日米安保条約の中にも随時協議、随時使用なんという問題がありますね。ですから、こういうような点を見ていると、ベトナムにおける幾つかの港と幾つかの空港は事実上基地になっているのではないか、そういう軍事的な基地として使われているのではないか、こういう感じがするのですが、この点はいかがですか。
日米安保条約の中にも随時協議、随時使用なんという問題がありますね。ですから、こういうような点を見ていると、ベトナムにおける幾つかの港と幾つかの空港は事実上基地になっているのではないか、そういう軍事的な基地として使われているのではないか、こういう感じがするのですが、この点はいかがですか。
どうもこれは大臣お聞きのように、事実上いろんな種類はあったり段階の差はあっても、軍事的なソ連からの援助というものはべトナムにそういう形で行われているし、また同時に、事実上そのために基地化されている、こういうように見ざるを得ないのですね。 そうすると、そこで一点、外務大臣に伺っておきたいのですが、ベトナムは侵略者であるという規定をされたわけです、主権の侵害と言ってもいいのですが。そういう国に対してソ連が軍事援助をしているということについて、まさにソ連はその侵略の片棒を担いでいると言わざるを得ないわけですね。こういう点については、外務大臣としてどういう御感想をお持ちになっているのか。 第二点は、事実上基地のようにして使われている
侵攻と侵略の問題についても、これは大臣が言われる限りは国際法的な基礎の上に立ってお話しされる必要があると思うのですよ。侵攻とおっしゃるのだが、侵攻というのは、国際法上の通念としてあるんですか。ないでしょう。主権あるいは独立の侵害という場合には、これはあなたは侵攻とおっしゃったって侵略ですよ。国連で侵略の定義などというものも決まっているわけでしょう。そうすれば、あなたのお言葉で侵攻とおっしゃっても、これは侵略ですよ。アグレッションですよ。国際法上、この点は明確にしておく必要があると思いますよ。侵略と言えばきついので、日本語というものは便利なもので、侵攻と言えば弱いんだというような、そういうものじゃないと思いますよ。ですから、やはり国連
事務協議のときにその点は確認されてないのですか、どうなんですか。
これはなかなか重大な問題じゃありませんか。附属文書があるとするならば、第何条に基づいてある。日米安保条約の中でも、御承知のように第六条に基づいて行政協定ができている。これと同じように、この点を確かめられることは、むしろ外務大臣の間の交渉よりもそれこそ事務協議としてやるべき問題じゃないのですか。アジアの平和、ひいては日本の平和の問題ですもの。この点は、なぜお確かめにならなかったのか。この点を確かめなかった理由を伺いたい。
それは何条ですか。
第六条ですね。大体この趣旨は――日米安保条約を例にして考えましょう。日米安保条約の文言それ自体の中に軍事的な言葉というのは全然ありませんね。しかし、実態的には、あれは軍事的な取り決め。だから、われわれはこれを軍事同盟だと言う。ソ越友好協力条約の文章を見ても、この言葉の中には軍事的な文言はない。実態的には、これは軍事的な取り決めである。第六条は明確になっている。とするならば、これはいわゆる有事の随時協議、それに基づく軍事的な連帯関係、同盟関係を結んでいるものだとわれわれは理解するが、どうですか。
あなたの理解だと、軍事的な問題は全然関係がない、こういうことですか。さっき宮澤さんの答弁では、軍事的な軍用機、軍艦、それはソ越条約に基づいて行われたとソ連は言っている、こう言うのですよ。軍事的な問題ではない、こうおっしゃるのですか。
外務省の条約に対する見解は、どうなんですか。
しかし、条約局長、読んでみましょうか。「平和と安全を保障する適切な効果的措置をとるため、」云々となっていますね。これは軍事的な問題を含むのでしょう、違うのですか。
時間がないから進めてまいりますが、どうですか、条約局長、具体的な事例に云云とお話しになったが、このソ越友好協力条約と同じような条約をソ連は東欧諸国並びに中東その他の国々と結んでいますよ。この場合、同じ文言ですよ。たとえばアンゴラの場合、私、ここに持っていますが、アンゴラの場合にしても、モザンビークの場合にしても、イラクの場合にしても、同じ文言でソ連は軍事的な協力、監視をやっているじゃないか。そういう事実に基づいて私は言っている。 そういう事実の問題を、ここに単に文言上軍事的な云々と書いてないからこれは違うんだと言わんばかりの言い方では私は納得できない。具体的な事例があるからこそ、こう言っているのであって、そういう点については軍事
いや、私も余りこれにこだわっていると、時間がないのですがね。 アンゴラの場合を読んでみましょう。第七条「平和に対する脅威、もしくは平和の攪乱という事態が生じた場合には、両締約国は発生した脅威の除去もしくは平和の回復のためその立場を一致させる目的で、遅滞なく相互に接触を開始する。」それからモザンビークも同様です。「遅滞なく相互に接触を開始する。」イラクの場合も「遅滞なく相互に接触を開始する。」これは第八条。 ですから、その文言上の問題だけで云々と言われましても、こういう条約に基づいて、アンゴラにはソ連の軍隊が駐とんする、モザンビークにもいる、イラクにもいるのですよ。だから、文言がそうだからということだけでは、これはあなた、条約
もう時間がないのでどんどん進めますが、五月二十九日のある新聞にキッシンジャーの会見があって、このキッシンジャーの会見というのは非常にわれわれとしては示唆に富んだ座談会だったと思うのですね。外務大臣もお読みになったと思うが、その中でキッシンジャーはこういうことを言っている。「ソ連がある国に駐留できるか否かが問題なのではない。問題なのは、ソ連の後押しであらゆる変化を決定できるという原則が確立されることだ。」これはキューバの軍隊を使ったソ連のやり方ですね。そういう点を含めて、ベトナムの軍隊を使ってソ連がやっている、こういうことについて問題なんだ、こういうことをキッシンジャーは明確に言い切っていますね。私は、このことは非常に重大な問題だと思
ソ連の最近のアジアにおけるこういう動き、それから日本に対する北方領土問題を含めたいろいろな動き、こういう点から考えて、昨年あなたが大変御尽力をされた日中平和友好条約の規定の中にある覇権主義の問題というのが、もうあなたが苦労されたかいがあったと私は思うのです。こういう覇権主義的な行動に反対するというのは日本の基本的態度だ。ソ連のこのような動きというのは、キッシンジャーの言っている点もそうなのですが、まさに覇権主義に反対するという意味じゃありませんか。そういう点で、今日のソ連のとっている態度について非常な不信感を私は持っています。こういう覇権主義に対して反対しない限りは、アジアにおける平和もないし、日本の平和もないと思うのです。あなたの
最後に、これはしり切れトンボになってしまって、もう時間がないからやめるのですが、さっき条約局長が言われた友好協力条約、こういう点は、実は私は一冊書いております。後で一冊お届けしますから、御研究ください。 そこで、園田外務大臣にひとつ伺っておきますが、去年一月にあなたが行かれたときに、モスクワで突然突きつけられた日ソ善隣協力条約、この善隣協力条約はその後発表されて、いろいろあれしていますが、その第五条にソ越条約第六条と同じ趣旨のものがある。条約局長から、必ずしもこれは軍事的なものではないという答弁はあったけれども、しかし、随時協議をしようということになっている。日ソ善隣協力条約を条文のとおり締結するとするならば、日本とソ連とが軍事
ですから、善隣協力条約と領土問題と並行審議をしたらどうかなどという意見が一部の議員の中からも出ていますが、私はこういうのはナンセンスだと思いますよ。善隣協力条約を結ぶ前提としては、領土問題を解決した後でなければだめだ、そういうのが恐らく外務省の基本方針だと思うのだが、領土問題解決後において善隣協力条約についてその内容を討議するというなら別ですけれども、並行してやろうというのはごまかしだと思う。こういう点についてもう一度見解を伺って、私は終わりにしたいと思うのです。
それで、時間が超えましたから、これで終わりますけれども、最後に私、再度要望して終わっておきます。 先ほどあなたは侵攻とおっしゃったそうでありますが、カンボジアの侵攻が続いている今日の段階において、その侵攻を進めている本人であるベトナムに経済の援助を行うということは、他の国から見るとその侵攻に手をかしたということになる。私は、その侵攻という言葉は、あえて侵略という言葉を使います。国際法上、侵略というのは正式の使い方であります。その侵略の片棒を担ぐというような経済援助は、園田さんは賢明ですから恐らくなさらないと思うけれども、これは絶対にやっていただくことのないように。ほかから見るならば、園田さんどうですか、侵略者に対して片棒を担ぎ、
亡くなられた方や御遺族に対して心から哀悼の意をささげたいと思います。 しかし、いま倉成さんからもお話がありましたように、徹底的に原因の究明をして、再びこういうことの起こらないような万全の措置をとってもらいたい。こういう点では亡くなった方にことさらむちうつというようなことのつもりは全然ございませんけれども、真相究明という中ではやはり厳格に実態を調べてもらう必要がある。 そこで、時間が二十五分しかないものですから簡単に伺いますけれども、局長が現地に行かれましたのはいつですか。
今度の災害で非常に特徴的なのは、第二次災害です。この第二次災害が起こった問題について、現地に行かれて局長はどういう印象を持たれましたか。
先ほど倉成さんの質問に対する答弁の中で、救護隊が入ったのは第一班が二十三時、こういう御答弁がありました。そのときに救護隊員は何名入りましたか。