衆議院の選挙と参議院の選挙におきまして性質の違いがあることは、私が申し上げるまでもございません。内閣総理大臣を選ぶのも衆議院議員からの選挙によってやるなどの点も違っておりますが、さらに、区域の点におきまして、小選挙区という狭い区域におきましては、この方法が一番よい、政談演説等政党の力によって強くやるのがよい、しかも、狭い区域でありまするから、立会演説までしなくとも、これによって十分やっていけるという考えからでございます。
衆議院の選挙と参議院の選挙におきまして性質の違いがあることは、私が申し上げるまでもございません。内閣総理大臣を選ぶのも衆議院議員からの選挙によってやるなどの点も違っておりますが、さらに、区域の点におきまして、小選挙区という狭い区域におきましては、この方法が一番よい、政談演説等政党の力によって強くやるのがよい、しかも、狭い区域でありまするから、立会演説までしなくとも、これによって十分やっていけるという考えからでございます。
これは、現行制度におけるお言葉でございますが、百五十二条におきましては衆議院議員の関係を除いております。今回の改正は衆議院議員に関する選挙の改正でございます。私は、現行法においての議論におきましては、滝井委員の言うその通りと思います。ただし、今回の選挙は衆議院代員の選挙に関してやったことである。百五十二条におきまして衆議院議員という文字を削った関係と、百五十三条の現行法の関係をお比べ願えば、私の言う意味が御了解願えるではないかと存じ上げます。
演説を聞く人の立場からお考えになることと思いますが、今までよりも狭い範囲、そうして狭い区域において選挙運動が行われておりまするときに、筆もありましょう。また、ビラにおきましていろいろな宣伝をしていく以外に、個人の演説もあり、政党の演説もあります。その場合に、多々ますます弁ずという意味で、何をやってもいいという理屈もございましょう。しかしながら、今まで中選挙区下において立会演説をやったのが、非常に狭い区域におきまして――非常にというのは四分の一見当でございますが、狭い区域におきまして政党の演説も非常に多くなる。また個人の演説も十分にやれる。狭い区域において目にとまるべきビラとかいろいろなものも多くある。こういうような点から考えまして、
もちろん尊重いたします。
私は回数についての御議論を拝聴いたしましたが、区域の違っておるところにおける回数ということ、選挙運動日も短縮したということ、効果的に有権者は果していかにしてその個人の候補者の意見及び政党の政策を知るかという点については、結局、受ける方の立場からいいまして、立会演説を廃止しても十分に今まで以上に受け得る力を持っておる、そういう結果を来たす、こう信じたからでございまして、選挙の運動期日も違っており、選挙の区域も違っておるものを、同一に、ただ二で割ってお話しするというようなことには、私はどうも了解できないのであります。
竹谷委員の言われる通り、私も言論を非常に尊重しております。またそのおかげで選挙を戦ってきました。個人の演説会も今までより減らしません。選挙区域は小さくなったにかかわらず、今までの回数を認めております。また今までなかった政党の演説会も加えられたのでございますから、狭い区域におきまして今までの回数を同じように認めるということは、個人演説でさえも今までより非常に重く見ているという勘定には、当然なるわけでございます。ただいま五分の一論などの御説がございましたが、その意味で言いまするならば、今までの個人演説会の回数というものは、選挙区が四分の一になったならば、四倍の力があると申していいと思うのでございます。私は、究極するところ、竹谷委員の言わ
井堀委員にお答え申し上げます。 先ほどの資料の最後の国の経済的援助を受ける法人団体の調べは今印刷中でございますから、間もなくお手元に行くと思います。さよう御了承願います。 それから、今まで、わが国における選挙におきまして、買収、利害誘導が非常に多かった。諸外国にはない例た。申し上げるまでもなく、悪いことはどこまでも悪いのでございまして、ことに公明選挙という建前からいえば、これは排除しなければなりません。私どもは、今回の選挙区制度を小選挙区制度にするに当りましては、買収の行われるような場合とか、利害誘導のような場合が、小さい区域においてどうなるか、中選挙区においてどうなるか、大選挙区においてどうなるかということは、一応われわれ
もちろん、そういう悪質なものが出るか出ないかということは、一方に候補者及び運動者の関係であり、他方においては有権者の選挙に対する正しい考えが進んでいるかという問題でありますが、今回の法案の中におきまして、私どもは連座制の強化を出しております。
選挙制度調査会、あの第五項目に掲げております通り、公明選挙の啓蒙及び徹底化ということにつきましては、相当力を入れて今後やっていくつもりでございます。
私の狭い経験と範囲でございますから、あるいは十分でないかと思いますが、私は、何といたしましても、人を取り締る、あるいは罰するという考え方よりも、先ほど文化及び平和のために民主主義的に国民が発展しなければならぬと井堀委員の言われたその言葉の通りに、一番大きなのは啓蒙運動だろうと思います。いかに法を作りましても、悪いことをする者が絶えないということは、先ほどのお言葉にもありましたが、しかし、法律を作る、制度を置きます場合には、その国の民度、その国の経済力、その国の道徳の発達というようなものを考えに入れなければならないから、今ここに問題になっておることと思います。しかし、私の見る限りにおきまして、今のブローカーであるとか、あるいは近親関係
小選挙区制度を高い理想というお言葉がございましたが、私をして言わしむるならば、むしろ卑近な過去数年来の政治の動きを見まして、国民の声としてきゅう然として起ったものであるとわれわれは見ております。従って、これを高い理想に持っていくという意味よりも、われわれが要望しておる政局の安定によって国民生活を豊富にしていくという建前からいえば、われわれの近接した問題として考えなければならず、できるだけ早くこれを行うのがいいと私は考えております。もちろんお言葉のように客観情勢というものは非常に大切な問題であり、また国民生活の問題も、経験によって文化が動いていくという点も、私はこの点においては全部御同感でございますが、高い理想だといって小選挙区制度を
小選挙区において買収等を徹底的に減らすなり、もしくはこれを罰して目的を達することができるという見通しにつきまして、井堀委員のお考えがございました。私は、過去の例といっても、大正八年の選挙法の改正によって行われた大正九年のあの選挙をすぐ引き合いには出せないと思うのです。当時は有権者の数も非常に少かったし、先ほど御引例になったように、選挙の実態がかくのごとく広くなったのは戦後十年でございます。その間におきまして幾多の苦々しいことがありましたが、国民の政治意識というものも進み、ことに民主政治のもとにおける有権者の教が増し、婦人の加わったということなど、全面的に考えましても、過去の例によく引かれるのは大正九年の例でありまして、狭い区域でやっ
私は、狭い区域において、人が親しくなり、知り合いが強くなり、深くなっていくということは認めます。しかし、この小選挙区制度の大きなねらいというのは、申し上げるまでもなく、個人本位でなく政策本位といって、政党というものに力を置いていこうという意味は、その判断をするのに、血の流れ以外に、近親関係以外に、われわれは日本の国をどうしていったらよいかという政策をもとにしていくのであります。現状のままでは飛躍いたしません。たとえば、革新政党をひいきなさるお子さんの投票と、そのおやじさんの投票が保守党に分れておるがごときは、悪いことではない。政治的に見たならば、その信念によって、その発達によっていったならばよいのて、血がだんだん濃くなるとか、あるい
私は遠い理想を申し上げているつもりは毛頭持っておりません。選挙制度調査会の答申の第一に掲げておるのも、遠い理想を申し上げたのではなく、個人本位より政策本位という考え方である。しかし、あの答中には、公明選挙のために罰則の強化等を主張されております。おそらくその問題と一緒にしてのお考えかと思いますが、私は、今の政党全部がこの小選挙区にするについて整っておるかということにつきましては、なまなましい政党の批判になりますから、私は申し上げませんが。しかし、ずいぶん新しい問題として、公認候補者を選ふこと及び政策にどれだけの深さ、強さを持って当っていくかということなどは、この小選挙区制度を実行する前提問題でございます。われわれは、党員としてそれぞ
私は、この寄付の数字などを見まして、やはりそれぞれの政党に対する支持者が出しておることと思います。その使い道が悪かったということがありましたならば問題が起りましょうが、党の運営として使ったお金その他につきましては、どうも、あぶり出しのように、この中に悪があるということはわかりません。労働組合関係の寄付が社会党に多いという事実も、やはり支持者がその層にあるということだけでございまして、保守的な、また進歩的な党を支持したいという考えから、そういう寄付があったことと思います。 〔山村委員長代理退席、委員長着席〕 私は、どうもこれだけの表をもって――ただ支持層が違っておるということははっきりわかるのでございますが、これをいかに使
支持している層が寄付するということは、私は何も悪いことではないと思います。もちろんその党員だけで全部ができ得るなら、それに越したことはございますまい。人様の力によらなくてやっていければけっこうでございますが、しかし、いわゆる浄財がいずれの党にかかわらず寄付されるということは、これは私は差しつかえないことと思います。
実は、私も、政治資金の問題ははなはだ未熟な経験ですが、調べようと思いまして、初め外国へ行くとき、当時の床次竹二郎さんがイギリスの政治資金を調べてくれというわけで、ずいぶん当時おりました人のこまかいところまで入っていきましたが、ほんとうには私つかめませんでした。なかなかこういうものはむずかしいものと思います。あるいは、これだけでなく、まだほかにあるかというような疑義も起るのです。だが、お話のように、組織者自身が金を作るということは第一にけっこうと思います。しかし、りっぱな政治家の素質を持っておる人は、金を出せなくてもやはり党員にしていかなければならぬ。第一義はそうであると思います。しこうして、今日ここに表われているものは、自民の批判を
この会社の名前などを見ていきますと、保守党側に寄付している会社が同時に、たとえば八幡製鉄という会社などは社会党へも寄付なさっております。また川崎製鉄所も出しております。たくさんの名前がここに列挙されておりますが、私は両方に出した場合のことが一番問題になると思います。しかし、会社としても、これをどうしたいきさつでやったかどうか存じませんが、ほかの悪の道に使うということを意識しての寄付ではない。私はこの使った費用の公表されたものを見ても、かように判断するのでございます。支持層という意味が非常に複雑なる感じを抱かしめることは、社会主義政党に対しても保主主義政党に対しても、両方に名前が出ておる場合で、私の一番判断に苦しむところでございます。
この寄付金と支出の関係はここに出ておる通りでございまして、買収費等がかりにあるとしたならば、関連性は私からは申し上げることのできない問題でございます。またそういうことを判断し得る材料も持っておらないのでございます。
私の判断におきましては、たとえば保守党と社会党の両方へ寄付しているような人のお考えには、通俗にいう健全なる政党の発達を望むというようなお方もあろうと思います。また二大政党の出るために出そうという方もあろうと思います。 第二に申し上げたいことは、政党が寄付金が多くなってきて、そこで小選挙区下において非常にたくさんな金が使われるという、それが選挙の腐敗にならぬかというようなふうに考えられる問題がございますが、きのうの御質問に対して私どもお答えしたのですが、今回小選挙区になりまして、政党の使い得る金は、今までの中選挙区下において政党が使っておる金よりそんなにふえておりません。すなわち、使い得る範囲は、あるいは政談演説会、あるいは街頭演