そこで、いま国連局長の御説明を聞くと、前文の趣旨が国会において承認をされたときに初めて批准が成立するということなんです。もちろんわが党もこれには賛成をしておる。してみれば、当然政府としては、行く行くは核兵器の全面撤廃という方向を目ざして今後努力をする必要がある。この点について、国務大臣としてのあなたの御所見を伺いたい。
そこで、いま国連局長の御説明を聞くと、前文の趣旨が国会において承認をされたときに初めて批准が成立するということなんです。もちろんわが党もこれには賛成をしておる。してみれば、当然政府としては、行く行くは核兵器の全面撤廃という方向を目ざして今後努力をする必要がある。この点について、国務大臣としてのあなたの御所見を伺いたい。
なぜこうして部分的核停、部分的ではあろうとも、長年人類が望んでおった核実験の停止が実現をしたのか。なぜこれを米ソ、あるいは米英ソをして実現せしめたか。国連局長なり佐藤大臣は、どう解釈しておられますか。
この協定に賛成するしないじゃなく、なぜこのような合意が米英ソ三国の間にまず成立をしたか、その原因をどう解釈しておるか、お尋ねしたい。
大臣の御答弁は、非常に現象的だと思うのです。この委員会は外務委員会ではございません。特に、科学技術の振興という立場からこの問題を取り上げておるわけです。科学技術の振興という立場から、なぜ米英ソが部分的核停の同意に到達をしたかということを分折をするならば、これは当然科学技術の発展がそれをもたらしたという意味じゃないですか。またそのように把握しなくては、この部分的核停というものの本質的な意義、歴史的な意義というものは把握できないと思う。ただ現象的に、人類が核実験の停止を求めておるからしたのだというのじゃなく、ここ十年ほどアメリカもソ連も、御存じのように核ミサイルの実験の競合をいたしました。相手をうち負かすために競合をした。ところが、いよ
私がお尋ね申し上げた点をお取り違えをしておられる点と、また私が確認を求めたいことをそっくりそのままお答えを願った点とがございます。 私が申し上げましたのは、部分的核停協定というものがなぜ結ばれたのか、どこに物質的根拠があるのか。これはフルシチョフやあるいはケネディ大統領の道義的勇気とでもいうような、ヒューマニズムだけとすべきものかどうか。 そこで、いま簡単に申し上げましたように、アメリカもソ連も核ミサイルの競合をした。かりにアメリカの実験をテージスとすれば、モスクワの実験はアンチ・テージスです。ところが、競合の結果、お互いがもう人数の破滅をもたらすような水爆、ミサイルの蓄積に到達した。そこで、しばしばこの問題に触れてフルシチ
この問題は、いずれまた外務委員会で私は大臣にもお尋ねをいたしたいと思っておりますが、ただ、私の申し上げた点について、もし御感想でもあれば、国連局からそれについてお聞きしたいと思います。
きわめてどうも的をはずれた答弁しかいただけないのですが、これは後日に譲りたいと思います。 そこで、この前、昨年の二月だったかと思いますが、私は原子力潜水艦の寄港承認問題について原子力委員会の統一見解を求めました。これは文書をもって私どもにももたらされました。その中には、原子力基本法第二条は他国の原子力の軍事利用を拘束し得るものではないと書かれてあります。もちろんそのことは私も了解いたします。 しかしながら、このような形で、少なくとも日本の原子力基本法にうたわれた原子力の平和利用というものが、米英ソ等の原子力の軍事利用に懸命だった国々をも部分的協定に踏み切らしめるという事態になってみれば、原子力基本法の第二条が正しかったという
しかし、それこそ委員長の言われる自立性のない態度ではないのですか。現実に屈服する態度です。原子力の平和利用というものが、部分的核停協定等の成立とともにいよいよ正しいということを、大国といえども認めざるを得ない状態になってきつつあるならば——日本は原子力の平和利用しかできないのです。原子力に関する限りは、核兵器に関する限りは、まる裸の日本です。このまる裸の日本、しかも、協定の前文においては核兵器の全面的撤廃をもうたわれておる。しからば、この線に沿って政府としては原子力潜水艦の寄港を拒否する、ここまで自信と勇気を持つのがあなたのいう自主性であって、現実に口をかりてこの責任をあいまいにすることこそ、非自主性もきわまれりと私は言わなければな
私は何も、佐藤さんから世渡りの道を聞いておるのではない。むしろ原子力委員会というものの公の責任ある方針を私はお尋ねしておる。どうも佐藤さんは、私に、先輩のゆえをもってか世渡りの道を教えられる。きわめて迷惑な話です。 そこで、先般佐藤原子力委員長は、原子力潜水艦の安全性については、納得がいかない限りはその寄港の承認はしない、これは拒否するということをはっきりとこの委員会で明言されておりますが、いまもその御心境でございますか。
そこで、いただきました資料、私これを十分に精査いたしておりませんが、これも実は二年越しでやっといただいたというような始未のものです。 この資料で、たとえば安全性については、一番初歩的な条件ともいえる第一次冷却水の排水問題については、アメリカのほうではNSBが一九五三年ですかのICRPの勧告を基準にしておる。わがほうは一九五八年の勧告を基準としておるので、ここに食い違いがあって、目下折衝中というふうなことになっておる。これは国連局あたりが折衝しておられるのだろうが、一体どうなっておるのですか。その相手方の態度というものと、今日までの折衝の経過をどう見ておられるのですか。
それじゃ、これは原子力局のほうでは御存じございませんか。
しかし、これはうかつ千万な話だと思う。原子力委員長としては、安全性について納得がいかない限りは承認、許可すべきでないということを国会で言明しているわけです。ところが、その安全性の最も初歩的な第一次冷却水についての安全基準というものについての折衝は外務省にまかしている。原子力委員会は何も知らない。そんなことでは、委員長の言明というものに対して責任がないじゃないですか。何をしているのですか。外務省にそういう専門家がいるのですか。スタッフでもそろえているのですか。少なくともここにはちゃんと、原子力局なり、原子力の専門家がいるのですから、これと常時不断に連絡をとり、原子力委員会なり、専門家の意見を基礎に外務省は相手方の意見を求めて、そしてそ
少なくとも、長官は安全性についてははっきりとした科学的な立証がない限りは寄港は拒否すべきであると言明されたのであるから、このような問題についての折衝は、やはり原子力委員会の主体性と責任においてぜひやっていただきたいということを私は希望したい。 ところで、今度は、その際、資料としてではなく、私が質問の一端として申し上げておきましたイオン交換樹脂、あの海洋投棄によって十キュリーほどの放射能が放出されるということを聞いたが、あれはアメリカ側にただされましたか、返事でもきましたか。
それから、私、いただいた資料を見てちょっと奇異に感じておるのです。日本側は一九五八年のICRPの勧告をたてにし、アメリカ側のナショナル・スタンダード・ビューローは一九五三年のICRPの勧告を基準にした、こういうことでございます。 しかし、この前やはり資料として御提出をお願いしてあります、いわゆるサバンナ号の停泊基準ですね。あのサバンナ号の停泊基準は、原子力船の安全性にかかる停泊華準としてAECが考慮したものですが、あれは被曝総線量という概念からあの安全基準がきめられた。被曝総線量という概念は、一九五八年のICRPが初めて採用した概念です。それまでは個人の許容量というものが認められていた。しかし、一九五八年のICRPの総会で、放射
この点は私もよく勉強させていただきたいと思うが、しかし、私が局長に資料として要求したのはサバンナ号に関してではないのですよ。サバンナ号に関してはすでにAECは停泊基準を設けている、だからいわゆる低人口地域と申しますか、船と低人口地域と人口細密地域の距離というものが、少なくとも一・六マイル以上なければならないのだという、これはすでに事故を予想しての数字なんだね。だから、平常時におけるものではなく、事故を予想しての安全な基準というものはそういうものだ。原子力潜水艦はサバンナ号と違ってコンテナもないと聞いておるし、しかも、ウランも九〇%の濃縮ウランを使っているということも聞いているし、そうすれば蓄積される放射能の量も非常に多いといわなけれ
資料を私が見る見ないということよりも、問題は安全性について納得のいく立証がない限り寄港は承認できないと委員長が言明されるならば、これが一番中心の問題なんですね。だから、もしこれをアメリカ側がはっきりするということになれば、船の設計はもとより、おそらく炉の設計も全部明らかになる。これは出せない、向こうはおそらく拒んでるのだろうと思う。そうすれば、一番重要な問題について原子力委員会としてはお約束のごとき安全性の立証をしたということは私は言えないと思う。そうなれば、原子力潜水艦の寄港ということは、その点からも私は原子力局としては検討すべきものだ、そういうふうに考えているわけです。 まあしかし、これは原子力局なり原子力委員会のほうで御努
問題は、これ以上発展するとおそらく外務委員会の問題になろうかと思いますが、とにもかくにも日本は部分的核停協定に賛成であり、批准も日本はしておる。一衣帯水の中共においてはこれに反対しておる。しかも、これに反対をしておるフランスと結んで中共の核実験があり得る。すでに防衛庁長官は一年以内にあり得るであろうということを国会で説明しておる。そういうようなことになった場合、これが与えるアジア諸国に対する政治的な心理的な影響というものは、たいへんなものが起こり得ると私は思う。 ところが、いま日本政府の態度は、全くこれに対しては拱手傍観、何の手も打ってない。それでは部分的核停協定の賛成というものは全く日本の自己満足のための一人芝居に終わってしま
だから、私は一人相撲の一人芝居だと申すのです。私どもが、原子力平和利用ということの旗を何百万べん振ってみたところで、やるものはやるんだ、それに干渉すべきじゃないというような考え方。いま一つは、やらないかもしれないという考え方。御存じのように、昨日新聞で見たのでありますが、アジア・アフリカ会議の準備会議か何かの席上で中共代表が、平和共存の線はアジア諸地域における帝国主義支配を温存しようとするマルクス・レーニン主義の修正主義者どもの言い分だ、こう言い切っているんですよ。さすれば、こんなのんきな、やらないであろうというような観測を持たれているのは、私はむしろ不見識だと思う。しかし、そういうことはここで申し上げるべきものではないかもしれませ
何も加盟国でなければならないことはないじゃないですか。アジア諸地域における原子力の平和利用のための会議なら、加盟していようがいまいが……。 それじゃ、兼重さんにお聞きいたしますが、台湾に原子炉があるんですか。韓国に原子炉がありますか。
しかし、最も数も多く、出力の大きな原子炉を持っているのは中共でしょう。