全体が関係あります。
全体が関係あります。
これはもう数年前から読んでおります。
数年間私はこの新聞を見ていたけれども、かつてはありませんです。
私はそういうふうに解釈しております。
お答えいたします。当社といたしましては国定ということは反対であります。従って、あとのことは作文と私は見ております。
事実でないから、取り消しを迫りまして、声明書まで出しました。
全部事実でありません。
昨日申し上げましたように、俗に言う製本のばらばらということについて、当社の古山取締役に向って、その社から、五十万円か百万円出せばその記事を穏便にするというような、一つの誘惑と申しますか問題があったわけなんです。それについて、一昨日申し上げましたように、古山はそれを拒否いたしました。それから、いつか、ちょっと日は忘れましたけれども、新日本教育協会とか、何か教育研究団体がありますが、それに私の方の者が関係しているとか、またその事業資金を出しているというような非常なデマ記事が出たわけなんです。なお、それから尾を引きまして、二、三の新聞にこれが複写された形で出て参りまして、ひどいのになると、一昨日も申し上げましたように、大きな疑獄事件ができ
私は、そのお言葉は非常にありがたいと思っております。実は、私といたしましては、人を中傷したり、また誹謗したりすることは、かつてこりたこともありますので、絶対に最近しておりません。しかるに、各方面から当社に向けられたこのいかがわしい矢というものを、しみじみ感じております。
私は、直接やっておりませんので、よくわかりません。
私は、日教組の大会でこの新聞が散布されたということを知りまして、日教組の委員長に面会を求めまして、実は私の方の日教組に対する上申書の形で二時間半ほどるる説明をして参りました以外に、別に日教組との関係はございません。
政治資金はありませんでございます。
編集に携わった人には編集料は払ってあります。それから、参与の人でも、実際仕事の価値によって、契約もあることですから、お払いしてあります。
ありませんでございます。
これは実は私の記憶違いでございまして、委員長あてで訂正書類を提出してありますが、その写しは 上申書 昨日の証言に間違がありましたので左記の通り御訂正をお願いいたします。 記 一、長野事件 長野事件の証言のうちで私が外国へ旅行したと申しましたが記憶の違いでありました。実は全国供給状況実際調査のため二週間乃至三週間位宛二、三回連続旅行中のあやまりでした。 なお外国旅行は昭和二十七年六月より八月まででありました。 昭和三十年六月二十八日 証人 川口芳太郎 行監委員長殿 昨日の日付で篠田行政監察委員長あてに出してあります。
事件そのものは知っております。
それはいたさないことになっておりますが、たとえば片道持ったとかバスを出したとかいう程度のことは聞いております。
長野事件につきましては、昭和二十六年のできごとでありまして、結果から、不起訴になった関係で、また取調べを受けた点は承知しておりますけれども、数字的にはわかりませんでございます。
私の私宅は別に捜査はありませんでした。本社は家宅捜索を受けました。私、先ほど申したように、ちょっと旅行中であったから、つまびらかなことは——概念的には聞きましたですけれども、それ以上のことはわかりません。
二十六年は、九十一種目でありまして、発行部数は千九百四十九万冊でございます。約二千万冊でございます。それから、二十七年は、点数は百五点になりまして、そうして四千万冊になりました。このときには教科書が大体改訂されたわけであります。