今度ストックホルムの論議で、工業所有権のパリ条約の修正——これは日本でも意匠登録の問題とか工業所有権の問題とかあって、著作権としての応用美術の関係で、いわゆるなわ張り争いと言ってはことばが悪いですけれども、どうも日本のベルヌ条約の観点からいうと、著作権の応用美術に限った場合には、工業所有権の場合とだいぶ違うようにも思われるわけなんです。そこで、工業所有権と応用美術の関係について、ストックホルムではどういうような形の論議がされたか、承りたい。
今度ストックホルムの論議で、工業所有権のパリ条約の修正——これは日本でも意匠登録の問題とか工業所有権の問題とかあって、著作権としての応用美術の関係で、いわゆるなわ張り争いと言ってはことばが悪いですけれども、どうも日本のベルヌ条約の観点からいうと、著作権の応用美術に限った場合には、工業所有権の場合とだいぶ違うようにも思われるわけなんです。そこで、工業所有権と応用美術の関係について、ストックホルムではどういうような形の論議がされたか、承りたい。
大体ストックホルムの審議の内容がわかりましたが、この応用美術と意匠法との関係は、私は対象が違う場合もあると思う。ベルヌ条約における基本的な発想からいえば、そういうもの、固定されないというものの著作権でございますから、そういう意味では、意匠法の対象と応用美術の著作権としての対象が違うように考えられるのです。 そこで、これは応用美術と工業所有権の登録とは性格が違うというようにも考えて、あるいはデンマークが全面的に破棄しようというのも意味があったのではないか、こういうようにも考えておるわけですけれども、日本の場合はそこまでの段階に進んでおらないとすれば、今後応用美術の個々のとり方について、たとえば、いまあなたがおっしゃったデザイナーの
それから映画のことで、今度国際的に映画の交流が大きいから映画の問題が出たのだと思いますが、これは日本の今度の方針なり文部省の案を見ましても、この映画の著作人と著作権者との関係が非常に分けてあると思うのですが、この映画の二次使用といいますか、そういう面からくる請求権の問題、こういうような問題について、国際会議ではどういう話し合いがあったのですか。
映画のことで少しわからぬことがあるのですが、たとえば「七人の時」という映画をイギリスがビデオにとって、テレビ放送に使う場合の著作権者は映画会社になるのですね。そうした場合に、その報酬とかそういうもののいわゆる財産権というものは、これは映画会社の専有のものになるのですか。
ストックホルムの報告に基づく質問は大体それで終わりまして、この提案されておる法律と直接関係はない、延長法とは関係はございませんが、せっかく答申が出、文部省が試案を出しておりますから、一、二お伺いして、あと唐橋先生とかわりたいと思います。 この著作権法の改正というのは非常に多岐に問題が多くして、突っ込んで研究すれば相当な問題点をかかえておると思います。それで、もう少し著作権に関係のある役所というか、そういうところというものは、国民各層にこの著作権の所在なり移行する姿を浮き彫りにして、教育をすると言うてはことばが悪いが、意見を聞くようなことはできないのか。ただ、国会で全面改正の論議が出て、二年待ち、三年待ちにして逐次権利保護の延長を
文部省としてはそういうお考えでありましょうが、アメリカもいま著作権法の基本改正を進めておりますけれども、それぞれの持ち場の委員会なりというものは非常に綿密な計画を立てて、綿密な資料を提供してやっておるのを見ますと、何だか日本の場合は官僚的なにおいがしてならない。そういうために、きわめて著作権というものは国民には迂遠なものになり果てているのではないか、こういうような感じがしてならないわけですが、あと一、二年、三年残されております歳月を、やはりもう少し綿密な——たとえば、言うならば答申案のパンフレットが出ましたね。そのパンフレットにしても、大体答申の審議委員が一体どなたかわからぬような、まるで十ぱ一からげにしたような答申案になっておる。
いま外国人の仲介業務者が、日本にばっこしておると言えばあれですが、既得権を持って相当入り込んできていると思うが、この仲介業務法の改正にあたって、既往の既得権を持っておると称する外国人の所有権仲介業務者をどのように処置していくのか。仲介業務者というものは一単位一つとして考えていくのか、複数と考えていくのか、この辺の関係について、まだ構想で、きまったなにはないでしょうか。
問題は、音楽の場合が一番多い。いまあなたのお話に出た二次使用になりますか、そういうような場合に、日本の場合には楽譜とか歌、あるいは作詞、作曲というのが演奏者とワンセットになって、作詞、作曲、歌い手までレコード会社のまるかかえの専属制度をとっているわけなんです。そうなると、この著作権というものが、仲介業務あたりでも非常に問題点になるのじゃないか。作詞、作曲——演奏のほうは、それはいいですよ。レコード会社とワンセットになっていいと思いますけれども、作詞、作曲というのが、どうも著作権としてはっきりしていないで、専属されている。こういう問題から日本音楽著作権協会の運営などに相当の問題が派生してきている。これが国際的になってくると、外人のあっ
そこで、作詞、作曲の専属制度というものは、ある程度けじめをつけておかなければ、いまのように専属制度をとっている以上は、だんだん理詰めにしていきますと、二次使用なりをしていきますと——レコード会社がまるがかえで何もかもとっていけば、それでいいと思うのですよ。それでなければ、二次使用のときには、それまでレコード会社がとるとは言わない。こういったものの専属制度というものが生きておれば相当問題があると思うのですが、この辺は相当考えて、作詞、作曲の場合にも、著作権の確立をする場合には、専属制度というものを廃止の方向に向かわせたほうがいいのじゃないか、こういうふうにも考えるのですが、どうですか。
日本音楽著作権協会の信託約款の問題なんですが、それがいろいろ著作との間にいざこざが絶えないわけなんです。この問題について、どのように信託約款の問題は処理していこうとなさるのですか。
仲介業務法の問題は、二次使用とかあるいは電波使用とか、こういうものがだんだん起こってきますと、相当仲介業務の問題がふくそうしてまいると思います。権利というようなものになって、著作権者がだれだったのかわからるようになって、その間に独占されたり、かすめられたりというようなことになるので、仲介業務法というのは、私は、著作権法改正と同時に、もう少しシビアーに考究をして出す、これを一括契約という形に持ってくるのがいいのか、あるいは法規制をやっていくのかという問題点などもたくさんあると思うのです。この点、仲介業務法も著作権法の改正と同時に出していただきたい、こう思うわけですが、その点についての御判断はどうなんですか。
いまの音楽著作権協会の信託約款の問題についていろいろトラブルがあるようでございますが、それは唐橋委員のほうからもっと具体的な問題をお尋ねするように聞いておりますから、この点には触れません。 最後に、翻訳権の問題で、今度はストックホルム会議で留保を取りつけてまいりましたが、これはおそらく十年あるいはアメリカの七年がそのままいくか、五十年でいくか、あるいはその中間をとるかというのは大問題になってまいりましょうと思いますが、いまの審議会なりあなたたちの一応の方向としては、留保を取り下げて五十年になるという方向に持っていくのか、あるいは依然として留保取り下げはしなかったが、五十年の方向に向いておるのか、アメリカの改正案の見通しはどうなの
問題点がたくさんございますが、これは今度の延長法規に直接関係はございませんので、この程度で私の質問は終わりたいと思いますが、やはりもう少し国民の間に、その成り行きなり権利移行の模様というものを時間をかけて——今度は二年延長でございますが、二年間の時限的なもので、二年たってまた二年を延長するということはもうないと思います。三年延ばし、二年延ばし、また二年延ばしたのですから、ないと思いますが、その間に、国民に権利移行、著作権法の基本的な流れというものをさらに知らせる必要があるのではないか、このように私は考えておるわけであります。この点についてどのような——もうこれでいま内閣法制局で法案のチェックをしておるから、これができ上がればいつでも
今度出版権の問題で、やはり複製という形にウエートを置いてきておると思うのでございますが、そうすると、出版権の取りきめなどについては法律化をするのか、あるいは別個の法律をつくるのか、その辺のところをちょっとお漏らし願いたい。
これで終わります。
この法案に関連して、センターの運営について二、三質問をいたしたいと思います。 オリンピック記念と、こういう名称がついておりますが、何かスポーツと実際運営と関係がございますか。なければないでけっこうです。
スポーツの考えが入っておるというけれども、実際面では何もスポーツは入っていない。野外運動場もスペースはない。野外で運動しようにも何もできぬ。ただ泊まるだけの宿屋みたいな形式で、体育に関係があって体育局の所管というのはおかしいです。実際体育に関係がない運営をやっているのですが、これでもやはり体育にこじつけられるのですか。
オリンピック記念的な展示などもやる用意があるかどうかということ、それから、いまスポーツの研修と言うが、内では少しスペースをとったかもしれないが、野外の運動場がないでスポーツといえば、一体何のスポーツか。柔道場か剣道場か弓道場か、そういうものがあって、青少年をそういう面から導いているかといえば、そうでもないでしょう。そうすると、研修といったって実際問題としてレクリエーションの場もないじゃないですか。座禅でも組ませなければ何もすることがないような施設で、名前だけは体育というふうに銘を打ってあるけれども、体育らしいものは、幾ら内の体育館が何ぽかできたといっても、それはたいした体育にはならない。体育研修なんておこがましい、こう言わなければな
泊まって自己に適した場を提供してと言うけれども、その場がないと言っているのです。一体どういう場を与えているのか。結局、場のない研修をさせるということになる。それだったら、宿泊してどういう場があるのですか。座禅をする場があるのか、図書館の場があるのか、柔道をする場があるのか、運動をする場があるのかというと、ピンポンするぐらいしか場がないでしょう。その場がないでそれぞれに従って研修をする、それじゃあとはおまえらかってにやれということじゃないですか。そんな研修センターなんておかしくて、一体どういうつもりなのか。
私も行ってみたが、オリンピック選手村だったから、かなりの宿泊設備はあると思う。しかし、研修設備がありますとおっしゃったが、あることは、無存在ではないかもしれない。しかし、研修設備がありますと言うのには、日本が法律をもって研修センターをこしらえたものからすれば、むしろない、お粗末だと言うほうが正直じゃないですか。どうですか。