そうでございます。
そうでございます。
日本政府としましては、司令部のスキャッピンによって動いたのでございます。ただし、〇・五トンの分とかタイに引き渡した分に関しましては、日本政府の役人がタイの人と立ち会いまして、それに司令部の第三者が立ち会った上で渡したのでございます。
そこで、その〇・五七トンの分は、その確認している四十何個の金であるという、これは確認しておるわけでございます。
これは司令部の命令で渡したのでございますが、しかし、日本がとにかくそういうふうな金に相当する分をどこかの外地から持ってきたという事実も、私どもの資料の上に出ているのでございます。
資料によりますと、〇・五七六トンの金に相当する部分は、東京インテンダンス・デパートメント、経理部ですね、陸軍省の経理部が一九四三年の五月五日に持ってきたということが確認されておるのでございます。
これは、現実のところ、どこから持ってきたのかわからないのでございますが、司令部はいろいろ英国側からもクレームを受けましたし、この問題は司令部の中に委員会を作っていろいろ審査したらしいのでございますが、その結果、そういう結論を出して、そうして日本に命令を下してきた、こういう事情でございます。
その〇・五七トンの金は、例の三十八トン幾らのときのイヤマークされた金でございまして、これはタイの所有に属する分でございます。ですから、当時もしイヤマークしたものがそのままタイに行っていたならば、二億幾らという金を五十四億円の中に入れる必要はなかったわけであります。ですから、すでに〇・五七トンの金をタイはもらうべきのところをもらわなかったというところでございまして、戦後の価格にそれを換算すれば四百五円をかけるということになるわけでございます。
二十一トンの部分もこれはタイのイヤマーク分でございます。ただ、特別円の関係上、これは一億一千幾らという額になったのでございます。
そうでございますが、二十一トンの部分はタイに対して例の三十八トンと一緒にタイに返しているのでございます。 〔以下録音による〕 だから、〇・五七トンの部分も、タイへそのまま金塊でその当時返しておれば、それで済んだのでございます。それを返さないから、当時の金にいたしまして、それは司令部が引き渡したそのときの値段も四百五円でございますし、それから後も四百五円でございます。金塊をやるか、あるいはそれを当時の価格で円に直してやる、これは当然だと思います。
これは二十一トンもタイのイヤマークした額でございます。それから〇・五トンもタイのイヤマークした額でございます。ただ、二十一トンに関しましては、戦時中に売りましたから、一億一千という数になったのでございます。ところが、〇・五七トンは、戦争後になりまして、それをタイに引き渡さなかったから、それは支払いがあとになったから二億幾らという額になったのでございます。
私の申し上げているのは、〇・五七トン分の金は英国に引き渡してタイに引き渡さなかったのでございます。ですから、この部分の金を金の形でタイにやればその問題は起こらなかったわけでございます。その当時。ですから、その当時、特別円決済の際に、特別円協定の三十年協定の際に、この部分を〇・五七トンの金でやれば、それを一つの解決、それをプラスしてやれば一つの形だと思うのでございます。ところが、それをポンドで払った。そこで、そのときの換算率によって二億幾らという額になったのでございます。
このうち特別円協定に関係のない部分もございます。たとえば、この軍費借款に関するタイ国大蔵大臣と駐タイ日本大使のこれは、特別円協定ができます前の軍費特別協定に基づくものでございます。それで、その部分はすでに、かつて申しましたけれども、八千万円の軍費を出すかわりに金でイヤマークするという関係でございますが、このうち現実に支出しましたのは二千三百五十万千九百八十一円二十八銭を支出いたしまして、それに対する金はすでにイヤマークして売却いたしまして、それで、これは当時送れませんものでしたから、司令部の中に入っておりまして、それが今度は返った、そういうふうなことがございます。 それから、その次の、たとえば横浜正金とタイ国銀行局間の軍費借款協
関係ないと申しましたのは間違いでございまして、それは事実借款が行なわれなかったから特別円協定の勘定には入ってこなかった、こういう意味でございます。
そういう取りきめはございますが、日銀を調べてみますと、現実に貸したことがないということが判明しております。
それは、借款協定に関する取りきめはございまして、二億円のワクでございますが、このワクを実際に行使せられなかった、こういうことでございます。
お答えします。 三十八トンの金でございますが、その前に申し上げますことは、昭和十六年の八月以降から戦争終了後まで、日本がタイに売却した金でございます。その金は、すでにこの所有権はタイに行っておりまして、ただ当時の状況で必ずしも船の便宜その他輸送の便宜のために送れないために、日銀の倉庫の中に残っていたというものがあるのでございますが、その売却した金が約四十四トン、詳しく申し上げますと四四・八三トンの金があったのでございます。まずそれから申して、発生の原因はあとで申し上げます。そのうちの、戦争前または戦争中タイに現送した金が五・九八トンあったのでございます。その五・九八トンのうちで四・三一トンの金は、昭和十六年の九月十五日に現送して
軍費と特別円勘定と関係のない金の売却が一八・一三、あと端数はございますが、一八・一三トンございます。それから、特別円協定ができます前に軍費信用設定協定というものがございまして、それで売りましたのが四・八九トンの金がございます。それから、その次に、特別円勘定設定後金を売却しましたものが二一・八〇トンございます。それを全部合計しますと、約四四・八三トンになるのでございます。そのうち、戦争前または戦争中タイに現送した金、これが、五・九八トンございます。そこで、残りの部分が三八・八五トンある。これは売却して所有権がタイに行っちゃって、ただ現送できなかった金、こういうのが残っております。
まず第一に申しますと、戦時中日本軍が占領地から内地に、略奪してかどうか知りませんが、とにかく持ってきました金並びにその他のものがたくさんあるわけでございます。それで、占領軍としましては、その金銀とかいうような以外の略奪品に関しましては、はっきりとそれがそうであるということはわかるものでございますから、それをわからして返さしたのでございますが、金銀に関しましては、まず第一に、日本側にスキャッピンを出しまして、これは一番最初は昭和二十一年のスキャッピンでございますが、出しまして、そういうものがあるならばオーバーロールな報告をせよということを占領軍からわが方へ申し込んできたわけであります。ところが、わが方を見ますと、当時、たとえば日本の軍
これは、私の方は日銀の帳簿で調べたのでございますが、それによりますと、いろいろの費目からなっておるのでございます。そこで、これは借記の方と貸記の方とで申し上げます。それを今読み上げます。 端数を全部読み上げますと、まず、軍費調達の方が十四億四千八百二十八万九千五百円でございます。向こうではバーツになっておりますが、こちらは円。それから、それの反対に、日本の方で借記している額が、いわゆる金で二一・八トン売った分はこちらの方で借記しております。それが一億一千四百十一円五十一銭、こうなっております。そこで、それだけが借記で引かれているわけです。それから、為替集中を、これは協定第二条で、その協定の効力は別として、為替集中をとにかくタイと
これは、当時、昭和二十三年七月五日までは、日本銀行の商業手形割引歩合が年利五厘で、それ以降は七厘五毛でございますから、それを勘考しまして計算したのでございまして、その利息は昭和二十年の六月三十日までを足した分でございます。