私の承知しておるのは、当時の土木部の次長の赤星君が国土地理院に参りまして、そして国土地理院のだれだか、私、聞いておりませんが……。
私の承知しておるのは、当時の土木部の次長の赤星君が国土地理院に参りまして、そして国土地理院のだれだか、私、聞いておりませんが……。
それはいつかということは、いま私、承知しておりません。(勝澤委員「三十八年ですか、三十九年ですか」と呼ぶ)
本日来ておる連中もはっきりいたしませんけれども、三十八年の九月ぐらいじゃなかろうか、こういうことです。これは調べればわかりますけれども。
どういう事情であったか、私、承知をいたしませんけれども、いま聞きますと、雪が降っておるとか、現地確認の問題とか、あるいはあとになりますと、国定公園の設置の問題等、そういうことがやはり関係いたしておったのじゃなかろうか、こういうふうに考えております。
その受付等について、一々私、相談も受けませんので、おそらくそういうことで処置されたのではなかろうかと想像をいたします。
私はその点の記憶はあまりはっきりいたしませんです。どういういきさつであったか、私もはっきりいたしません。
一月ごろ、上山市にも相談に、北都が行っているそうです。
私先ほど来申しましたのは、一月ごろの問題じゃございませんで、九月三日ごろの書類については位置図だけじゃなくて、もう少し詳しい、いわゆる林班界も明記したもので、工作物の敷設状態がわかるようにした添付書類が出ておる、こういうことを端的に言ったわけです。
営林署長が私のところにもときたま参りましたことは事実でございます。私の記憶では、具体的な話についてはあまりございませんでした。と申しますのは、私かつて林野庁におったこともございますので、営林署長の人は比較的懇意でございますし、わりに親近感を持っておるのじゃなかろうか、そういうことでときたま見えた、こういうことでございます。具体的なことについては格別話しません。儀礼的なことでございます。
山形交通あるいは山形新聞社と私との関係というのは何もございません。つまり、県の各種機関あるいは会社、これと同列に私は考えておるわけでございます。 それから、先ほど林野庁長官と申されましたが、私は林野庁長官をやっておりません。
いや、そうじゃございません。林野庁に関係を持っておった者として、それでつまり川上君あたりは、私がいる時分は全然知らない人でございますけれども、やはり営林局に私がおったという関係で、ある種の親しみは持っておっただろう、それでときたま見えた、こういうことをただ申し上げたわけでありまして、そこにいろいろな話し合いをしたということは全然ございません。
これも県内の各種機関、会社と同様でございます。
私は山形交通に特別に利益を与えたことはございません。 また、先ほどのお話で、つけ加えますが、私との相談の上に、宮城県側に出願をしたのだろうという推測をされておりますけれども、さようなことは全然ございません。
私は、特別北都に対して妨害をしたということはございません。
片寄った取り扱いを、私はいたしておりません。
繰り返して申し上げるようでありますが、つまり民事の関係、これは当時許可行為をやった場合には、県といたしましては、市町村界、行政界が国有林界と一致するという考えのもとに処置をいたしたので、その効果というものは現在も生きておる。しかしながら、その後地元上山市から異論が出ましたので、これを是正をいたさなくちゃならぬという趣旨において、宮城県と交渉をいたしておる、こういうことでございまして、この二つの項目は相矛盾するものではない、こういうふうに考えておるわけでございます。
また繰り返しますけれども、このリフトの許可をいたす場合には、全般の状況からいたしまして、この三者が一致をするという前提において許可をした。その許可の効力はいまも及んでおる。しかし、その後異議の申し立てがございますので、私といたしましては、地元上山市の言い分というものを、もっともである、かように考えて、これを変更する意味において、宮城県と交渉いたしておる、こういうことでございます。その前提として、七ケ宿と上山市が交渉を続けましたが、これが妥結をいたしませんので、両市町から両県知事に持ち上がりまして、現在その交渉を続けておる、こういう次第であります。
これは全然そういう記憶もありませんし、そんなことをやった覚えはございません。
御質問がはっきりいたさなかったのでございますが、陸運局に対して、さような意見の申達をして、これを妨害しようとしたというようなことは、私は全然ございませんでした。
どういう書類か私も存じませんが、出ておるかどうかを知った上、調査の上で御返事しなければならぬ問題だと思います。