お答え申し上げます。 私自身は、その方にどこかで、その方をどこかでお見かけしたことがあるという記憶があったわけですね、今でもあります。それが、この写真を提示されたことによって、この機会だったのかなと、そう思ったという発言をしたわけです。
お答え申し上げます。 私自身は、その方にどこかで、その方をどこかでお見かけしたことがあるという記憶があったわけですね、今でもあります。それが、この写真を提示されたことによって、この機会だったのかなと、そう思ったという発言をしたわけです。
その公開されている写真、その場、あるいはその一緒にいた議員、同僚議員とも確認しましたが、その写真はその場で撮られたものだと確認しております。
先般は、記者会見等々でも申し上げたんですが、その日は米国の元下院議長であられたギングリッチ氏と意見交換をするために名古屋に出張したものです。ですから、ギングリッチ氏と意見交換をした後に、そこに同席をしていた議員たちと恐らく流れでその写真を撮ったものだと思われます。実際には、私とその代表の方だけが切り取られたような写真になっておりますけれども、委員がおっしゃったように、そこに出席をしていた議員と一緒に集合写真を撮っているんですね。それだけではありません。ギングリッチさんとの集合写真というのも残っているわけです。 そういうものが全部一連の中である中で、写真を、集合写真を撮ったということですから、それは、そこで写真を撮っただけのことを
ですから、それを目的に私はそこに行ったわけではなくて、そうではなくて、ギングリッチさんと意見交換をした後の流れで撮ったのであろうと、そう私は先ほどから申し上げております。
定かではありません。
これは先ほど申し上げたように、その代表の方とはどこかで、どこかでお見受けしたことはあるというのは私の記憶の中にあるんですね。それがその二〇一八年のときに見かけたものなんだと、そう私自身は思っているんですけれども、その二〇一九年の部分に関して、私は、そういう意味でいうと定かではありませんので、それらももしかしたら合わさっているのかもしれませんけれども、私自身は、その二〇一九年のときには、恐らくただ写真を撮っただけなんだと思いますよ。ですから、定かではないということを申し上げております。
明確にそこの部分の場面を私が思い浮かべられることはありません。
そのことをお答えする前に、私は、政治家として、写真を撮るという行為はごく普通に毎日毎日行われているものだ、何か特別なものではないということはきちんと申し上げておかなくてはいけないと思います。毎日のように、先生だって、どこかの方に一緒に写真を撮りませんかといって撮ることはいっぱいあるんじゃないですか。 ですから、私自身は、正直に、二〇一九年の話に関しては、目的はギングリッチさんに会って、それで意見交換をするために行ったものだ、その流れで写真は撮ったものだと思う、それは定かではないということを申し上げているわけです。何か特別な方にお会いしたということではないということです。 そして、今の先生のお話は、私自身は、記者会見でもう既に
その方は、私も二十年政治家をやっていますから、二十年前に初めて選挙に出馬をしたときに私を支援してくださる方の中のお一人としてお名前が入っていた方で、それ以来、個人的に支援者の中のお一人としてお声がけをしてきたということをはっきり答弁をさせていただいたものと承知しています。 そういう中で、その方が平和連合に所属されているお一人だということは認識しておりましたけれども、平和連合と勝共連合というものがどういうものかは、私自身、今でもよく分かっておりませんが、その平和連合の人がどういう立場の役職の方かということは考えずに個人的におつき合いをしてきたわけですから、ですから、個人的にお声がけはさせていただいてきたということを申し上げてきたわ
お答えいたします。 この写真を撮ったのは集会だったわけではないと思います。その日は、名古屋においてアメリカの元の下院の副議長であるギングリッチ氏と意見交換をするための会がございまして、そこに私は出席をいたしました。その会が終わった後に、恐らく流れで写真を撮ろう、記念写真を撮ろうということで、流れた先で撮った中の一枚でございます。 その報道等々ではその方との写真だけしか出ておりませんけれど、ギングリッチさんと撮った写真等々もありますので、その流れでみんなで集合写真を撮ったものと思われます。
名古屋のキャッスルホテルというホテルだったというふうに認識しております。
この会議、会議というか、ギングリッチさんとの会合に出席をされたことは、ここに写っていらっしゃる方全員かどうかというのはちょっと私もそれは定かではないんですけれども、その今お尋ねのあった方も含めて、ギングリッチさんと会ったかどうかは私は確認しておりません。 一方で、そのことをよく覚えているじゃないかって話がありますが、それはある意味当然かなと私は思っておりまして、ギングリッチさんに会いに行ったんです、目標を持って、目的を持ってですね。その会議をした相手方ですから、それはいろいろな、その中身は申し上げませんけど、外交上の様々な意見交換というものをその会でその方とさせていただいたわけですから、当然、その方のことを覚えているのは当然だと
今の先生の御指摘の中にちょっと情報として不確かなものがあったと思いますが、そこはちょっとおいておいてですね、改めて、私自身がこれまでその二十年間政治活動をやってきた中で、その団体との接点というのがあったということは改めて申し上げます。しかし、これも都度都度申し上げていることなんですけど、私たち政治家は、様々な個人、様々な団体と接点を持ちながら活動している。その中で、むしろ逆に、特別なものとして私はその団体を扱ってきたわけではないので、なので、その確かな記憶がなかなか思い出せない部分があるということを申し上げているわけでございます。 それも、二十年活動してきて、二十年の間に六回、五、六回ですか、のその関連団体等々の会議に出席をした
これは、政令指定都市をまたぐ旧神奈川八区という選挙区でありまして、横浜市の青葉区というところと川崎市の宮前区というところが一つになっている、そういう選挙区でした。
それも、私は、その一番最初の選挙のときから平和連合に所属をされている方がお一人私の支援者の中にいらっしゃるということを今までも申し上げているとおりですけれど、その方が今おっしゃったその勝共連合の方だという意識はありませんでした。私はその平和連合の方だというような意識で、しかも個人的には、その支援者の中のお一人としてその方が名簿の中に入っているというのは事実です。
事務所そのものが青葉区にあるかどうかというのは今すぐに確認できるわけではありませんけど、事務所が横浜にあるということは、その平和連合のですね、横浜にあるということは存じ上げております。
申し訳ありませんが、その当該団体の方がどのような思いを持ってやっていたかということは、私は存じ上げませんでした。 ネパールの会合に出席したのは事実ですけれども、これも繰り返し申し上げておりますが、ネパールで前年に非常に大きな地震があったんですね。その被災地、復興も含めて見たいという思いがずっとありました。で、それを常に、そういう行動をする政治家として私は行動してまいりました。 ですから、ネパールの地震に限らず、スマトラの沖で大きな地震があって津波でたくさんの方が犠牲に遭われた、その後の現地というものも私は視察したことがございますし、また、タイで大きな洪水があって、日本の、あのタイの工業地帯、日本の企業が相当な被害を受けたとい
これは今、私、明確に御答弁申し上げたつもりなんですが、もう少し丁寧にお話をすれば、当然ですけれど、重要であると自分で感じていることに関してはきちんと記録も残しますし、また当然覚えているものなんだと思うんです。しかし、二十年政治活動をやっていて、それで数千、数万という数え上げられないほどの会合には私自身これまで出席してまいりました。その中で、重要であると考えている会合以外のことを全て覚えている方が私は不自然だと思うんですよ。 何度も申し上げますが、この団体に関して接点があったというのはそのとおりですし、そのことが団体に対して信用を与えることになってしまったことに関しては深く反省をしておりますし、これからそれらの接点を持たないように
私も政治家として、自分の思想、信条、あるいは政策等々について、しっかり誤解を招くことなく一次情報としてそれを発信していくということは大変重要なものだと考えております。
これは本当に隔世の感がありますね。最初にこのまっしぐらチャンネルを開設したときは、それそのものが実は相当新しいというので方々から言われたぐらいの話だったものが、今は、ユーチューブを始めとして、政治家、あるいは政治家に限らず、多くの方々が御自身の考えをダイレクトに発信をされるというのはもう普通になりました。ですから、私ももちろんその機会を見付けてやりたいと思っておりますが、残念ながら今、それこそ今議員におっしゃっていただいたように、その経済再生の部分で大変公務が忙しいものですから、そちらの方に全力を傾注したいという思いで今は中断しているという形でございます。