近藤氏は当社の編集の一部と外国教科書の調査に当っております。
近藤氏は当社の編集の一部と外国教科書の調査に当っております。
日本教育新聞の社長が、昨年秋ごろ私のところへ見えまして、教育新聞の事業のために事業資金がほしいのだ、同じ教育関係の仕事をしているのだから、三百万円ほど融通してくれないか、こういう話がありました。私は、日ごろ忙しいのと、融通の条件というものがあるんじゃないかということを感じまして、それを他の者に一応話を移しました。 〔高木委員長代理退席、南委員長代理着席〕 その後絶えてその話は聞かなかったのでありますけれども、本年一月か二月ごろに、ほかの者から、どうしようかというような相談を受けました。私は、その判断はつかないので、あなたのお考えでやって下さいと申しておきました。それが一月下旬か二月ごろだったと思います。その程度であります。
申し出は、昨年秋、十月ごろだと思います。
山根健男でございます。
私に話があったのは昨年秋でございます。山根に話を移してから、話を絶えて私は聞いておりませんでした。ところが、一月の下旬ころ、山根から、融通する条件がこうでああでというような話がありました。その辺は私にわからないから、おまかせするからという意味で話を移したままになっておったわけです。
当社の専務でございます。
さようでございます。
その結果断わったように聞いております。
私は条件によって貸していいと思いました。
正しい事業資金であるという見通しが、それから返済の見通しがはっきりしていれば、こういう意味でございます。
いくら正しいと思いましても、世間というものがありますので、あるいはそう判断したかもしれません。
お許し願えるなら、本人が本日うしろの方に傍聴しているわけなんですが、ちょっとその辺から聞いていただけませんでしょうか。
お答えいたします。条件について研究中に、先方から断わってきた……。
先方は、辞書の出版をいたすので、返済の期間は一年以内、それから利子は銀行の利子と、ここまでは話がいったらしいのです。
当時当社の経理部長が旅行中であったために、話の回答がおくれていた。そこに先方から断わってきた。こういうわけです。
電話で、先方ではよそから融通がついたからというので断わった。
それは、当社としては重大な反響がありました。それから間もなくこの新聞が出たわけなんです。 〔川口証人資料を松岡(松)委員に示す〕 〔「名前を言わなくてはわからぬ〕 と呼ぶ者あり〕
名前は日本教育新聞であります。
日本教育新聞にそのような記事が出て、実は非常に驚きました。当時、その記事を突きつけて、インタビューをしないでこれだけのことを書くというのはどういうわけか、普通、新聞記事のあり方としては、少くともインタビューがあってしかるべきじゃないか、これは当社として致命的なことになるかもしれない、これを鋭くなじったわけです。そうして取り消しを迫りました。ところが、その回答として、声明文を出すから声明文を原稿としてよこしてくれ、こういうわけで、声明文を先方へ渡しました。その声明文が次の新聞にたしか載ったと思います。また、私といたしましても、これは大問題であるというゆえから、大山社長にも、よくなじり、この問題について究明をいたしたわけなんであります。
その新聞記事は、全体に当社に寄せられたところの記事の内容であるということは、その筋の人ならだれでもわかる記事であります。