委員長は、時間がまだ十八分に来ていないにもかかわらず、簡潔にしてくださいということは言われますか。
委員長は、時間がまだ十八分に来ていないにもかかわらず、簡潔にしてくださいということは言われますか。
十八分までなんでしょう。しかも、党の間でいろいろとやりくりをするわけだ。 だから、委員長、これからの運営に関しては、くれぐれも軽々にそういうとめ方をしないでいただきたいと思います。 この給与改定の話についての私の心証は、非常に悪くなりました。現実にこれからどういうふうに判断するか、審議を見きわめて決めましょう。 終わります。
おはようございます。民主党の山口壯と申します。 寺岡さん、きょうは本当にどうも御苦労さまです。私も、寺岡さん、一九八四年から八六年まで、内局の運用課というところにいました。当時は航空自衛隊の運用だったんですけれども、最初の一年間は災害派遣も担当しまして、海のオペレーションルームにもほとんど毎日足を運んでいました。だから、手にとるようにいろいろなことがわかるわけですけれども。 ところで寺岡さん、防衛庁の勤務で、一番やりがいのあった仕事は何だったですか。
寺岡さんの専門職種は何だったですか。
防大の二十三期卒ですね。防大では、幕を含む自衛隊勤務について、何が一番大切だと教わられましたか。
寺岡さんのその実際の経験から、幕での勤務において最も大切なものは何だと認識されましたか。
誠実に任務を遂行するという中には、いろいろ連絡をとり合う、報告を怠らないようにする、あるいはきちっと相談する、こういうことも入っていたわけですか。
実際にP3Cの航空隊司令として鹿児島で勤務された。部隊を動かすときに、最も大事なことは何だと思われましたか。
寺岡さんは、アメリカで勤務されたことはありますか。
三月以上は勤務されたことはありませんか。
今、寺岡さん、遠洋航海と言われたですか。海洋観測システム調査で行かれたんじゃないんですか。
これは後で事実が判明すれば、正しいかどうかはすぐわかる問題です。 アメリカに行くと、よく山田洋行という会社が出迎えたりいろいろやっていましたけれども、寺岡さんの場合にも来ましたか。
山田洋行との接触はなかった、こういうことですか。
私は、内局、運用課に勤めていたときに、寺岡さんもカウンターパートとして仕事をされた高見澤が私の机の机の向こうの向こう、隣が今の次官の増田さんということで、高見澤とは二年間、増田さんとは一年間、ずっと仕事をしたわけです。よく、幕のカウンターパートの人が出入りしていましたね。私は航空自衛隊の担当でしたから、空幕の当時運用一班長竹河内さん、彼もいずれ議長になったわけですね。あるいはその当時の運用課長が杉山蕃さんで、よく運用課長のところに出入りしていました。運用課だったから、陸海空のそれぞれの運用課の人が出入りしていたわけですけれども、私の机の上には、空幕の運用課のカウンターパートと、受話器をとればすぐ山下二佐ですと出るようになっていたわけ
日にどれぐらい連絡をされていましたか。
そんな数の少ない話ですか。ほとんど毎日、何度も何度もとられるのが普通の形でしょう。
寺岡さんの部下の方はどうですか。
私は幕の状況もよくわかっていますから。この中で幕で仕事をした人はないでしょう。その中で、大体、一班長とか二班長とかあるいは防衛課長、全部の人が見渡せるように仕組みができていたわけですよ、当然課長からいろんな人がちゃんと把握できるように。そうでないと全体が把握できないですよね。ちょっと今の答弁は私には非常に不自然に聞こえます。 海幕防衛課と防衛政策課の間にホットラインはありましたか。
寺岡さんがいろいろ防衛政策課と連絡をとられた中で、特にこれは内局には言わない方がいいな、そんなことはありましたか。
当時の二〇〇三年の五月の八日に、統幕議長が記者会見をされたわけですね。その二時間後ぐらいに寺岡さんも防衛課長として記者ブリーフィングをされました。その統幕議長とそれから海幕の防衛課長、ほとんど相前後しているんですけれども、ブリーフィングも寺岡さんがされましたか、統幕議長への事前のブリーフィングです。