そのときの最高責任者ではございません。
そのときの最高責任者ではございません。
時の事業本部長は内野憲二という、きょう現在常務取締役をやっております。
私の業務部長としての立場を出るものではございませんが、業務部長の立場と言いますのは、やはり最高スタッフの業態でございまして、トップを補佐するという役目でございますので、会社の方針がこうであるというようなことは知らなければ、私は業務を遂行できませんので、そういう意味で一体的な意味で理解していただいていいんじゃないかと、こう思っております。
黒柳先生のおっしゃることで結構でございます。
防衛庁の駐在員は正確でどうかあれですが、三十五、六人はいらっしゃると思います。
まあ常時という意味は、要するに密接なコンタクトはございます。
記憶はございません。そのすぐ近いところだったんじゃないかと推察する程度でございます。
どっかから通告がきたかということについては、あそこからであったなというような記憶はございませんが。
おっしゃるとおり、業界紙からというような別に強烈な印象はいまありません。
そうですね、防衛庁からわれわれの営業活動として知り得たと、こういう言い方……。
百十名程度と申しました中には入っております。他社の人たちが入っております。
電機業者——東芝、それから富士通、それから日立、ここが十一名だったと思います。合計です。それから機体会社としては日本飛行機、それから富士重工、それから新明和工業、ここが二名ずつの合計六名で十七名だったと思っています。
私が全文を知り得たというのは、業界紙で見ましたという意味でございます。
正式に通告があったというのは、私自身は記憶はございません。
先生のいまお話のあった、二、三整理さしていただきたいですけど、当時四十七年の十月九日にいわゆる白紙ということで−四十七年は私は東京に転勤しておりました。営業担当の担当部長といたしまして仕事をやっていました。 それから三十五名の駐在員、駐在官といいますか防衛庁側の、これは岐阜工場で日常契約をしておるものの履行業務の監督をされておるという立場の方々でございます。 そこ、ちょっと前後関係、私伺っていまして、ちょっと僭越でございますけど、あれですが、現状を整理さしていただいたわけですけども、私の方としまして、私、最高スタッフ——確かに部長で仕事をしておりましたしするので、いわゆる最高責任者の補佐、スタッフというよりも補佐的な感じで仕
正直申しまして正確の日付は覚えておりません。
これはそういう問題ですから、御指摘を待つまでもなく、われわれ重大関心事でございますから、その翌日ぐらいは少なくともそういうことらしいということは伝わったかと思います。
はい。正式という意味が、防衛庁から書いたものではもらったという事実は、私自身はもちろんありませんが、客観的に見てもそういうことはなかったと推定いたします、その件は。
具体的には記憶ございません、正直申しまして。決してとぼけておるわけでも何でもございませんけど、本当にだれから聞いたなというか、そういう記憶は実際ないですけど、ただ——まあその翌日というのも定かではございませんけれども、恐らく素早くそういうことは漏れてきたんだろうなと想像しか実際できないような記憶でございます。
黒柳先生のおっしゃることは会社の方針として間違いございません。国産化でいくんだということについては、国産化でとにかく物事を進めると、考え方は進めると、その方向へ行くということについては、確かに会社としてはそういうことを考えてもおりました。