実は新聞記者の方も沢山いらつしやいますから分りますが、第二次吉田内閣のときに。
実は新聞記者の方も沢山いらつしやいますから分りますが、第二次吉田内閣のときに。
それから繋がるのでありますが、そのときに、それでこの第二次吉田内閣のときに小川友三の政務次官は固いということの風評が飛んだことは事実なんです。ところがなれなかつたのです。私が緑風会に入つているつもりで吉田総理大臣はいたのです。緑風会に一つ割当しようというのです、ところが緑風会の本部に行きますと、小川さんは一人一党だから駄目ですよと断られたというので、吉田総理が來いというので行きましたが、君は一人一党か、民自党が緑風会に入つているならば政務次官にしてやるのだが、それじや困るとじかに断られております。そういう前例がありまして、それで吉田内閣においては、政務次官も大臣も吉田総理が決めるのであつて、民自党の代議士が何だかんだと言つても嘘です
民自党の政務次官も大臣も全部これは吉田総理以外に決める資格はないのです。それをはつきりと私は一昨年の十一月の第一土曜日から知つております。みんなデマです。
一応申上げます。実は下條康麿文部大臣は小川友三の推薦によつて決まつた文部大臣です、間違いなく、私は吉田総理とじか談判で決めました、緑風会から文部大臣をとりたいからというので、下條康麿氏を頼むとやつた。よし決めたということでそれを大磯ではつきりと言つておられるのです。それで下條さんに、その日に帰つて來て下條さんの四谷のうちへ行つて、あなた文部大臣に決まつたぞと、本当か、本当だ、絶対太鼓判を押す、俺が大磯会談で決めたのだということを言つて、決めたとその当時言つたのです。そういう男ですからそのくらい総理に突つ込んでおるのです。
そういうことを今までも何十回と言いふらかして、票が決戰になりますと言いふらかす人はありました。それはもう一遍や五遍や十遍、二十遍じやないのです。丁度この前の……。
そうしたことは冗談に言われたことはありますが、それは嘘なんです。
それは覚えておりません。
僕は冗談に言われたことだと思つて気楽に流しておりますから覚えておりません。
それは事実です。
吉田総理以外は誰が書いてもそれは鼻紙なんです。
いや、それは贋物ですよ。
それは私が書いた紙なんです。
私が書いたのです。
いや、それは違います。それは私の便箋ですね、私の便箋に私が書いただけのものです。
どういうことを書いたか紙を持つて來ます。自分の家から。書いたのを持つていますからね。
それを持つて來て御覧に入れます。
そういうことじや全然ないのです。そう言われると困る、誘導訊問したら困るです。
聞いたという人を何人か出して貰つて、私がどういうことを書いたかということを聞いて貰えば……とにかく小川友三の便箋で小川友三の判が押してあるのですよ。
いや、間違いありません。小川友三の……
いや小川友三の判が押してあるのですから。