その事情につきましては、部長から申しますが、私は不適当だと思います。いけないと思います。
その事情につきましては、部長から申しますが、私は不適当だと思います。いけないと思います。
私は泡沫候補という言葉はふさわしくない言葉だと思います。たくさん乱立するという言葉は私も言いたいところであります。たくさん出るであろうと想像されるという意味であります。
もちろんこれは将来に対する見込みでございますが、小選挙になると、今申された通り二大政党の方がしぼられて参ります。またしぼることを望んでおります。けれども、その以外の人が出るか出ないかという問題になると、今までの小選挙区のときにどうも多かったという例もございますから、その意味で申し上げたので、将来に対する見込みでございますが、二大政党にしぼられるということも事実でございます。その方から少くなるでしょう。これは今までになかった例でございますが、地域が狭くなる関係及び政治的の立場から二大政党に属せざる者もしくは二大政党をやめた方々、いろいろな点が考えられると思います。むろん見込みでございますが、見込みとしては多くなる、こういう見込みでござ
この制度が国民によくわかりまして、二大政党による対立を期待しつつ政局の安定をはかるという意味におきまして、国民がほんとうに知りましたならば、少くなるでしょう。またイギリスなども少いのです。しかし、制度の切りかえどきでございますとか、あるいは小選挙区であった過去の例を考えてみましても、狭くなると何か出やすいというような誤解があるのじゃないかと思います。私は永久にとは申しません。今日の見値しといたしましては、私としては相当たくさんの方が出るのじゃないか、こういうように考えるのでございます。
金の点につきましては、貨幣価値の問題もございましょう。しかし、大体において、十万円論におきましても、その当時の大体の考え方から来たのであります。ただあまり多く出るという私どもの見通しのもとにおいて、これを倍にしただけでございます。物価の点とかそういう点から考えたのではございません。
どこの国の制度でも、こういう供託金の没収という制度は常に伴っておるのでありまして、およそ、選挙制度を考えます場合において、このことを考えない者はないと思います。しこうして、小選挙区のもとに多く出るという見通しのもとに立てたのでありまして、今までの改悪でも何でもないと私は思います。
もちろんお互いは立候補する自由を持っております。ただ、こういう限界を設けましたのは、普通の選挙におきましても考えられるがごとく、一つの目安にすぎないのでございます。
もちろん、金で制限するということは、あるいはよくないことでしょうが、現状におきましても十万円という制限がございます。制度を変えて将来の見通しがどうなるというので、ふやすと、私はこう申し上げたのでございます。なきにしかずという議論も成り立つでしょう。けれども、どこの国におきましても、私の知る限りにおきましては、供託金をとらずにやっておるところはないように思います。あるいは例外はあるかもしれませんが。そのときにおきましても、今島上委員の言われるような金の制限というような議論が起るわけです。現在の制度のもとにおけるこの金額をなぜふやしたかと申し上げるならば、私の申し上げたような、たくさん出るような場合も考えたのである、かように申し上げたわ
私は、乱立の点につきましては高上委員にお答えした通りでございます。五十万円かかるからということの理由については、政務次官がどういう意味で言われたか私はわかりませんが、小選挙区のもとにおきましてはたくさん出るという見通しのもとにやったのでございます。また、今のお言葉の通り、金額がどうという問題につきましては、これは別個の問題でございますが、乱立する見通しなるがゆえにやったと御了解を願いたいと思います。
私、速記録を拝見しておりませず、午前中ほかの委員会に出ておりましたので、どういう意味で言われたか、前後の関係もわかりませんから、ただいま私はそれを批判する材料を持っておりません。
もちろん私はよく調べないからと言ったので、調べないままでお答えするのはかえって失礼だと思います。決して政務次官そのものの言われたことを拒否しようとか、そういう考えじゃございませんです。それは、人格的にも私は尊敬している早川君でございますから、悪しからずお願いいたします。なお、その当時のことにつきましては、選挙部長から申し上げるごとにいたします。
私は、先ほど島上委員にもお答え申し上げました通り、二大政党論及び政局安定論が習熟してきまするならば、候補者の数は少くなる。ただ、過渡期におきましての問題と、従来ややもすれば、過去の結果においても現われておる通り、小選挙区になると多く出るのは事実でございます。私どもは、その過去の判断と、今の実際に、お言葉通り二大政党ができてしまっていきまするならば、またそのときには少くなります。これはお言葉通りだと思います。けれども、その過渡時期においてふえるということは、私はどうしても見通しとして正しいのではないか。育成という問題とその点におきましてからみ合わすことは、私は過去のこの進み工合によってできることだろうと考えます。
私は、二大政党というものがほんとうに国民にわかれば、二大政党ならざる国におきましても、この制度によって二大政党になる。すなわち、二大政党をやっていくのには、手段として小選挙区がよい、またなっちゃった後におきましても、これを支持していくがよい、こう申し上げたのでございます。決して、これは、かようなことをしたならば、二大政党ができないかというような立場から申し上げたのではございません。
党が限定されたる公認をするという意味におきまして、しかもお互いは立候補の自由を持っております。そのやめた人間が必ず引っ込むかという問題も考えなければなりません。従って、そういう方々が党を退きまして立候補する場合も、相当考えていいと思います。あなたのお言葉によりますように、そういうものはそれで引っ込んでしまうというような見通しでなければ、その議論はできないのじゃないか、こう考えます。
参議院の制度におきまして、全国区と地方区の区別があることはもちろんでございますが、地方区そのものと今度の小選挙区とを比べてみますと、大へんな違いがあると私は思います。従来の制度のままでいくならば、私は現情の参議院の地方区の供託金はいいと思います。
参議院のいわば大選挙区的な広さにおきましての選挙と、今回の、今までの中選挙区を四分の一くらいに縮小しようという選挙区制の考え方と、私は非常に違うと思います。また、参議院の全国区の供託金を高めたから地方区が非常に多くなるというのは、見通しの問題でございますが、私はそんなことはないと思います。その問題と、小選挙制度におきましての乱立という問題とは、数字においても違っておるものじゃないか、かように考えるのでございます。
五十回、これはきのう次長は東京とか大阪とかいろいろ例をあげましたが、私はどこでやってもいいと思います。政党の考えによって、どこでやってもいいと思います。もちろん総数の五十回の回数は限られておりますが、どこでやってもいいと思います。従って、同じところでやる場合もあろうかと思います。やらぬ場合もあろうかと思います。ただ、全国において総数が五十回、回数の制限しかないと私は思います。
今の問題は、法律にちゃんと、「公認候補者の数に十を乗じて得た数に相当する回数及び外に全国を通じて五十回以内」とありまして、「及び」とこうつながっておるのでございます。
有権者といたしましては、立会演説によって政策を知る方法もございましょう。また人物を知る方法もございましょう。それがなくなった場合におきまして、政党は掲げた政策を忠実に各選挙区において説くことと思います。そのやり方が、今までの候補者を通してやる以外に、新たに政党の強い力をもって政策を宣伝していくということは、立会演説の場合と違うと思います。何となれば、立会演説の場合におきましては、たくさんの候補者が立ちまして、これを中選挙区という限界の制度においてやるのでございますが、今回これをやめて、しかも小選挙区になった場合に、政党の力をもって広くかつ深く政談演説をして、その政策を国民に知らしめるという意味でございます。
選挙の区域も方式も違いますので、衆議院議員の選挙を小選挙区にするにつきましては、立会演説の方法をやめてよい、こういう信念のもとにいたしたのでございます。