ですから、数があるということとみんながそこに行って専修の単位を取るかどうかということは別なのですよ。大事なのは国立の教員養成大学四十九校中、専修免許状を授与できる大学院は二十一校だということです。非常に限定されるということは、その大学が特権化したり、そこを履修してきた先生が現場における一定の管理体制の中での機能を果たし得る可能性を含む、そういう側面を持っているのではないかと考えざるを得ないという意味であるということを質問したかったのです。どうですか、そうならぬと思いますか。
ですから、数があるということとみんながそこに行って専修の単位を取るかどうかということは別なのですよ。大事なのは国立の教員養成大学四十九校中、専修免許状を授与できる大学院は二十一校だということです。非常に限定されるということは、その大学が特権化したり、そこを履修してきた先生が現場における一定の管理体制の中での機能を果たし得る可能性を含む、そういう側面を持っているのではないかと考えざるを得ないという意味であるということを質問したかったのです。どうですか、そうならぬと思いますか。
だったら標準、初級ということや現行の一、二級ですべて教員の必要な条件と資格があるのであって、その上に専修だとか新たなものを設けない現行制度の方がより教師の社会に適しているというふうに私は思います。専修をこしらえて、そして一種、二種、それで二種と一種はランクづけです、こういう説明なんですから、明確に一種、二種のランクがあれば、当然限られた国立教員養成大学の大学院を出た、そういう専修の資格を取った教師たちが現場に配置されるということを想定した場合に、そこにランクが起きないという保証はどこにもないということを、日本は特に縦社会ですから、どんなに文部省がそうじゃないと言ったって、現実はそういう縦社会の構造にフィットしてあらわれるというふうに
今おっしゃったことを私流にまとめれば、一つ、最低在職年数というものを現行制度は定めて、そして現職教育を重視している。これが現行制度の特徴です。四原則のうちの第二番目か三番目に私はなると思う。そして所定の単位修得ということで現行制度は運用されております。 そこで、今度の改正案の一つのポイントは、先ほど答えられた二種から一種への上進、これが問題であります。二種から一種に改定するに当たって、改正案の九条の二でその上進に対しての努力義務というものを法定されております。そして同時に、この今までの現行制度を変えまして、改正案では別表第三の備考の第七号、八号を新設いたしまして、これ皆さんからいただいた資料ですね、これの二十七ページから二十八ペ
法律事項として義務規定を法定化したんですからね、そうすれば義務違反ということはあり得るんですね。現実にあり得るということになりますね。
十五年でそれができなかった人はどうなるんですか。
いや、僕が聞いているのは、十二年目から十五年にかけて三年間のうちに、今までは十五年すれば単位ゼロになるんだ、そういう措置なんだが、今度はこの間にいろいろな講習を受けたり単位を取ったりいろいろしなければならないようになるんでしょう。それができなかった場合に、十五年たったときにその先生の教員免許の資格はどうなるのと聞いているのです。
しかし、この備考によれば、第九号「第七号の規定により大学の課程等の指定を受けた者で経過日から起算して三年を経過する日までに一種免許状を取得していないものについては、第五号の規定にかかわらず、当該日の翌日以後は、第四欄に定める最低単位数は同欄に定める単位数とする。」と書いてある。その意味わかるでしょう。四十五単位になるのよ。今度は免許の資格があるけれども、四十五単位をもう一遍新たに検討しなければならないスタート台に立つということにこの九号は理解できませんか。
それは大変な、ある意味じゃ義務違反に対する制裁的措置ですよ。今までは教職の経験というものに基づいて、十五年したらその実績主義に従って自動的に上進ができた。それが今度は十五年になって、定められたことができなかった場合に、またもとの四十五単位に相当する分をスタート台に立たせられるということは、必死になってその単位を取るために、二級から一級になるために、単位のために学校では物すごい勉強をせにゃいかぬことになるのですよ。 この法律事項として決めました義務規定というのは、そういう今まで長々と十五年勤めて、そして現場で信頼のある教師が新たなスタート台に立たせられるのですよ。そうすれば、今までの教職の実績主義という、今までの教員免許の基本と今
それでは、これから法律にされる第二種免許状を取得される人は毎年大体何人ぐらいですか。知っていますか、数字。僕は数字ありますよ。――もう時間かかるから言うよ。昭和六十一年三月卒業者の中では短大卒者は四百三十二人、こういうのはずっと毎年十数年積み重なってきているわけ。今十五年でゼロ単位に、一級免許状に上進する人、これが昭和六十年度で大体六千三百五十八人、私の調査では。だから、平均して大体六千人ぐらいの人間が当面、いよいよ法律が施行されてから十二年が来たぞ、さあ十五年になるぞという人を含めて、先ほどの佐藤質問では大体六千とおっしゃったのは、恐らくこの六千三百五十八、これは昭和六十年度の数字です、そういうことを想定されたものと私は思うのです
そうしますと、今十二年目にいよいよ来る、来年なら来年来る。ことしなら昭和六十三年だ。六十三年で二種免許の人が十二年が来た。それで、法律が施行されてこれが動き出す。単位の関係は再来年からですから――そうでしょう。来年この法律は施行するのだが、新しい単位の問題は再来年だけれども、この法律が施行されると同時に、十二年目からいよいよ考えなければならぬ教師たちが大体六千ほどいるわけですね。そういうふうに想定していいのですか。この数字の判断、間違っていますかな。正確かどうか、そういうふうに理解していいかどうか、まず確認してから。
そういうふうに理解すればいいのですね。いずれにしても、大体六千そこそこですね。 さて、その教師たちは、現在今までの教育実績や教師としての経験から見て、そういう新たにゼロ単位になれる資格の人が改めてそういうふうにしなければならないという、そういう教師を現場でどういう基準であなた方は判定していますか。
そうしますと、前より数は多くなるのじゃないですか。十年経過をしている人たちにこれが適用される、十年経験している人に適用されて十五年ゼロ単位でないという形を努力しなければいかぬわけでしょう。そうじゃないか。そこは僕の理解が正しくないかな。ちょっともう一遍説明してください。
では、その過渡期の段階の人たちですね。問題は、今までは自動的に十五年で二種から一種に行ったのが、その間に新しい対応をしなければならない過渡期の人がいるわけでしょう。そういう人たちの中で、私の言っているのは、今まで教師として一定の経験を踏んでいる、そして十五年ゼロという今までの教育の実績主義とでもいいますか、教育現場主義に基づいて、延長線上で考えていたのとは違った条件をそこで考えざるを得なくなった、そういうことが必要だという判断は何を基準にして出していますか。
ここで、前国会で問題になった教師の研修権という問題と、それから新しい単位修得の問題がぶつかってくるのです。 つまり、現職教育主義というのは、経験に基づいて一定の教育経験を持てば、ベテラン教師として位置づけられる可能性を秘めたところ、その評価の上に立ってきたわけです。そのときにまさに教育公務員特例法に言うところの研修という問題が単に初任者だけじゃなくて、教師の持つ研修ということが重大な意味を持っていたのです。そういうふうに考えてきた今の教育公務員特例法で言う学校の自主的研修という問題と、外からいよいよまた新たな単位、その場合には教科もあれば、通信教育の場合もあれば、講習もあれば、いろいろタイプがあるようだが、本人の意見を聞きながら
奨励しているのじゃないですか。中学以下の小学校や幼稚園に至るまでの専修資格を持った教師の配置を制度化しようというのでしょう。そうすれば、一種からその専修へ、ないし専修の教師資格を取るということを制度的には奨励し、誘導しているということではないですか、違いますか。
そこで、先ほどあなたは二種から一種に関してはランクづけだと言った。しかし、一種と専修についてはランクではないとおっしゃった。しかし、制度の中には中学以下には専修、一種、二種という制度を制度化している。そうすれば、明らかに専修という教員免許は一種に比べてより上進できる制度として教師全体が受けとめると理解しませんか。
深化させたかどうか知らぬが、こういう制度が現場に出てくれば、それは上進制度なんですよ、二種、一種、それから専修というのは。上進制度という言葉があるように上進なのですから、上に進むのですよ。だからこれは縦社会の構造なのです。ところが、今までの答弁は、一種と専修は給与の上でも実際において何の差別や何かがない。そして、後は本人の教師としての資質の自主努力であり、そういう資質の教師が出てくることを期待する制度として誘導したい、そういうことでしょう。そういうふうに今までのは理解していいだろうと僕は思っています。確認していたのでは、あと十五分しかありませんからやめます。 そこで、改正案別表第三備考四号、御存じですね、改正案の備考四号、これに
それも大変あいまいなのですよ。では聞きますけれども、大学で既にこういう問題の検討をしていますか、各大学院の教育学部で。検討を今からせねばいかぬのですよ。しかし、既に法案が提案されてから今日まで、昭和五十九年法案から見たって四年たっているのよ。教養審答申が出てからも一年たっているのだよ。こういう状態の中で、それぞれの大学でこういう一連の通信教育や公開講座、こうなるとまた教育委員会の独自判断が要るし、そのレベルをどうするのか、どういうふうに認定するのか、これもまた難しい問題ですよ。簡単じゃない。まあこれを大学に限りましょう。そうした場合に、大学でこういうものを既に検討でき、ないしは実現できるとお考えですか。
先ほどの質問で、国立教員養成大学では二十一校だと言いましたな。その二十一校の大学では、いわば専修免許に関連するコースとしてきちんとしていますが、一般大学では、こういう単位数を含めて問題にしていくとなかなか難しいということです。特に私立大学では大変問題があるということは先ほどの数字でおわかりのとおりです。 さて、単位を取るのは、本人の希望があれば与えるのか、あるいは試験による選抜でいくのか、授与権者の裁量で決めるのか、いずれですか。
今までも筑波大学とか上越の教員養成大学とか兵庫や名古屋の教員養成大学等々に行くときの本人の希望と教育委員会側の推薦とが合致しない場合が幾つかありますよ。御存じでしょう。もうこの委員会では僕が十年前に大問題にしたことがあります。ですから、本人の希望があれば与えるという、本来ならばこの原則でなければいけません。 ところが、現実はそうならないの。現実は選別が行われているの。だから、そういう選別と、今度は実際にそれを取ってきた人が現場に帰ってきたときには一定の職場における地位という問題と関連があるのです。現に、教頭さんになっておって校長になる一歩手前になって出かける人がいる。また教頭になる寸前になっている人たちが行く。そういう形で一歩一