葛飾区金町三丁目二千百二番。
葛飾区金町三丁目二千百二番。
四十三歳です。
大正十三年に県立の中学四年終了しまして、昭和四年に警視庁巡査を拜命、昭和十六年に警部補を命ぜられて、二、三転勤しましたが、昭和二十二年には警視庁に来て経済主任、更に二十三年から現在まで捜査第二課勤務になつたです。
あります。
どういう意味ですか。
大体私以下十名ぐらいおりました。
部長が二人おりまして、巡査部長ですね、棟方、私と同じ名前です、森田、こういう部長が二人おりました。その下に刑事が高橋、杉田、葛西、山崎、そのくらいです。
違いました。十人はなかつたです。
そうです。
作成しました。
それは私が作成したのです。
結局上司の決裁を受けるわけです。
その事情は、大体この問題はちよつと前から話さんと分らんのですが、当時捜査課の第二課係長吉武係長の指示がありまして、去年の五月頃に高輪警察署の事件を警視庁の方へ問題が大きくなる予想があるので引継いだわけです。それで五月頃から着着進展しまして、逐いに七月頃に味の素事件になつたとこういうものなんです。それでやつていたのですが、鈴木恭二を逮捕する前に味の素の課長二人を検挙したわけです。田代というのと齋藤この二人を検挙したんです。これはですね。大体二度に分けて百万円ずつ二百万円E・D・Tの国家買上げに関して贈賄したというような容疑で以て逮捕したわけです。ところが七月の半ば過ぎにその二人を検挙しまして取調べた結果、常務取締であるところの鈴木恭二
二、三日だと思うんですが、大体記憶は余りはつきりしませんが、たしか二、三日の間があつたのではないかと思います。
私はその当時こういうふうにその問題ばかりでなしに、事件によつては主任が検挙してやるべきだというふうな意見を申して指示を受ける場合があるわけです。ところがそれまでは必要なかろう。この問題は任意で喚んで調べて、更に第二段の方法を取るというような一種の作戰といいますか、こういうふうな指示をする場合があるのです。私はその当時委員長の今尋ねられるように何か含みがあるような意味にはとらなかつたのです。係長のつまり作戰上の問題で、そういうふうな作戰を持つているのかなあ、自分としてはどうしてもここで検挙して、共謀者の一人が外にいる、これはどうしても逮捕しなければこの問題というのは解決せんというような私は意見を持つておつたし、加藤検事もそういうふうな
その当時は考えなかつたです。
それから令状を取つてその翌日十八日鈴木恭二を検挙したわけです。それからまあ期間だけ調べたその調べ中に、これはおかしい、中間人物が必ずあるに相違ないということが、私は直感したわけであります。
それは明瞭には鈴木恭二は自供をしなかつたわけでありますが、やはり私らの勘と言いますか、やはりあるわけなんです。どうもこれには何か人物が介在しておるというような考えを持つたわけです。更に過去になつて考えて見ると、吉武係長が、つまり生ぬるい意向を持つておつたというようなことも思い合せると、どうしてもここに何かなくちやならんというような感じがわいたわけです。
そうですね。鈴木恭二を調べて、調べを開始してからか、或いは検挙の前か、それはちよつと記憶に残つていませんが、その頃鈴木を逮捕してからと思います。築地の田中屋で以て鈴木恭二が明日逮捕の事実を知つて、何らか人物と会合したというような噂があつたわけです。
鈴木逮捕後に考えた話ですね。