ありがとうございました。 終わります、これで。
ありがとうございました。 終わります、これで。
本法案は、学校法人の管理運営がより厳正になる、さらには、情報公開あるいは審議会の更なる改善ということですね。私も賛成でございます。 ただ、今振り返って考えますと、実は私立学校法というのができたのが昭和二十四年で、そのときの文部大臣が高瀬荘太郎さん、そして時の答弁者であった管理局長が久保田藤麿さんなんですが、この久保田藤麿さんというのは三重県の出身でございまして、大変私も懇意にしてもらったんですけれども、これ余分なことですが、おいっ子があの有名な三重県の北川知事です。 いろんな付き合いしたんですけれども、高瀬荘太郎文部大臣の思い出話のときにこの話が出まして、いや実は大変だったんだと。私立学校に対して、そのときは人件費あるいは経
今の大臣のお話のような方向で是非頑張っていただきたいと私は思うんですが、心配していることがあるんです。 それは、学校教育法で言う学校、私立学校法で指定される学校、これは公の支配に服するわけですから公的なお金を出せるわけですね。ところが、そうでないものはこれは学校とは言わないんでしょう、本当からいえば。学校とは何かという定義聞いたら、学校教育法並びに私立学校法に定められたもの以外は学校と違うんでしょう。ところが、今度は株式会社立の学校ができるとなった場合、これは学校教育法や私立学校法との関係はどうなるんだろうかと。まだ寡聞にしてその部分の条項が改正されるとは聞いてないんだけれども、現実に、ところが認可してもう三つできているというも
ということはあれですね、公の金は株式会社学校には出さないんですね。これは間違いないですね。
それは駄目ということですね。
だから、出すのか出さないのかと聞いておるんですよ、これからね。そこはどういう構えでおるんですか、文部省は。
それで、まあ一つ分かりましたけれどもね。 私がもう一つ心配するのは、今の日本の教育に大変大きな影響を与えているもう一つ大きな教育機関がある。塾と予備校ですね。これは正に我が国の教育に対して大変な影響を与えておる。 しかし、この予備校や塾は通産省の所管ですよね、文部省とは関係ない。これがどんどん起きるわけだ、しかもどんどん大きくなって金もうけできる。月給も高いんですよ、うんとね。実は私の恩師も某予備校の副校長さんしたものだからよく聞いておるんですけれどもね。 そうすると、問題は、こうやって私立学校法やあるいは今学校教育法の中で一生懸命公教育、我が国の教育のために取り組もうとしている部分と、そういう、そうじゃない営利を目的と
最後に、それじゃ一つ私の方から今の大臣のお話にも付け加えてお願いだけして終わりたいと思いますが、私などやっぱり、外国でもひょっとしたらあるのかどうか知らぬけれども、余り私は聞いたことがないんですよ、株式会社が学校を作ったというのはね。ちょっとぐらいあるのかもしれませんけれども、余り聞いていないですけれどもね。 何か知らないけれども、やっぱり普通の日本人なら、学校というのが株式会社というのは何となく異質な感じするのが普通だろうと私は思うんですね、国民感情として。それがやっぱり今はこう、それは政治の流れですからいろんなことがあると思うんですよね。学校教育法上の学校と言ってくれと言われて、仕方ないとなった場合もあるかもしれぬ、それはね
ちょっと今日は、私立学校法の一部を改正する法律についての趣旨説明がございましたので、今後の審議のためにということで、私立大学を中心として、まあ私立学校ですけれども、どういう状況にあるかということについて文部省の方から御説明をいただきたい。 かなりの学校が経営状況が苦しい、こういうふうなことを聞いておりますが、また定員割れの学校というのも随分出てきていると聞いておりますので、そういう状況が今どうなっているのか、どういうふうに把握しておられるか、まずお聞きしたいと思います。
大変な状況だというふうに思いますが、いろんな原因があろうと思うんですけれども、大体、文部科学省としては、なぜこうなっているんだろうかと、どういうふうな把握をしておられるのか、また、今後こういうふうなものを克服するための対策はいろいろと御検討になっているのか、その辺をお聞きしたいんですけれども。
それで、先ほどの答弁の中にありましたね、私立学校振興・共済事業団というのがあったんですけれども、これは今どういうふうな形で業務を行っているのか、またそういう私立学校に対する例えば援助だとかそういうようなこともやっているのかどうか、この辺をちょっとお聞かせ願いたい。
まあそういうふうにいろいろと何とかしようという要件もないわけではないと思うんですけれども、結局、今の状況を若干、社会的な少子化の問題とかいろいろとあると思いますけれども、やっぱり一方で私立大学が特にこの十年来、二十年来に随分増えた。随分、また私どもの三重県でもそうですけれども、もう今、あれから二十年の間に四つぐらい増えたんですかね。どんどんどんどん文部省に陳情合戦をして認可を迫るということで増えた経緯を私も知っているんですけれども。そういう全体の、私立大学というものについては、それは建学は自由ですから、学校を作ることは。自由というか、要するに国立とは違うわけですから。だけれども、あわせて、本当にこれでいいかしらんというふうな経営等も
通告しておった質問の中身を少し簡単にしまして、万国著作権条約に加盟したのが昭和三十一年だというところから発して、この著作権法が大変な苦労の中で検討されて、昭和四十五年にこの法案が法律になったと、こういう理解でよろしいですか。
私もこれ、今日はここに西岡議員もお見えですけれども、その当時は西岡先生は政務次官しておられた。著作権課長というのは佐野文一郎さんだったかですね、昔の人の話が出るんですけれども、御苦労話を聞いておると、漏れ承りますと、大変な苦労の中から生まれた難産の、もう超難産の法案であったと。ちょっと先ほども西岡先生にお聞きしたら、自民党内では論議では灰皿が飛ぶぐらいの激しい論議があったと、こう聞いております。要するに、当時はまだカフェーだとかバーだとか、今はスナックというのもやっているけれども、そこでレコードを回して聴いておった時代ですし、ですから、そこで著作権というものの意味が全然分からない中での議論ですから大変な混乱があった。 しかし、や
実は、私も少し勉強しようと思って昔のを引っ張り出して、昭和四十五年の四月の十六日がこの法案の我が国における審議のしょっぱなだった。今日は四月の十九日でしたか、三日違うんですけれどもね。十六日の日に、当時社会党の鈴木力さんというこれは私の先輩になりますけれども、この人が一日掛かって、午前二時間、午後二時間、安達文化庁次長ともう押したり引いたりの質問をやっておる。その後も大分質問、随分長いんですけれどもね。 でも、それは別にしまして、それぐらい著作権というものは我が国へ浸透しておらなかったのがここまで来たと、こういう思いでうれしいんですけれども、ただ、この法案を見てちょっと私心配、心配というか、どうなんかなというのをちょっとお聞きし
そうすると、要するにこれと同じような法律であるかないかは別にして、そういうことが許されないような仕組みもできておったと、我が国はできていなかったのでどんどんどんどん入ってくることでの大変な問題が起こったと、こういう理解でよろしいですか。
それでは、もう私はこれで質問を終わりますが、是非ひとつ著作権法の基本的な精神、著作権者あるいは隣接権者を大切にすると、あわせて、しかし消費者を始めとする多くの国民のために十分これを大切にしていくということをひとつこれからも頑張っていただきますように要望いたしまして、私の質問を終わります。
初めに、防衛庁長官にちょっと確認をしておきたいんですが、この前も質問いたしましたけれども、また御答弁いただきましたが、我が自衛隊は戦争に行ったんじゃないと、あくまで人道あるいは復興、その支援のために行っているのであると、戦争に行ったんじゃないんだと、これはもう間違いないと、そこのところをひとつきちっともう一遍言ってほしいんですが。 というのは、この今の治安状況からいくと、場合によってはイラク全土に広がる危険性がないでもないというふうな話もあるんですね。いろんな話があります。しかし、我が自衛隊は戦争に行ったんじゃありませんと、復興支援に行ったんだから戦争はやりませんと、これ、はっきりひとつ確認しておきたい。
それでほん、ほんと言ったらしかられますが、表現が、方言が出ましたが、三月の末ぐらいまでは自衛隊がかなりイラクの人たちと友好関係というか、仲良くいろいろやっている姿が映ったり、それからまた自衛隊の皆さんが本当に子供たちの中に溶け込んでいったりしてますことが報道されていますね。ところが、一時これを中止したと、今のこの四月に入って。事件が起こったものでね。しかし、今また活動を再開しているというふうに聞いているんですけれども、したがって、専らそういうイラクの人たちの友好関係を維持するための活動は何とか可能な限りやっていこうと、これでよろしいですか。
人質等の問題もやっぱり自衛隊がどういう活動をしているかということとかかわってくると思いますから、くれぐれも戦争に行ったんじゃないんだ、イラクの人たちを助けるために行ったんだという部分を自衛隊の活動を通じて是非これはやっていただきたいと、こう思います。 そこで、今度は外務大臣にお聞きしたいんですけれども、私はイラクのアメリカの行動を見ておって、昔の我が大日本帝国が満州国をつくったときのことを思い出すんですよ、満州国をね。満州事変と言いましたですね、それから始まって、満州建国と言った、満州国をつくった、五族協和と称してね。随分長い間、時間が掛かったんですよ。そして、関東軍が初め戦いましたから、盛んにゲリラ活動も起こった。ゲリラ戦が至