人件費のトータルは幾らですか。
人件費のトータルは幾らですか。
そんなになりますか。そんなにならないでしょう。六百万というと、あなた、八万円で七十何人でしょう。八、八、六十四で、八万円弱の平均ベースを持たなければ六百万になりませんよ。私は四万と見ておいた。八万の平均給与になると、相当商い給与になる。
予算で月に八百万……。
六百万の人件費に、今年は職員をふやして八十人と見ますね、七十八人になりますけれども、八十人と見た場合に、平均ベース七万五千円というと、これは相当な職員ということになる。理事さんあたりは相当取ることになると思うのですが、まあそれはいいでしょうが、そうした場合に、逆算してまいりますと、六百人の平均宿泊を見、それをとっていきますと、今年はどのくらい——去年は十五万五千の延べ宿泊者ですが、ことしは延べどのくらいに覚ますか。
そうすると、二十万を十二カ月で割りまして月に二万六千、それを日に直しますと約六百人になるのですが、六百人の宿泊で六百万円の利潤——利潤と言ってはおかしいが、とにかく水揚げから食い落としを引いて、かりの利潤というものがあがらないと人件費だけでも落とせないわけですが、そうすると、学生一人の宿泊からどのくらいの上前をはねなければ、その人件費が回らないと計算していますか。
年度末にならなければ明らかにわからぬわけでしょうが、独立採算制というたてまえに立っておれば、これは相当なバランスシートを立ててやらない限りは、出たとこ勝負の経営になってしまうと思う。だから、管理者である体育局のほうで一年間のバランスシートくらいは持っておらなければ、これは出たとこ勝負の経営であるとしか考えられない。理事長まかせだ。そのために体育局が管理しておる。バランスシートの一枚くらい持っておれば、経営の大かたくらいつかめるんだ。実際、私がちょっと見たところでは、人件費六百万をとにかく捻出しなければならぬ。それに管理費があるわけです。人件費六百万プラス管理費をどのくらいに見ておるんですか。
年間の管理費が一億二千万円というと、月一千万円の管理費になりますね。
そうすると、どういう管理費の使い方をするか。私の聞いた管理費とあなたの言った管理費とはだいぶ違いがありますが、管理費として見た場合に、普通の経常管理費が一千万円かかるという管理は、どういう管理をするんですか。
管理費の中に去年の赤字を入れるのは、簿記上どういうことですか。管理費の中に去年の赤字を繰り込んで、管理費を計上するなんて計算はおかしいじゃないか。管理上から出た赤字であろうけれども、一年たって決算したらまた管理費の中に入れる、そういう経理のしかたはないはずです。
赤字の処理を管理費にぶち込んでいくという経理のしかたはおかしい。私はそれを追及しているわけでないんで、派生的に出たのですが、赤字だったら赤字を経理上きちっと計上して、それに対する対処を考えればいい。それを本年度の管理費の中に入れて、償却していくというのはおかしいと思うのです。 それにしても、管理費が月に一千万円、人件費が六百万円、月に一千六百万円は絶対に出さなければ赤字になるということです。そうでしょう。そうなれば、どうしても研修青少年の上前をはねなければ、月に一千六百万円の純粋な人件費と管理費だけでも上がってこないと思うのです。そうなれば、六百人か八百人の宿泊なりあるいはそういう研修の場を提供したとしても、かなりの青少年研修者
そうすると、食事は別にして、食事は請負にやらせておるということになれば、そういう四百円、二百五十円、二百円というのは、こちらを埋めていく金になるわけですね。それにしても管理費が一千万円、人件費が六百万円、計千六百万円の月々の出費を重ねていくということは、これは安く見積もっても相当の費用を食っていくわけです。そうなれば、このバランスシートは赤字のバランスシートしかできないと見て、これをとんとんに持っていくというのは、先ほどのように去年の赤字をことしの管理費の中にぶち込んで、管理の費用に補助金を取るというおもしろいやり方をしなければ、うそのごまかしをしなければ、つじつまが合っていないのである。出発の当初から赤字を管理費の中にぶち込んで、
私の質問もあと一、二で終わりたいと思いますが、オリンピック記念、オリンピック村をこの施設に提供してきた以上、オリンピックのいわゆるスポーツというものに関連を持った一つのセンターとしてここに生かすという方向か、あるいは青年の家式の形の一つのセンターとして生かすかという、生かし方には二通りあると思いますが、やはりオリンピック記念センターとすれば、スポーツに関係がございますかと言われたときに、大いに大手を振っていられるような一つのセンター、宿泊施設あるいは研修センターという試みで、当初の目的どおりいってもらいたいと私は思う。それがためには、相当なスポーツの施設も一必要だと思う。それと同時に、そこで幾らスポーツを研修せよと言い、あるいは趣味
ストックホルムでベルヌ条約の改正会議があって、文部省からも一月にわたって出張なさったと思いますが、それの概略の報告を承りたい。
もっとはっきりしていただきたいのは、一番困っているのは、ベルヌ条約と万国著作権条約とが、アメリカの独自性があって、日本の法改正ではマルCの指定などでも非常に取り扱いに困っておるわけです。この点について、いま著作権の組み立てが、アメリカの場合には固定したものに届け出なければ、出版ができないとなっている。日本の場合は、創作した者その者に著作権の存在を認めておる。未発行の分と既発行の違いがあると思うのですが、その場合に、アメリカがベルヌ条約に入りやすいようにするということはどういうことになるのですか。もしアメリカがベルヌ条約に日本のように二重加入をした場合には、ベルヌ条約のほうが優先をした形に持っていかれるという意味ですか。それはどうなん
そうすると、ベルヌ条約が優先するという形になれば、日本の場合も、もしアメリカが今度の法律改正で入るということになれば、日本の法改正は、アメリカがベルヌ条約を承認して入るかどうかを見定めてからでなくては日本の法改正もちゅうちょする——しちゃ悪いということはないが、ちゅうちょしてもいいということになりますかどうですか。
それは突っ込んで言えば、マルC条項はかりに日本内地の著作権がやっても、アメリカに届け出をしておかなければアメリカでは何の効力もないということで、国内法のワク内はそれはマルCの表示をしておればそれでいいようなことであるが、アメリカ国内としては、これはアメリカの著作権局にちゃんと届け出をしなければ、アメリカは適用にならないというようなハンディがあると思っているのですが、そういうようなハンディがありますと、なかなかこの著作権も、ベルヌ条約だけで押し切っていくのには、非常に国民を惑わす点が大きいわけなんです。その点、今後の問題でありますが、どう解釈されますか。
その辺のところはまだ問題点があると思いますが、一応ストックホルム会議に出るまでは、翻訳権の十年保留は文部省は破棄するような言い方であったと思うのです。これはどうなんですか。最初出るときには、審議会あたりでも、世界の大勢上保留はできないだろうというように思われておった。今度はがんばって、保留をさらに取りつけて帰ったということですが、その辺、文部省の態度はどうだったのですか。
草案を見ると、留保を破棄していくという方向に向いておったから、ストックホルムの会議でも、あなたたちはもう最初から留保をあきらめて投げて帰る、かように思っておったのですが、留保を取りつけてそのままで帰ったというので、問題は今後の国内法の改正過程にあると思うわけなんです。その点についてはそのときに申し上げたらいいと思いますが、やはりこれは留保を取りつけたから、一応のメンツの上ではおかしかったかもしれないが、留保を取りつけたということは自由選択の権利が日本に残っておるということになれば、十年保留がいいのか、またアメリカとの間は、万国著作権法によって七年になっているわけですね。そのかわり幾ぶんテクニカルが違うと思いますが、こういう問題を二十
ブラッセル規定ができましてからかなりの年月がたって、まだ日本はそれに入っていません。私は、この問題の解決は日本の国内法の総合的な改正と切り離して考えてもいいんじゃないか、こういうふうにも考えておるわけですが、同時に、今度知的所有権機構が新しくできるとすれば、日本も勢いブラッセル規定だけ入って、ストックホルムのこの知的所有権構想には参加せないということもおくれをとるんじゃないか、こう見ると、この二つの条約の加盟というのが今度の法改正の前提として——私はあえて前提と、こういうことばを使うのですけれども、国内法が常に国民の前に出てまいりますが、この著作権法というのは、国内法であると同時に国際法的な要素も持っておると思うのです。そういう意味
困難ということは困難かもしれません。しかし、この著作権法を考える考え方として、国内法をつくってから条約に加盟するという考え方がいいのか、私は、同時なりあるいは前提として、国際条約に加盟という前提をもって国内法を整備していくというのが、著作権法が国際法的な性格を持っているという意味から考えて、まず国際的な条約の加盟というものをはっきり国民なりあるいは審議会の意思表示が出てきて後に、さてそれならば改正国内法はどのように取り扱うかというのが出てくるのが手順じゃないかと思う。ところが今度の審議会の報告などを見ると、国際条約の加盟についてはあまり触れておらない。国内法はこうだ、こうだ、こうだというようなかっこうの答申になっておるところに、いさ