無論そうです。
無論そうです。
四時十五分頃だと思いますが、時間ははつきり分りませんが、その頃だと記憶しております。
ええ、そうです。
実は二、三分言わして貰いたいと思います。実は私、時間を忘れておりますのは、あの投票が終つた後に、社会党さまの椎井康雄さんという人に殴られまして、そうして脳震蕩を起こしたので、少し記憶が区々になるかも知れませんが、一つそのときには……診断書を持つておりますので、……、東大病院に入院しておりましたら、昨日懲罰動議で出て來いというので、驚きまして実は馳せ参じたわけでございまして、委員長さんに診断書を一つ……。脳の内出血をいたしております。それからここの胸部をレントゲンで見まして、やはり内出血をいたしておりまして、今日は実は東大病院の方へ、清水外科の三号室の方に來て貰うように事務局の方にお話ししました。併しそれでは先輩の皆さん方に申訳ないと
勿論その通りでございます。
ええ、間もなく。
自分の議席は何番か覚えておりません。何番か知りません。六、七十番だつたのじやありませんか。初めに二番で覚えておりましたが、余り数が多くなつて忘れました。
あのときは二度目でございますね。
二度目の登壇は短うございました。
その通りです。
君子豹変という言葉がありますのでね。(笑声)君子豹変、私はこう考えたのですよ。私は実は誠に申訳ないのですが、無所属におりまして、議員さんは三名おるに違いないのですが、出席するのは私一人だけです。議院運営委員というものがおりませんので、つんぼ棧敷の独房で、どれがどう進行しておるか分らない。皆目分らない点が沢山あります。灯台下暗し、いろいろ他の会派の方々がどういうふうな工合に動いておるかということは私には全然分らない。時には外に出て來て歩くから、各会派の方々に今日はどうなつておるかと聞いて、初めてああそうかということになりますが、そうした点があつて、非常にこの投票も今まで野党に入れてみたり、與党に入れてみたり、軽犯罪法では共産党を支持し
実はあのときは青票と白票と二つ握つて行きました。どつちにしようかなと思つて……、皆知つております。近所の人は……。青を持つて白を重ねて、二枚持つて行きました。二枚持つて行つて、そうしてあすこまで行つて考えて、それでまあ行つて白を出した。青を握つて帰つたのですな。
呼ばれてスタートする時に、投票に行く時に、記名投票する、困つた、博愛主義で二枚持つて行けと言つて、二枚握つて行つたんです。こつちから見れば白、こつちから見れば青なんです(笑声)
二枚持つて。
最近もう票は振らないです。確かにもう愼重に持つて行きます。
いや、見せないのです。二枚ちやんと持つて、だぶだぶの服を着ておりますから、のこのこ行つたわけですね、そこで白札を出したわけです。
私が議員と握手するのはこの前も……、政府案に反対した例を申上げます。例から言わなければ分りません。先生は弁護士ですから被告の言うことも聞いて貰わなければならない。(笑声)そこで私は前に政府案に反対をしまして、降りて來て、共産党の中野先生と第七国会のときに降りて來て堂々と総理大臣の前で握手をした男です。それで私はどこでも手を出せば握手をするという主義でおりますので、そうしたことをやつた前例もありますし、降りて來てから握手をするのは沢山ありまして、その日も私は降りて來て、握手はしておりませんが、近道は行かずにふらふら廻つて行けというので入つて行きまして、「よお」と言つて通りました。握手はしておりません。
私は午前中に第三クラブの岩男先生と行き会いまして、同じ予算委員でしたし、曾て国民協同党時代に一緒でしたから行きまして、それで岩男先生がすつかり数を調べて來て、これは七、八票の違いで負けたということで、午前十時半頃でございました。つまり野党陣営は負けておる、これは駄目だ、数を一人ですつかり調べまして、これは完全に負けたということが十時半に分つたのであります。そこで私は控室に帰ると国鉄労働組合の方々が沢山來ておりまして、加藤委員長も來ておつて、負けたよ、この通りに完全に負けた、蓋を開けないでも分つておる、議会のことというのは、こういう重大問題になるとぴたりと分る、完全に負けておる、政府は泡食つておるけれども、勝つて泡食つてけつかりやがる
私はみずから超党員と自分で称したことはございます。それは超党員というのは昭和二十一年の一月十五日埼玉県支部発会式を私はやつた男です。今追放になつた安藤正純、中野寅吉という民自党の大幹部が來て呉れまして、盛大な発会式をやりました。そのときに安藤先生に頼んで、正式に入党届を出してあります。私は入党届が返つておりませんから、私は超民自党員であるという考えです。昭和二十一年の一月十五日、大宮市松竹館におきまして、これは大会を開きまして、民自党の同志の県会議員及び衆議院議員及び前代議士は全部集まりました。それで小林先生は代議士でなくて一組合長でしたから、やつて來ませんでしたが、あのとき全部來まして、盛大な発会式をやつた男です。ですから民自党の
昭和二十一年の一月十五日に安藤先生と会いまして、その人に渡してありますが、その人が落してしまえばありませんが、私はどつかに届いているのじやないかと思います。安藤先生に渡した。それは二十一年の話でございます。