実は、報告書には「「ありがとうございました」あるいは「ご苦労様でした」」こう言われておったと。ちょっとニュアンスの違うことが書いてあるものですから、証人の記憶としてはどちらだったのかということについて伺ったわけです。
実は、報告書には「「ありがとうございました」あるいは「ご苦労様でした」」こう言われておったと。ちょっとニュアンスの違うことが書いてあるものですから、証人の記憶としてはどちらだったのかということについて伺ったわけです。
御苦労さんというのは、東急百貨店のトラブルについて国内で飛ばして処理するという報告をしたことに対して御苦労さんでした、こういうニュアンスですね。
年内に、いわゆる七社の問題について、五社については既に飛ばして簿外で処理が終わっておりましたね。それは御記憶ですか。
当日、松野さんに報告した内容というのは、国内で処理ということも、当然国内で飛ばす、こういう意味だったわけですね。
とにかく、そうした報告に対して「ご苦労様でした」ということを言い、帰りがけには「ひと相場あれば」と、こういう発言が出てくるわけですね。重ねて伺っておきたいと思います。
要するに、松野さんとの話し合いというのはたった一回じゃなくて、結果の報告と、その「ひと相場あれば」という三回目の会談もあった。この事実は松野さんの証言と全く違いますけれども、あなたとしては、間違いない、こういうふうにおっしゃるわけですね。
報告書の中で一カ所だけ大変あれっと思った部分があるので、この際伺っておきたいと思います。 経緯は明らかでないけれども、山一証券が東急百貨店から有価証券を引き取る際に、内外証券株式会社と株式会社東急百貨店の間で引き取りにつき争いになった有価証券についても、山一証券があわせて引き取った、こういうくだりがあります。これは報告書を読んで見ておりますか。
内外証券の社長はこの四月までは小西元法人営業本部長、現在は山一出身の方が社長を兼任している、こういう会社ですね。しかし、これはあくまでも別会社じゃないでしょうか。
報告書の経過のところをずっと見ると、約二十六億円内外証券の玉を山一がかぶっていますね、東急百貨店の分について。しかも、これも簿外処理にしておったのじゃないですか。
これは、山一と東急百貨店のをかぶるなら話はわかるのだけれども、全く別会社の玉まで引き取って解決したというのは、別法人のものまで引き取ったということになりますと、問題があるところじゃないですか。これまた二十二日ごろの松野さんとの会談の後、三十一日まで全部処理されたことではなかったでしょうか。
全体として当時の流れを見ますと、大和の場合とは違って、山一の場合には、東急百貨店絡みのトラブルについて全部山一がひっかぶって終わった、こういう経過ではなかったでしょうか。
まとめて幾つか伺っておきたいと思いますが、さっき松野元証券局長の証人喚問等についてはマスコミ等で知ったとおっしゃっていましたけれども、率直におっしゃっていただいて、どういう印象を持ちましたか。誠意を持って真実を明らかにする、こういう姿勢を感じましたか。
社内の調査報告書は評価が高いのです。ある新聞がこうまとめていましたね。わからなかったのだけれども、これを読んでわかったということで、命取りとなった簿外債務は、損失を抱えた証券を取引先から引き取り、関連会社に隠す操作を重ねて膨れ上がった、相場さえ戻れば損は消える、しかも大蔵省の証券局長に話は通してある、経営陣はこれで乗り切れると読んだ、こう印象を語っていましたけれども、こうした雰囲気だったのじゃなかったでしょうか。
以上です。終わります。
きょう、あなたは、参考人質問の際の答弁の大変大事な部分について訂正をされました。三木さんと会ったのは、十二月中ではなく一月だったということです。そう考え方を変えた、証言を訂正した根拠というのはありますか。手帳とかメモとか、記録に基づいた訂正でしょうか。
実は、参考人質問の際には、一月については、私は全く、これは法律が施行された後でございますけれども、山一に会った記憶は全くございませんと、あの一月の法律施行、大事な問題ですから、その後に会っていない、こうおっしゃっておったわけです。 今、新聞見て、報道見てということからすると、あいまいだなと私は思うのですが、おっしゃっている一月の二十三日前後に会ったことは、私は間違いないと思っています。私の調べでも、海江田さんと同じで、もし返してくれなければ東京の特捜に告発するぞという催告状が届いた直後だから、それは三回目だったと思いますよ。 あなたは、これまた国会の答弁でもマスコミのインタビューに対しても、当時の記録というのは自分は持ってな
新年のあいさつでお三方が行ったときにも、東急の処理の問題が話題となっていたと私どもの調査では聞いておるところです。 さて十二月、十二月は東急の問題が非常にせっぱ詰まりつつある、催告状が来るちょっと前の時期でした。ほかの会社とは違って、大きな会社ですけれども東急は決算期がちょっと違っていたんじゃないかと思いますけれども、松野さん御記憶ですか。
決算期が一月だったものですから飛ばしの対象となったところもあったのだと私は考えておりますけれども、そうした一月が迫ったものですから、さっきお話しになった飛ばし、国外の問題も含めて、お会いになったのは十二月の末である。これまた当然あり得ることだと思いますけれども、あなたの記憶の中で、十二月に会ったという記憶はありませんか、もう一遍改めて伺っておきます。
私は、三回会った、十二月の暮れに一回、一月の六日、そして一月の二十三日前後、こう調査の結果考えておるわけですけれども、例えば、十二月下旬の問題、飛ばし、国外でもいいんじゃないかという問題と絡んで、あなたは三木さんに対して、外為の問題については専門家を紹介しよう、こういうふうにおっしゃったことは記憶していませんか。それが十二月にしろ一月にしろ、あなたの記憶にある三木副社長との会談の中で、外為の専門家を紹介しよう、こう言った記憶はありませんか。
今お話しになった、ちょっと思い出していただいた松野・三木会談を受けまして、十二月下旬、山一証券の木下さんが金子審議官、外為の専門家ですけれども、訪問いたしまして、飛ばし関連の外為の取り扱いについて相談をしているということが伝わっております。あなたはそうした、金子審議官が山一の皆さんと、木下さんと相談をしたという報告は聞いていますか。