防衛庁が国産化の方針を固めておったということにつきましては、口頭で伺ったこともないし、書いたものでも知った記憶はございません。
防衛庁が国産化の方針を固めておったということにつきましては、口頭で伺ったこともないし、書いたものでも知った記憶はございません。
この接触でございますが、この作業の中に研究会というやつがあるわけでございます、四十五年度の契約はですね。で、そういう研究会というものは、結局目的は、円滑にこの作業がいっておるかということをチェックをし、あるいはこちらの疑問と思うことをそこで質疑をし、調整をし、というようなことでございますので、そういうからみで行ったら来たり、コンタクトといいますか、接触はあったと思います。
私、ちょっとまた聞き漏らしたような気がするんです。これは二つの調査研究契約と理解してよろしゅうございますか。——そうしますと、四十五年度にその一つの調査研究契約というのが規模は、ラウンドで申しますと、千九百万円だったと思います。それから四十六年度は、技術調査研究委託契約というようなことで、この予算規模は、契約規模は二億八千六百万円であったと、こう思っております。で、それに対して、その第一の四十五年度の時点では、私どもは約七十名程度の人間をこれに投入いたしました。それで、その契約の成果は、レポートの形で提出したわけでございます。それから、四十六年度の契約におきまして私どもがかけました人間、人数は、百十名程度じゃなかったかと思っておりま
成果をどういうぐあいに使うかということについて話し合ったかということの、この事実はございません。事前に話し合うとかというようなことはございませんでした。
御質問、私、別の意味で解釈しておったと思うんですが、事前にそれをどう使うかというぐあいにという、ただタイミングの問題だけに重点を置いておったものですが、——レポートはお出しいたします。四十五年もお出ししました。もちろん、それは契約上の義務でございますので……。四十六年も出しました。しかし、それがどんなシリーズにあるかといいますと、そういうところにつきましては、後さらにやらなきゃ、追加しなきゃならぬ試験研究はどんなものだと、どんなものがあるということは、私自身その衝に当たらなかったですから、ここは想像になるわけですが、当然の手順だという確信の上で申し上げるわけですが、後はどうしようか、どうフォローしていこうかという話は当然あったと思い
川重といたしましては、国産に進んで、あるいは国産に決断をつけていただきたいという期待は大いにありました。方針、会社の方針としても、国産するんだということは会社自身で方針出せません。相手さんの政府のお決めになることですが。しかし、会社としたら、その方針が望ましいし、そうあらまほしいといいますか、大いに期待をして、まあ万端進めておったといいますか、という心持ちであったと思います。
それは契約書によるものでございます。一つずつ記憶はしておりませんが、各条文は契約書一般条項とかあるわけですが、まあそういう状態でございます。ちょっと御質問の意味が、まあ私がこう考えておるのと違うかもしれないですが、いま申し上げたいのは、契約書に、その受託条件というのは契約書そのものでございますので……。
四十五年度は、四十五年度の調査研究はいわば全般論でございまして、防衛庁がこういう運用をしたいんだが、それに対応して飛行機はどんなものが考えられるというような運用構想に対して性能諸元をあらあら定めるとかいうようなこと、並びにその積み込む電子機器はどんな系統のものがあるんだとか、それから他の外国機を流用することはできないかとか、あるいはこれを開発するとした場合は、その業界といいますか、工業水準に及ぼす影響はどうであったかとか、どうであろうかとかいうような一般概括的なのが、要求内容が四十五年度の調査研究であったと思っています。 それから四十六年度の技術調査研究の内容は、その四十五年度でおおむね定めた、その絵で言いますとデッサンといいま
国産化するための方針というような話し合いがあったとは記憶しておりませんけれども、これもちょっとまた先生の御質問の意味が正確に私とってないかもしれませんけれども。
はい。
直接的なそういう話があったという事実はございません。継続してやっていくんだというような——私の言う意味はオフィシャルな話で、それは実際やっておる担当者では、これは先進めてどんどんやるべしだなあというようなことはあったと思いますけれども、お答えするのは非常にしにくいんですが、いわゆるオフィシャルレベルでこれはこうやるべしだと、どんどん進めていくよと、進めていけと、こんな話はなかったと。しかし、事の性格上、やはり技術に携わっておる者同士のやはり一つの一脈通ずるものがどうしてもありますので、これはどんどん進めていくべしだなあというような感じは、これも私自身がその渦で話をした記憶、これは全然ございませんが、想像にかたくないと、こんな御返事し
まあ総合判断で、川重は当初、先ほども申し上げましたように、それ自体をきょう現在まで推し進めておるような会社でございますので、そう判断をして、その当時もいまも変わっていないということは申し上げられます。起伏はございますが。
別紙というのはどれか、ちょっと私いまこれだというのは頭に浮かびませんが、私の方からこの契約書の内容という、契約書そのものを、もしくは写しをちょっとお出しするという前には、やはり甲乙契約で、しかも私ども乙の立場でございますので、受注者側の——防衛庁の御了解も得なきゃならぬということもございますので、いまここでお約束するような立場ではちょっとないものでございますから、あしからず……。
ああそうですか。
先ほども申しましたように、お答えしましたように、いま先生の御指摘になった別紙というのはどれか、私ちょっと具体的に、まことに不勉強でございますけれども、ぴんときませんので、いま防衛庁さんとの客観情勢を御説明いただきましたので、後刻防衛庁さんと直接お話し合いをさせていただきまして善処させていただきたいと、こう思っております。
いえ、基礎研究は四十五年だけではございません。四十六年も基礎研究になるとわれわれ心得ております。
それは私の方が四十六年度の技術調査研究——調査契約をやった中身に照らしまして、四十五年度でもってその調査は終わったんだと、基本、基礎調査は終わったんだというようなことにはならないと思います、中身の話です。要求された手続は、私も後刻、その時点、その当時は知りませんでした、正直申しまして。しかし、あの事後に、そういうことも、最近新聞などでも、特に、ああそういうことだと、であったのかと思うことがたくさん報じられていますが、少なくとも四十五年度だけで基礎調査は終わったということは、やった事実、後、継続してやった事実から考えますと、確かにそうではなかったですと言わざるを得ないと思います。ただし、要求された状態は、また別途に、こうあったかとも、
設計研究というような段階ではございません。やはりあくまでも基礎資料を取得、収得するための研究であったと。設計という言葉に、設計研究という、設計という言葉に重点を置いたものでは決してございません、やりました事実は。
四十六年の九月であったと記憶してます。
その事実は知りません。ありません。(「知りませんとありませんと違うよ」と呼ぶ者あり)あ、私は絶対ないと思います。