そのことは、市長あるいは市役所に了解を求めるための努力は、あるいはそういう連絡はいたしましたか。
そのことは、市長あるいは市役所に了解を求めるための努力は、あるいはそういう連絡はいたしましたか。
非常にシビアな賛成、反対の対立が一方にある。そして市議会は確かに誘致の側が多数であることは認めますけれども、その後市長のリコール問題が起こって、途中でおやめになって、そうして選挙が行われました。結果として米軍住宅建設反対の富野市長が当選をいたしました。現実には今、市政執行者は住宅建設反対の富野君であることは言うまでもありません。幾ら防衛施設庁が長いこと懸案になっていたからこの時期にと言っても、政治的に見ると非常に大きな波紋を投げる。そしてそれはだれを有利にさせるという意図を持ってなされたものではないにしても、結果的にそういう渦巻きの中に石を投げたことになりかねない。こういう政治的な分析を防衛施設庁がやっていないとすれば、私は率直に言
防衛施設庁はすべての地方自治体に対してそういうやり方をするのですか。そういうことを日米合同委員会で決定したら連絡もしないで一方的に、富野君が抗議に来たからそれなりの話はあったと思うけれども、日米合同委員会の決定だけでなしに閣議決定までに持っていく、そういうことをなさるのですか。地元の責任者というか行政の担当者、市長にさえ連絡をとらないでそういうことをすいすいとやるのですか。
お約束をしたことだとおっしゃるならば、逗子の市長名をもって要請した三十二項目の中の第一番「弾薬庫施設の再使用禁止と施設名の変更をすること。」これはセットなんです。セットでなければそういうことになりません。そうするならば、弾薬庫は絶対に使わないという保証がございますか。
アメリカとの間で話をしてきて、「弾薬庫施設の再使用禁止と施設名の変更」これはセットだということでしょう。将来にわたってアメリカ軍が弾薬庫として使わないという保証はない、使うことはないだろうと思うけれども使わないという保証はない、これでは三十三項目というのは一体どこで生かされるのですか。この種のものは少なくとも、表に出すか出さないかは別として、日米の間で合意を見なければ、再使用はしませんという合意をしなければ、だれだって信用できませんよ。その点はどうなんですか。合意を見ておりませんね。
もう一度申します。 今冨田さんがおっしゃった、当面の間特別の理由がなければ弾薬庫として使うことはないと承知している、この当面の間、それはどの程度が当面の間だか私もわかりませんけれども、しかし再使用しないという約束事というのはアメリカとの間にできていませんね。
実態に即してと言われました。もしアメリカがまた弾薬庫として使えば、また実態に即して弾薬庫と言うことも理論的にはあり得るわけです。そのとおりですね。
実は私も三島さんという市長さんとは決して仲の悪い関係ではございませんでした。そのときに、三島さんがある種の条件闘争に入らざるを得ないということを言われたときに、それをやれば結果的に誘致運動にならざるを得ないという危惧の念で彼に対する忠告を私はしたことがございます。しかし、彼は、この弾薬庫施設の再使用禁止、ここにポイントを絞って、三十三項目という形に要求が広がっていった経過がございます。つまり逗子の市民にとって悲願なんですよ。それが、あなたはさっき誠意を持ってできる限り努力をすると言いました。三十三項目を受けとめた方は、政府はこれをやってくれる、だから協力をするということで踏み切った経過があるのです。あなた方はできる限り誠意を持って―
そのほかの用途というのは、例えば直接作戦行動というか、そういう目的に使う通信なんかもその中に入ると思うのですが、訓練だとか、そういうものに使う可能性というのは今は考えていないというふうに受けとめてよろしゅうございますかか。
非常に広い面積に、今おっしゃったように倉庫あるいは機材の置き場と言ったってそんなにたくさんの面積は要らないんです。使わなかったら返してくれというくらいのことは言ったらどうですか。それはまだ言えませんか。
あなた弾薬庫見たことあるでしょう。ないですか。(冨田説明員「あります」と呼ぶ)あるでしょう。あの広い面積をどれだけ使っていると思いますか、現在使っているのは。面積を挙げてみてくださいよ。事実上使ってないんですよ。完全な遊休施設ですよ、あれは。遊休施設で使わないんなら返してくれと、さっきあなたは全国的なケースのことを言われたけれども、池子もやったらどうですか。やる気ないのですか。
米軍が使用する計画があるかないかということを考えてというなら、そのことを聞いたらどうですか。聞きもしないでおいて、使うかどうかわからないからそう簡単に返せと言うわけにはいかないということですか。
時間がないから余り長い時間をとれませんけれども、この間、横浜防衛施設局長が御着任になって記者会見の中で、今県のアセスの経過で、新聞によってですからこれはニュアンスがちょっと微妙であったのかもしれませんが、見切り発車で着工するというようなことはやりませんね。
質問に答えてください。見切り発車はしない、そのことをイエスかノーかで伺っているのです。
だから見切り発車をするかしないかと聞いているんですよ。イエスかノーか。
岡本さん恐縮ですが、実は昭和四十七年十一月十五日なんですが、横須賀にミッドウェーを寄港させる、母港化という見方についてはいろいろありますけれども、それに関連して、実は新たな施設、区域の提供を要するものではないということを外務省のアメリカ局長から横須賀市長あてに、文書をもって意向照会が行われている経過があります。これはストレートにミッドウェーのことを言っているんじゃないですよ。弾薬庫として使うとか使わないとかというような今みたいな議論をやっていたのでは不安は消えませんよ。こういう前例があるのです。外務省のアメリカ局長が照会して、そして横須賀の市民に対して――その後破られましたけれども、破られたのは、かなり時間の経過があって破られて、私
岡本さん、それを聞いているのじゃないですよ。それはこの前も同じことを答えられたから、そのことを言っているのじゃなくて、地方自治体が市民の不安を代表して外務省に文書で照会したものに対して外務省が、それはもちろんアメリカといろいろやりとりがあるのでしょうが、そういう形で弾薬庫に使わないとか今後基地の使用をしないとかという保証の手だては、保証と言っては悪いけれども、意向照会ですね、そういうことは今ごろは余りやってないのですか。そういうことだけ聞きたかったのです。
こたえてきていると言ったって、それに対して市民が納得してないわけですから。まあいいです、そのことをやりとりしていても時間がたつばかりでございますから。 今度の名称変更というチャンスがあるならば、これらの問題に関連をして、弾薬庫として再使用しないということを明確な形で市民に約束をしないと、三十三項目を約束をして協力をしようと言った三島さんのお立場さえ非常に難しいというか、市民の信頼を一層損なうことになりかねない、そういう仕打ちを今度のやりとりの中で暴露したとあえて私は申し上げておきたいと思います。 問題は、私どもは全面返還を主張しております。そういう立場を一層貫いていくつもりでございますけれども、少なくとも今度の場合でも誠意が
NHKの報道によりますと、沖縄県は昭和五十八年の末にこの事実を知ったということを認めています。しかし、その次の年の五十九年三月の沖縄県議会で社会党の友寄県会議員の質問に対して、このことは問題がない、権利はないという意味のことを答弁しておられます。これは当時の土本部長が知っていてこういう答弁をしているのです。これは県民に対する背信行為と言うべきですよ。その事実を承知しながらほおかぶりして五十八年、五十九年、六十年、そして六十一年まで含めて予算要求をし予算を確保してきたということについてどのように思いますか。
手違いをお認めになったが、私はその図を拡大してあなたに見えるように言うけれども、南側と北側、これだけの面積の食い違いがあるのです。こんな初歩的なミスを手違いと言ってごまかせますか。これでは飛行場はできませんよ。埋立申請もできませんよ。十一・九ヘクタール。北十一メートル、南八十三メートル。漁業権を放棄してない部分が空港計画として位置づけられている。私は、この地図というのを県の資料に基づいて専門家にプロットしてもらって土木工事工法を含めてつくってもらったのです。こういうずさんな計画を後で手直しできれば何とかなるという始末をしていいのですか。運輸省、予算を全部つけていたんでしょう。沖縄県に対する管理監督はこういう問題を含めてどうなるのです