一体、資金運用部というものは、そろばんをとるようにできておるのですか。先ほど、コストというものは計算はあるが今その数字はわからぬというお話でしたが、今度貸し出す方、預かる方には、期間の長短等によって、六分のものあり、あるいは四分のものあり、いろいろあるだろうと思うのですが、全体でやはりそろばんをとっているのでしょうか、どうでしょうか。
一体、資金運用部というものは、そろばんをとるようにできておるのですか。先ほど、コストというものは計算はあるが今その数字はわからぬというお話でしたが、今度貸し出す方、預かる方には、期間の長短等によって、六分のものあり、あるいは四分のものあり、いろいろあるだろうと思うのですが、全体でやはりそろばんをとっているのでしょうか、どうでしょうか。
これは政府の資金ですから、まあ郵便貯金が主たる源泉ですが、これは、政策によって、コストを割るような運用もできるだろうし、少しくらいやはり政府ももうけることもできるだろうし、いろんな政策のやり方があるだろうと思うのですが、現在は、資金運用部全体としてどういう政策をとっておるのか、大体、つまり独立採算制というか、資金運用部の資金のコストというものをにらみ合せて、貸し出しの金利をきめる、従って、今のこの基金等に対しても、そういう金利を払って、それを利子補給に使うということにしておるのか、その全体の政策は、どういう金利政策をとっておるのですか。
私は一、二年前まで参議院議員であったある人から依頼の伝言を受けて質問するのですが、ごく簡単な質問なんです。広島県の福山市で市金庫の指定をめぐって広島銀行と中国銀行が猛烈な競争をしておるというのですが、その事実を御承知ですか、どうでしょうか。
これは銀行同志競争するということはあることで、それ自体も一つの問題なんですが、そのために一般の銀行利用者が非常に迷惑をこうむっておるという、こういうわけなんです。というのは、銀行に行っても、銀行の幹部がほとんど出払って、いない。融資その他の話をするのに、幹部が不在で、話ができぬというような状況だそうです。これは私自身が調べたわけじゃないから知りませんが、私はその前の参議院議員であった人を信用しておるものですから、その人からの間接の話でそういうふうに思っておるのです。こういうことだと非常に一般利用者も困るし、まあ困るところなんですが、最近この競争の事実を調べられたというが、どの程度御承知なのか。また今のようなたくさんの利用者に対して迷
さっき申しました二銀行のうち、どちらが市金庫の指定を受けるかということは、市当局と銀行間のことでしょうが、そういう猛烈な競争をめぐって、幹部が皆出払って、銀行の利用者に迷惑をかけるということになると、銀行行政の問題になると思う。私自身詳しいことを知らないわけなんですが、そういう事実があるようでありますから、一つ大蔵当局からまず事実を調べて、そういう事実があるかどうか、あるとすれば一つ厳重に注意を促していただきたいと、これだけで私の質問を打ち切ります。
この法律はもう二、三年過去やってきたことをもう一年続けようということだけですから、これ自体にはあまり問題ないのです。私はこの際参考までに、この問題の背後にある根本問題について伺っておきたいのですが、ただいまも質問等にありましたように、補助金というものは陳情政治といわれるもののもとになるもので、私はあまり好ましいものじゃないと思う。補助金はできれば打ち切る方向にもっていくべきであるのですが、なかなかそれができなくて、今こういう中途半端なことをやっておるのですが、これをさらに根本的には、原則的には補助金というものは一切なくしてしまう。こういう方向にもっていけないものかどうか。補助金政策のために地方においては非常に依頼心がある。中央に陳情
補助金を一切廃止するということは、これはなかなかそう簡単じゃないと思うしまた、それが必ずしもいいともいえない——私もやはりある種の事柄については補助金が必要かと思うのでありますが、現在はもうすでにかなり多過ぎる。複雑過ぎると思うのです。ですからもっとずっと大幅に整理する必要がある。原則的には補助金をやめるという方向にもっていく。そうするとどうしても財源の問題で、中央地方の再配分、そういう大きな問題まで関連してくると思うのでありますが、私は今の陳情政治の弊害は、実にこれは政治の弊害の中心の一つだと思う。それから補助金といえば、先ほども一言いたしましたが、非常に依頼心を起す。地方自治独立という建前から、もっと独自で、自分の力で仕事をして
私は与党委員でございますので、めったに質問しないのでございますが、きょうは特に、あらかじめ申し込んでおきまして、最小限三十分ぐらいほしいと思っておったのでありますが、またまた、今委員長が申されますように、時間が非常に制約されてしまいました。まあできるだけ簡単に質問したいと思うのであります。 今から質問しようとする問題は、前回、正示理財局長にもお尋ねしたのでありますが、準備が十分でなかったようで、十分な答弁を得られなかったのであります。 今回の国会に、御承知のように国庫出納金等端数計算法の一部を改正する法律案が出ております。従来、一円未満のものは四拾五入となっていた、それが今後は一円未満は全額切り捨てと法律で改めるわけでありま
計算単位として一円未満は取り上げぬでもよかろうということは、事ほどさように価値がないということなんです。もし一円以下の金でも、たとえば九十九銭とか一円で米が一俵買えるということであれば決して切り捨てはされないであろう、確かに日本の通貨単位の円は非常に今日価値がない、購買力がないということは、これは客観的事実であります。新聞一部も買えない、あめ玉一個も買えない、私はこの前は、最近の新聞の切り抜きを示して申し上げたのでありますが、きょうはもうその繰り返しはいたしませんが、要するに駅頭などで一円玉がごろごろころがっておっても、だれも拾う者がない、これは非常に残念だ、非常に困るという投書であったわけでありますが、そこでこの前局長にも、一円で
理論的にいえば、通貨というものの一番大切なことは、価値の安定ということであって、従ってある時期にインフレを経験して、非常に昔から見れば価値がなくなったということがあっても、現在通貨価値が安定すればいいわけであります。昔まあ一円の金というのは相当値打ちが、あった。牛肉も食えたし、お銚子さえ一本くらいつけて飲めた金なのでありますが、しかし非常に貨幣価値が下落すると計算が不便だ、たとえばあめ玉一個が百円、玉子一個が一万円とかいうことになれば、非常に間違いが多い。いらない零もつけなければならない。銀行の計算の能率も上らない。また間違いが多いということがあるわけであります。で、日本は御承知の通り三、四年前の昭和二十九年の終りと思いますが、一万
私は、かねて通貨単位というものは、経済一切の基準になっておる非常に重要なものだというふうに考えておるわけです。通貨単位のしっかりした国というものは、経済もしっかりしておる。これはアメリカのドルとかイギリスのボンドとか、そういうものが相当購買力がある、価値内容がある、そして安定しておるということをみてもおわかりになると思うのでありますが、日本では、捨て顧みられない、水に浮く一円のアル玉、こういう点で、こういう貨幣を使っておる、単位としておる日本の経済はあまり伸びないと、やはりもっと円が値打があって、せめて一円という通貨の単位、一切の経済の基準たる通貨単位というものが、価値をもって、せめて一円でライスカレーが一ぱい食えるとか、あるいはラ
そうしますと、まあ一万円札も出るというような時期は、ある程度貨幣価値が安定してきたことの証左というふうにさっきお伺いしたのだが、その通りといわれたのでありますが、まだ貨幣価値は安定していないということになるのですか。その安定しないということは、今のままの非常にインフレートした円でもデノミネーションをやっても同じことなんです。安定するかどうか、そのためにあらゆる施策を講じなければならぬということは同じことなんです、大蔵省は…・。まあ大蔵省といっていいかどうりか知らぬが、ともかく既成の、つまりインフレートした円で一応通貨体系を落ちつけよりという考えでおられるから、この前正示局長の答弁でも何でも否定的なあれですが、もう一ぺんフランクな立場
私はインフレの途中で、毎年毎月物価が上るというようなときに、これをやっちゃいけないと思う。しかし今大よそ大体において通貨価値は安定した、ことし来年大インフレになるということはないという時代になったから、むしろ今のお説と逆に、これをやることは、つまり今まで非常に数字の多い数で勘定したものが少くなる、非常に貨幣に値打ちが出るということこそ、国民がこれから貯蓄意欲、貨幣を尊重しようという貯蓄意欲が盛んになり、それが通貨を安定する方策の一つだと考えておるのでありまして、いろいろな万事ほかの条件を整えてからやるというのでは、これは相関関係だと思う。インフレの途中でやるわけじゃもちろんいけませんが、大体落ちついたときにこういう措置を講ずることが
私は、この法律は技術的な法律で、見方によっては何でもない法律でありますが、この法律自体ということでなく、むしろこの法律の出たバック・グラウンドというか、その背後の問題について、若干理財局長に伺いたいのですが、この法律によりますと、従来一円未満は四捨五入するということになっておったが、この法律が通過すれば、今後一円米満の場合は全額切り捨てと、こういうことになるわけですが、そうすると、一円未満というものはあまり価値がないということを国家が容認したということになるのじゃないかと思いますが、その点はいかがでしょうか、お伺いしたい。
でも、今までは四捨五入ですから、四十九銭までは切り捨てるが、それ以上は一円に切り上げるということになっておったが、今度は九十九銭まで切り捨てるということになるわけです。ともかく日本の通貨単位から、円というものは非常に価値の内容が低い、あまりにも低いということを私は思っておるわけですが、今日一円で買えるものを理財局長に伺いたいのですが、一つ何かあげてみてくれませんか。(笑声)
一円があまり価値がないということを、国家が容認したというふうにも僕は思うのですが、そういうことではないと言われるのですが、そのことを離れて、一円というものが価値があるかないかということで今お伺いしたところが、一円で買えるものがあげられない。それぐらい、いかなるものを買っても一円ぐらいじゃあ問題にならぬということで、すなわち一円の価値内容が少いということなんです。そこで、最近の朝日新聞に「声」欄という、つまり投書があるのですが、これは一月の二十五日ですが、ここに「落ちている一円玉を拾おう」という投書が載っているわけなんです。ごく短かいから読んでみますと、「通勤のため朝夕国電駅の改札口を通るが、最近このあたりに一円玉が落ちているのが目立
一万円札を出したり、あるいは百円銀貨を出すというととは、現在のインフレートした通貨体系というものをそのまま落ち着けようというのがねらいだと思います。大体通貨価値が終戦後のこんとん時代を過ぎて安定したということを認めるからこそ、一万円札を出し、五千円札を出し、あるいは百円銀貨を出すということになったのだろうと思います。それで、私はかねて零を二つ取るというデノミネーションを主張しているが、通貨が安定したので二万円札を出してもよかろうじゃないかということは、すなわちデノミネーションをやってもいいという時期だと私は思うのですが、この点はいかがでしょうか。
デノミネーションに対する一番大きな誤解は、これはずいぶんございますけれども、通貨だけを百分の一なら百分の一に切り下げても物価がその通りに行くかどうか、これは多少こういう方面に関係のある人でも疑問を抱くわけです。やり方によってはそういうやり方もあるので、終戦後世界各国ともインフレに悩んだ、その時分に、わらをもつかむ気持で、とにかく物の数量と通貨の数量との対立関係から物価というものはきまるのだ、こういうように通貨がどんどんふえて行っては困るから、十の通貨を五分の一に切り下げたり、十分の一に切り下げたりする。物との関係は放ったらかしておいて、通貨だけを十分の一に下げれば、一億のものは一千万円になることはたしかだ。こういう方法でやったりする
ちょっと最後の言葉は、だいぶ違うと思うのですが、貨幣を大事にすればこそ、今の方法でいくのがいいということは、少しどうも違うと思います。さっき、四捨五入を今度は九十九以下は全額切り捨てるということにした、それは貨幣価値というもの、一円というものが非常に内容が少くなったという質問に対して、そういうことはないとおっしゃる。私は客観的に少いというので、道路に落ちておる一円を拾わないという新聞記事を持ってきておるのですが、一円というものの価値内容、購買力というものが非常に少い、ほとんど軽微である、一円で何が費えますかと言ったら、あんた、答えられないのです。この客観事実はおおうべくもない。そういう一円じゃいかぬから、せめて百倍して値打のある一円
これより本日の会議を開きます。 唐澤法務大臣は、当委員会には初めての御出席でありますので、この際、ごあいさつかたがた法務行政の基本方針につき、御報告などをお伺いいたしたいと思います。