簡単に申し上げますと、佐川清さんですね、会長、これは五十八年の暮れに、東北佐川の社長が反物を持ってきてくれたわけです。突然のあれなものですから、私は東北佐川からもらう理由ないからお返ししますと言ったら、いや、そう言わないで、これ、会長からの贈り物だから受け取ってくれと言って東北佐川の社長が来たのが五十八年です。
簡単に申し上げますと、佐川清さんですね、会長、これは五十八年の暮れに、東北佐川の社長が反物を持ってきてくれたわけです。突然のあれなものですから、私は東北佐川からもらう理由ないからお返ししますと言ったら、いや、そう言わないで、これ、会長からの贈り物だから受け取ってくれと言って東北佐川の社長が来たのが五十八年です。
反物。
反物、反物。
大島でした。 僕はびっくりして、私は取引もないからお返ししますと言ったら、受け取ってくれと言って置いていっちゃった。そのうちにあいさつしてください、京都へでも行ったらあいさつしてくださいと言ったのが五十八年の十一月の末だと思いますがね。その辺はまあはっきりしていませんが、五十八年。 それで五十九年にこういう問題ができまして、それで安倍先生が、突然ーーどうも安倍先生と佐川会長というのは近かったんじゃないかと思います。今になって考えますと、京都の会長とは。それで、安倍先生とは私も御承知のとおり非常に近しくしておるものだから、金の問題を相談に行ったわけです、五十九年に。そうしたらば、よし、わかった、なかなか金融機関はこういう騒ぎだ
はい。
いや、そんなことないです。
ありません、絶対。これは間違いなく。
ありません。
もう一切私は親戚は使わないことにしておりますから。親戚の関係は、そういったのが、自分のおいっこが嫁もらって、おいっこに対してもあれだから、親戚関係を当てにしたことは一切ありません。
はい、見ました。
これは私は言ったと思います。言ったことは、新聞にはいろいろな報道がありますが、私は日債銀に非常に取引が多かったものですから。年数は五十九年ということになってますが、五十九年は人の話を騒いでいるような時期じゃないんです、自分のところへ火がついているんですから。そうじゃなく、その前にね。
ええ。金丸先生ばかりじゃなく、ほかの先生方も含めて皆さんに、日債銀の社長はやはりワリサイによる資金を集めたと聞いてますから、だからみんなに、余っている金があったらワリサイ買えよということを勧めてました。だから金丸先生にも言ったと思います、間違いなく。
多田なんというんじゃねえすな。
多田は私とまだ口きくまでになってねえんじゃないですかな。
はい、下っ端で。
いや、あったかもしれませんがね、今は記憶ちょっと。わしらのことだから、会えば、債券買ってあげてください、おれも金借りてるからと。
そんなことあるわけないですよ。五十九年は、私は、会社がつぶれる騒ぎをしているんですから。
そんなことないですよ。
金丸と仕事したこともないし、関係したこともないです。
ありません。