これは日本鋼管その他がやりましたので、ここまで話が進んだのでございます。この問題でもって相当長くタイの政府と話をしておいたのでございますが、そのうち、タイの政府のほうで、この案はドロップしたということを言って参りまして、それで終わったのでございます。
これは日本鋼管その他がやりましたので、ここまで話が進んだのでございます。この問題でもって相当長くタイの政府と話をしておいたのでございますが、そのうち、タイの政府のほうで、この案はドロップしたということを言って参りまして、それで終わったのでございます。
昭和三十年の一月ごろに向こうから始めまして、それからその話がずっと進んでおりまして、ピブン内閣が終わりまして、それからタノム内閣ができまして、その後になりまして、三十四年の九月にタイ側から、精油工場建設を特別円の問題の解決と切り離したい旨、正式に申し入れてきた次第でございます。
去年の一月ごろまで、いろいろなことでもって向こうと話し合って、これは精油工場の問題もありますし、その他の問題もございますし、この経済協力の形をいろいろな形で、あるいは精油工場の形、あるいは向こうに九十六億を貸し付けまして、そこで利子と、それから元利合計でもってほとんど利子にひとしいぐらいの額で返してもらう案、その他そういう案を向こうと交渉していたのでございますが、結局向こうといたしましては、それに深く入ることなく、それをある時期が来るとドロップしてくれと、こういう方式を何回となく繰り返していたのでございます。
タイとの貿易につきましては、資料を配付してあると思いますが、一九六〇年をとりましても、下に書いてあるのはドルで、このドルで読みますと、輸出のほうが一億一千七百万ドル、それから輸入のほうが七千二百万ドル、それから一九六一年は輸出が一億三千万ドルで輸入が七千八百万ドルでございます。そうして一九六〇年は約四千五百万ドルの日本の出超、一九六一年は約五千五百万ドルの日本の出超、これは大蔵省の通関統計でございます。
タイからの輸入のおもなるものは、相当前は米が非常に多うございましたけれども、最近は減りまして、米と、トウモロコシそれからゴム、そういうものがふえて参った次第でございます。 それから日本から向こうへ参りますものは、繊維製品と金属製品、機械製品、そういうようなものでございます。
お答え申し上げます。この〇・五トンの金につきましては、略奪財産だと司令部からスキャッピンが来たのでございますが、当時戦争中に金銀その他いろいろなものが実は日本に持ち帰られてきたのでございます。それに対しまして、司令部からまずスキャッピンが出まして、略奪財産に属するもの、金銀を含めまして調べさせることにしたのでございます。ところが、日本の帳簿を調べてみますと、そのころの帳簿は、あるものは焼けておりますし、それから、持ってきましても、金はそのままの形で置かないで、あるいは鋳り直し、また、ほかから持ってきた金と一結にしたのでございます。そこで、前にも御説明申し上げましたと思いますが、タイのためにイヤマークしていた金そのものが略奪したものか
そのときいろいろな報告書を出したのでございまいすが、その報告書の中にも、これは調べましたところが、その金というものはいろいろアマルガメートしたし、どれがどれか必ずしもわからない、ただ、帳簿にあるのは、陸軍の何とかが、陸軍の部隊が持ってきて、これを日銀に預けた、そういうふうな表がたくさんできたのでございます。
実は、当時司令部から何回となく日本政府に対しまして正確なる資料を出すようにということを言われたのでございます。ところが、当時の日本におきましては、焼失したり、前にも申しました通り、アマルガメートしたり、いろいろなことをしておるものでございますから、正確な資料が出せない。そこで、出した資料があるわけでございます。それは非常に膨大なる資料を出したわけでございます。そこで、司令部の中でいろいろ検討いたしまして、その結果、イギリスに少しとオランダに少しというものを略奪財産の金として返せということを言われまして、その部分をもって済ましたわけでございます。ですから、これはスキャッピンによったものでございます。
お答えいたします。その前に、このスキャッピンのタイと英国に関する部分を見ますと、この四十二本の分は、日本が占領地域から日本に持ってきた金の責任に相当する、——アカウンティング・レスポンシビリティという字を使ってあるのでございます。相当するという字が使ってあるのでございます。そこで、金はアマルガメートされまして、そうして、タイの部分といたしまして、二千何百個の、二千六百九十六ですかの金の形にしておいてあったわけなのでございます。ですから、ここに、前にも申しました通り、この四十二個の分が、はたしてそのものが略奪してきたかどうか、そこはわからないのでございます。ただ、しかし、それに相当するものを日本が外地から持ってきたということの資料が明
その分はイヤマークした金の部分に入っておるわけでございます。
その部分の金はタイのものとして戦争中からイヤマークしていたのでございます。
これは、イヤマークをしておったのが四十二個だけじゃございませんので、そのほかに二千幾つという金の形にしてイヤマークしてあったわけでございます。これは日本政府はタイの分としてイヤマークしておいたわけでございます。ところが、戦時中外地から持ってこられた金というものは、いろいろな形になっていて、タイのその部分に相当するかどうか、それはわからないのでございます。しかし、とにかくそれに相当するものが外地から日本に持ってこられたという事実があるわけなのであります。そこで、司令部が、タイにイヤマークしたその部分のうちから、この四十二個というものをこれは英国に返すということをしたわけなんです。ただ、日本としては、それに相当する〇・五七トンの金という
これは、司令部に出した表の中にも、どこから持ってきたということをせずして、どの部隊が持ってきたという形で、相当膨大なる報告をしておるわけでございます。
司令部からの資料を見ましても、日本が占領地から持ってきた分といっておるのでございます。そこで、どの部分から、どこから持ってきたかというような資料は当時日本になかった。ただ、外地から持ってきた、どの部隊が持ってきたという資料だけがあって、それを司令部に報告した、こういうわけでございます。
この表を見ましても、その点は未確認なんでございます。
これらの金は、あるいは日銀とか大阪の造幣廠とかにありましたけれども、その管理は司令部がしていたわけでございます。
そうでございます。
御質問の意味があまりわかりませんが、推察いたしますのに、戦時中日本政府が日銀に管理してあったのでございますが、そのときの資料が焼けたりしてはっきりしなかったということなんでございます。
このタイにイヤマークされた金の部分だけ、司令部が管理を移して、そうしてその部分だけ日本からタイへ渡せという司令が出たのでございます。また、同時に、その管理しているタイの部分の〇・五トンの分を英国に引き渡せという命令が出たのでございます。
場所は日銀か大阪造幣廠にありましたけれども、管理は司令部がしておったわけでございます。