのでございますが、何と申し
お答えを申し上げます。 先ほど申し上げましたように、九〇年の十一月現在におきまして、諸種の発展、まあプロジェクトの開発途上でそういうことになったわけでございまして、これは一つの国際的な問題までも生じかねない問題でございました。 特にオーストラリアにつきましては、幾つかのプロジェクトで、しかもこれは政府がと申しますか州政府が特別の立法をつくって、そういったプロジェクトを賛同して推進していたといったようなこともございますし、したがいまして、私ども、国際的摩擦、それから九十に上るノンバンク、金融機関がこれに参画をいたしておりましたので、その金融的混乱等も考えまして、それでこのリストラの旗を振ろうというふうに決めたわけでございます。
お答えを申し上げます。 幾つかの大きなプロジェクトに膨大な金を投資して、でき上がったものが採算が本当にどうなるのかといったようなお話は、確かにおっしゃるとおりでございます。 ただ、この大きな価格変動と申しますか、資産価値の変動、これは世界的にも、また日本の中でも、ここまで来るとは予想ができませんものでございました。したがいまして、私どもは、多少そういった、膨大なむだな投資であるということも途中でわかりました。これは第一次リストラ計画の当初には、まだまだ資産価額がそれほどひどい下落をするであろうということではないことを前提にいたしまして、いろいろプロジェクトをやったわけでございますが、これは確かに私どもの見込み違いもいいところ
お答えを申し上げます。 確かに私どもの人間を見る目がなかったといったようなことで、非常な反省をいたしております。しかしながら、私ども、当初は、事業構想力もあり、かつ物件の目ききといったような面では非常にすぐれたもののある人であるというような実は評価をしていたわけでございます。これが官界あるいは政界等にいろいろ足がかりを持っておられたということでございますが、まことに不明の至りかもしれませんが、私は全くそのような報告を受けておりませんでございました。 私どもの例えは担当者がそういった宴席に参りまして、官界の方が若干おられたということは聞きまして、そういうことは恐らく三、四回はどうも、私どもが調査をいたしましたところ、三、四回は
お答えを申し上げます。 まことにどうも記憶が定かでなくて申しわけないんでございますが、虎ノ門ビルにつきましては、うちは相当与信が多かったようには聞いておりますが、具体的に幾らであったのか、記憶はございません。
お答えを申し上げます。 先ほど先生のおっしゃいました六百三十億、これは、第一次と第二次のモーゲージにといいますか、担保に分かれておりまして、その第二次の担保の方は、その後第一次リストラを通じまして支援をいたしました追加資金の追加担保ということでたしかついたものだと思います。したがいまして、第一次担保、これが大体五百億弱だったんだろうと思うんでございます。 それで、これの売却は、その当時の鑑定人の査定によりましてたしか三百八十億であったと思うんでございますが、これを四百億で売却をいたしました。建造費は約五百億近くかかっていたのではないかと思いますが、当時の不動産の値下がり状況その他客観的情勢から、この値段であればまずまずの価格
申し上げます。 ちょっと会社の名前は忘れましたが、たしか私どもの関連会社であったと思います。