私の考えでは、おそらく伊藤理事長と仏教の会長なり副会長なりと、いろいろその間のとりきめがあるんじやないか――これも私そう思うだけですが、当然何らかのとりきめがあるものなりと私想像しております。
私の考えでは、おそらく伊藤理事長と仏教の会長なり副会長なりと、いろいろその間のとりきめがあるんじやないか――これも私そう思うだけですが、当然何らかのとりきめがあるものなりと私想像しております。
コミツシヨンを――まことに恐縮ですが、もう一回おつしやつてください。
私はそういつた契約の場合とか話合いの場合に立ち会つておりませんで、そうだということは断言できませんが、私としてはそうじやないかと存じております。
コミツシヨンを出すという……。
はあ。
存じております。
私その理由は存じておりませんが、実はこれは私九州へ参つておりましたときなので、ちようど疋田氏が人事部長をやつておりまして、電話がありまして、望月さんがやめたよというようなことを私初めて九州で聞きました。それから帰つて参りまして、私としても重要な席におられる方ですから、伊藤理事長にお伺い申し上げました。どういうわけでやめたのですか、いや、ちよつと都合でやめてもらつたからというお話をお伺いいたしました。
その点で、実は伊藤理事長にもいろいろ話しました。とにかく望月さんと言えば当時の保全経済会としましては一番重要な地位におられたので、一体どういうわけでやめたのですか、やめさせるからにはよほどの理由があつたのではないでしようかと私も真剣に問いただしました。そうしたら、ちよつと都合でやめたが、今は発表できぬ、いずれ話をする機会もあるだろうというので、そのままになつてしまつたのであります。
結局私が先ほど申し上げましたように、室長自体が保全経済会としましてはいわば専務的な役割をやつておりますものでございますから、一番重要な地位だと望月室長の場合も痛感しておりましたし、現在でも室長は非常に重大な地位だということを私感じております。
望月室長は私が入りましたときにはまだ入社しておりませんでした。二十六年に入社されたと思つております。
存じております。
私その当時四国にずつと駐在しておりまして、一月に三日くらい東京に連絡に帰つて参つておりましたので、毎日の行動は存じておりませんが、非常に重大な役目、いわば専務的な役目をやつておられるものだと私思つております。
それは私ちよつと存じませんです。
別に一緒になつてということは聞いておりませんでございます。
そういつたような政治的な話は私ども一切聞いておりませんで、ただ産法制化の方をいろいろと運動しているというだけしか承知しておりません。
あくまでも伊藤理事長はそういつた非常な確信を持つてやつておられますし、私どももその確信を承知いたしまして協力しているようなわけでございます。
はい、そういうぐあいに考えております。
非常にそれはむずかしい専門的な話になりますので、ここでかようかようと御説明申し上げるだけの今資料の持合せもございませんので……。
私はあくまでも伊藤理事長の手腕なり人格なりを絶対に信任しておりまして、現在まで五年間なり六年間一応一回の事故も起さず遂行して参りましたものですから、十二分にその点利潤を上げ得られるものとあくまで確信してやつていたようなわけでございまして……。
伊藤理事長の人となりと申しますか、実はこういうことがありました。まだ二十五年の年でございましたか四国の高松の会社の者が四国から連絡に神戸に参りました。そのときに伊藤理事長がおられまして、ちようど朝着きまして、すぐ連絡ついて四国へすぐ帰れ、そのときに伊藤理事長が、当時三等で各社をまわつておりましたが、その職員に、まことに疲れるだろうから、ぼくは三等でいいんだ、君は二等でぜひ帰つて疲れぬようにしてもらいたいといつたようなことで、会社の人間も四国へ帰りまして非常に感激しておりました。それからあの方の生活態度と申しますか、非常に質素な生活態度を拝見しております。今はどうか知りませんが、相当なときになるまでくつ下を継いではいておられる。御家庭