総会屋を押さえるということで、あいさつをしておくというんでなしに、総会のときには、いろいろ、そういう方々が出ていろいろ意見を述べられるから、それに対しては一応ごあいさつをしておきなさいということであったと思うんです。だから、したがって単にそれをコントロールするとか、どういう意味ではなしに、総会屋に全部あいさつに回ったように思いますよ。
総会屋を押さえるということで、あいさつをしておくというんでなしに、総会のときには、いろいろ、そういう方々が出ていろいろ意見を述べられるから、それに対しては一応ごあいさつをしておきなさいということであったと思うんです。だから、したがって単にそれをコントロールするとか、どういう意味ではなしに、総会屋に全部あいさつに回ったように思いますよ。
オプション契約につきまして、私はだれにも相談をしないで私自身でやったわけで、後で若狭君がそれを知らなかったということは事実でないかと存じます。
先ほど飛行機を購入するときの順序は御説明申し上げたと存ずるのですが、オプション契約というものにつきましては、下交渉なんかは必要ないんでございます。要するに、四十七年の一月に私の方で手に入れようとしますと——実用機をです。実用機を手に入れようとしますと、その途中に本契約とか仮契約というようなものがありますが、その、また前に製造番号を押さえるというオプションというものがないと、契約のときに希望する製造番号を押さえることができないわけでございます。したがって、いろいろ各会社からは、四十七年にどういうように間に合うとか間に合わないとかいう報告は、説明に来ると同時に、いつごろから手に入るというようなことは説明の中に入っているわけでございます。
間違いありませんです。
松尾社長は日本航空の社長であり、いま御説明がありましたように、半官半民の会社だから束縛を受けていると申しますけれども、私と松尾さんとの間は、いわゆる切っても切れない友達でいるわけであります。したがって松尾さんが話された、また松尾さんにお願いしたものは、日本航空の社長としてお願いしたことでなしに、私の友達としてお願いをしたんでございます。(発言する者あり)
そういう言葉を使ったとは思っていないのでございますが、いや気が差したということは、この前の私が社長になるときに、すでに、そのことは起きてきておったわけでございますが、いろいろの話し合いの結果、妥協点を見出して私だけが社長に残ることになったのであります。したがいまして、その一年間にできる限り社内の統一を図るために、若狭君にも来ていただきましたし、私としても、できる限りの努力はいたしたつもりでありますけれども、不徳のいたすところで、社内の融和を十分に図り得なかったということでございます。
それではお答えいたしますが、運航技術面につきましては、私が当然リードしてきていたために、それについてのとやかくはなかったと思います。ただし、経理とか人事問題について、いろいろ私の思うとおりにならなかったわけでありまして、この点について、いろいろ不和があったという意味でございます。
私の記憶の範囲内では、どなたも御意見は持っていなかったと思います。私よりも以上に意見を吐ける人がいなかったはずでございます。
そうでございます。
たくさん行きましたからよく覚えていませんが、また、私は、御承知のように、一面には体育協会の専務理事でもありましたわけでありまして、常時代議士の方その他の方々にもその意味でもお会いしていたわけでありまして、どなたに会ったかということになりますと十分記憶がありませんです。
それは念書にも書いておいたわけでございますが、私が先ほど申したと思うのですが、私の部下の長谷村に特命で命じていたものでありまして、さよう御承知願いたいと思います。
それにつきましては私、詳しくは存じていないのでございます。ただ、回収は全部一応終わったわけですが、後からまた何か別のものが起きてきたのは長引いたように報告は聞いていますが、これについても長谷村にお聞きくださる以外、私は、報告でございますから、よくわかりませんです。
よく名前は覚えていませんです。
私の知っている範囲内では、回収はめんどうであったけれども、全部お金を使わずに回収したという報告になっています。
わかりませんです。
記憶はあります。
サインしたと思います。
同時に一緒にしたと思います。
あるものは渡したし、あるものは渡さなかったのでないか。要求はなかったから。
その印鑑証明書というのは、それは先ほどの御質問では会社の印鑑証明書のように見えたのですが。