被災者切捨て程度では政権吹っ飛ばないという危機感ですよね。政倫審に関しては政権吹っ飛ぶ可能性がある。でも、被災地に関しては別にその心配がないと思ってそんなに薄情なことを言っているんじゃないですか。 委員長、災害特の毎週開催と総理の都度出席を求めてください。
被災者切捨て程度では政権吹っ飛ばないという危機感ですよね。政倫審に関しては政権吹っ飛ぶ可能性がある。でも、被災地に関しては別にその心配がないと思ってそんなに薄情なことを言っているんじゃないですか。 委員長、災害特の毎週開催と総理の都度出席を求めてください。
資料三。総理の御発言。被災者に寄り添い、できることは何でもする。この言葉にうそないですか。
資料の四。一月十四日、発災後、総理が初めて訪れた能登半島。ヘリに乗り、空から視察。 空から見た被災現場、総理が感じたことを教えてください。
答えになっていないですけど。空から見てどうだったんですか。
これまで総理御自身が直接御覧になった数々の災害現場、能登半島の被害状況というのはその中でもトップクラスでしたか。いかがでしょう。
元日に発災した能登半島地震、政府の初動が遅く、被害が広がったとも言われています。 総理は初動が遅れたと思われますか。
初動が遅れたというのは一般的によく言われていることだということでお尋ねをしました。 資料の五。国会図書館に聞きます。 世界で起こった災害、各国トップは被災現場にいつ入りましたか。資料の星印部分、解説をしてください。
今の解説以外でも、こちらの資料には、国のトップが二週間も被災地現場に入らなかった事例はなかなか見付けられません。 資料の六。総理が被災後初めて能登半島に訪れたのは一月十四日、地震発生から十三日後。 被災地に入るのがここまで遅くなった理由、教えてください。
道路事情が悪い、混乱するから現地に入るのが二週間後になったんだというのは言い訳にならないんですね。 資料の七。国交省、元日からの二週間、天候が理由で能登空港での発着がなかった日は。
天候が荒れたのは三日間のみなんです。そのほかの十日間は、現地周辺は飛行可能な環境なんですね。わざわざ地上に降りなくていいんですよ、視察。空から見るということでも十分対応できることはあるんです。総理が望めば、発災翌日でも空からの視察は可能であった。どう復旧復興させるか、どれくらいの復興予算が必要になるか、空からの現場の視察を行って被害状況を自分の目でしっかりと把握するチャンスを自ら二週間延ばしたんですよ。 財務省、現時点で能登半島地震に特化した補正予算組まれていますか。
来年度予算案に、一月一日以降追加された能登半島地震被災地に特化した予備費以外の項目はありますか。
資料八。これまで政府が発表した能登半島地震に対応する予算の額は。
当然、これっぽっちで足りるはずもないんですね。発災は一月一日、今国会開会日は一月二十六日。時間はあったけど、補正予算さえ組もうとしなかった。 資料九、十。次年度予算を審議している最中に災害に特化した補正予算を組む、審議する。過去にあれば、その事例と額を教えてください。
総理、なぜ今回、能登半島に特化した補正予算やらなかったんですか。
補正予算案出しながらでも別に、補正予算じゃないわ、予備費で出しながらも補正組むということ、無理、無理なことじゃないですよね、できないことじゃないでしょう。どうしてやらないの。 小出しに予備費を積み上げながら三千億程度積み上げるのと、年度内にまずは一兆円を超える補正予算どんと組むから心配しないでくれと、これ、被災地、被災者に対するその安心という意味では天と地の差なんですよ。当面は予備費で事足りるって判断したってことでしょう。その姿勢が……(発言する者あり)ちょっと待ってください。どうして理事がやじ飛ばすの。品がないんじゃないですか。当面は予備費で事足りると判断したと、その姿勢が能登の災害甘く見ている証拠ですよ。 年が明けて起こ
今回の災害では、道路状況が悪く物資が入りづらい、被災自治体が食材を調達することは無理だったんですね。 防衛省、今回は人道的観点から自衛隊が持ち込んだ食材で食事の提供などを行ったと聞いています。詳しく教えてください。
内閣府防災、珠洲市の現在の一食当たり必要な配食数、幾つですか。
必要食数さえ把握できていなかったんです。今回の問合せで内閣防災は理解したんですね。必要な食数は一食当たり二千五百食なんですよ。縦割り行政の弊害から被災者守るために、縦割りに横串を刺す、調整する、それが内閣府防災なんですけど、組織、既にパンクしています。 現地で活動する幾つかのNPOからもヒアリングしました。自主避難施設含む四十八か所の避難所滞在者が二月二十八日時点で約一千三百人、一月十六日以降市内で行っている全戸ローラー訪問の結果、避難所にお弁当を取りに来る在宅避難者の需要が約一千二百人と推定、合わせて一食二千五百食は必要なんです。発災後はもっと数が必要だったはずなんですね。 資料十二。発災後、珠洲市で自衛隊による最初の炊き
一月六日、自衛隊による珠洲市での最初の炊き出し、何食提供されましたか。
発災翌日の話じゃないんです。発災五日後でやっと、一日に百食しか提供できなかったんです。 総理、被災住民に必要な食料、食材、一刻も早く届けて安定的に提供するようにと特別に指示しましたか。