必ずしもそう言えないのじゃないかと私は思うんですけれども、これは一ぺん数字的に、県では何人、市の段階では何人というようなのがありましたら、いまでなくてもよろしいですから、あとでいただきたいと思います。これは文部省として、地方に対して、婦人を教育委員に一人は加えてほしいというような行政指導といいますか、通牒というようなものをお出しになっておりましょうか。
必ずしもそう言えないのじゃないかと私は思うんですけれども、これは一ぺん数字的に、県では何人、市の段階では何人というようなのがありましたら、いまでなくてもよろしいですから、あとでいただきたいと思います。これは文部省として、地方に対して、婦人を教育委員に一人は加えてほしいというような行政指導といいますか、通牒というようなものをお出しになっておりましょうか。
婦人の教育委員の方たちの業績といいますか、教育委員としてどんな活動をしておられるかというような調査をなすったものはございませんか。
それはたいへんうれしい御報告を伺うわけなんですが、地方の教育委員会で婦人が関係しているために非常に結果がいいということであれば、さっき私が申し上げました教育行政に対しても、ひとつ御婦人を任命するようにお骨折りいただきたいと思います。 次に、ボーリング場のことについて伺いますが、大臣はボーリング場をごらんになったことがありますか。
実はボーリング場については、参議院の地方行政委員会で、先般、風俗営業等取締法の一部を改正する法律案の審議に際しましてこれが問題になりまして、東京都の公安委員長が、現在のボーリング場のあり方は青少年に対して望ましくないから、これを風俗営業に入れてほしいと、こういう御希望がございました。ところが、そういうボーリング場を文教地区なんかに、これはスポーツだということで、地方自治体の建築局が許可をしておるのです。文教地区というのは一体どういうふうなものですか。これは文部省関係だと思うんですが、これをスポーツと一体言えるのかどうか、スポーツということになりますと、これは文部省の所管になると私は思いますけれども、それをちょっと伺いたいのです。
さっきの続きを伺いたいと思います。 先ほど体育局長は、ボーリングそのものはスポーツだと、しかしボーリング場にはいろいろ問題がある、こういう御解釈だと伺ったんですが、いまそのボーリング場に対しては、何にも法律がない、そのまま放置されているかっこうですけれども、文部省としてはそういう状態のボーリング場に対してこれをどういうようにお考えになっておるか、どういう能度でお臨みになるかということ。私どもはこのボーリングそのものがスポーツである、それは私どもそう思うのですけれども、そうすれば健全なスポーツとしてこれを育てるというために、文部省自身が新しい法律をつくって、そうしてこれを青少年の悪の温床にならないように健全なスポーツとして発達させ
実は地方行政委員会で政府原案を可決しましたときにも、各党一致でもって附帯決議がついているわけです。その附帯決議の中にボーリングのことにも言及しておりまして、そして悪の温床となる心配がある行為については、いまお話もありましたけれども、深夜における営業は特にこれを規制をすべきだということを政府に要望しておりますんで、これは所管がどこになりますか、公安委員長は政府としても十分考えますというお答えでありましたけれども、ひとつ文部省のほうが私はイニシアチブをおとりをいただけるといいと思うのです。 それで、問題のもう一つは、非常に金が高いんです。で、これが一つの悪の温床になるといいますか、青少年にとっては。この前新聞にも出ておりました三人の
これは男ばかりでしょう、女のは……。
だいぶ来年度よくなりますようで、いろいろと御苦労さまでございました。 実は外国の留学生に関連して、昨晩私は朝日ジャーナルの最近号を読んでみました。その中に「大学の庭」という項をずっと毎号やっておるのですが、拓殖大学のことを永井道雄さんが書いておりました。それを読みましたらば、拓殖大学では非常に留学生に対しての扱いといいますか、学校でいろいろ心配してやって、非常にうまくやっていらっしゃるということを書いてございます。筆者が永井道雄さんでございますから、私はそうだろうと思って感心したのですが、受け入れの学校側が直接、宿舎の問題も第一ですけれども、受け入れの学校側の留学生に対する扱いといいますか、応対を心配してやるということ、それが非
お話のように、いままでも家庭教育に関することは婦人学級のプログラムの中に入っていた、あるいはその他の社会教育の中に入っていたということは、私もそうだったと思うのですが、まあそれだからちょっと受けるほうは混乱をして、一体どう違うのかということで、これは予算を請求なさる上からいえば、家庭教育というのは非常に大事だということがいまいわれていますから、あるいは予算獲得の技術としては、これは非常におじょうずだったと言えると思うのですけれども、実際の実施面からいうと、まあ婦人学級の中にそれは入っていいわけだし、だから、対象がどう違うかというようなやっぱり違いといいますか、連絡といいますか、少しはっきりわかるようにしていただかないと、みんなちょっ
家庭というもは、文部省のお考えになっているというか、文部省社会教育局のお考えになっている家庭というものはどういうものだろうかという、それはありますか、何かお考えが。
お話のように、方々に出ているのかもしれませんけれども、しかし、家庭教育というものを今度はっきりお打ち出しになる場合は、やはり家庭というものはこうあってほしいというか、というものがやはりないと、個々別々に、まあちょっとそれじゃ心配なんですがね。私ども、いかなる社会が来ようとも、やはり家庭というものは必要だ、いい家庭というものがやはり社会の一番基礎になるのだという考え方は持っているわけですが、ただ、家庭のあり方というものも、やはりそのときの社会の、あるいは経済組織によって変わってきている。いわゆる封建時代の家庭というものと今日は全く違っているわけなんで、その点の把握のしかたといいますか、それがもしできていなければ、私ひとつそれは考えてい
だいぶ時間がおそくなりましたけれども、もう十分か十五分、社会局長にお願いしたいと思います。 婦人学級は、だんだん数がふえていっているんですが文部省の委託のものと、それから民間のものと両方ありますね。その民間のものに対しては、文部省はどういうふうな態度をとっていらっしゃいますか、どういうふうな関係を。
文部省の委託の婦人学級というのは、非常に手続がめんどうといいますか、ということで、自治体がそれを歓迎しない。返上するという傾向もあると聞いているのですが、それはいかがですか。
婦人学級の考え方といいますか、まあ私どもたいへんけっこうだとは思いますけれども、その内容なり運営には問題が少なからずあると思うのですけれども、そういう、いま申しましたように、非常に事務的にめんどうだから返上するということを事実、私ども聞いたものですから、一体、どのくらいめんどうなのかというか、一度、それをやってみたい、こう考えましたところが、それは法的にいうと、東京で申しましたならば、私のところは渋谷でございますが、渋谷区の教育委員会がこれを受けなければできない。それで渋谷区の教育委員会と、まあ私どもが共同してといいますか、実質的にはめんどうな手続は、われわれが教えてもらってやるからと言ったんですが、渋谷区はめんどうだからというので
市区町村といいますか、たとえばいまの渋谷なんかの、区のそういう婦人学級といいますか、いわゆる社会教育なんかの実情では、いわゆる講師の人選の場合についても、非常ないろいろ干渉があると、これは担当している人から聞いたと言っていいですか、どうですか、すぐ、あれは社会党系統じゃないかとか何とかいって議会で問題になるのだと、それで実にやりにくいのだ、こういうことを聞いたんですが、で、これは何も渋谷ばかりでない、全国的にそういう傾向がだんだん強くなってくるといいますか、そこにおいでになる初中局長の福田さんが社会教育局長でおいでになるころ、私その問題でだいぶいろいろ伺ったことがあるのですが、そういう具体的に、私がいま全国的な調査をしてないものです
ああ、そうですか。四分の三文部省が負担して、四分の一を個人が負担するのですね。これはずいぶん希望者がありますか、どうですか。
ことし、来年ということでなく、いままでの大体の傾向でいいです。
その予算の人員よりも多いということになりますと、そこで人選をするということになりますが、その人選のしかた、人選は社会教育局でもちろんなさるのでしょうけれども、その人選の標準といいますか、しかたというものは、一体どういうことなのでしょうか。
おいでになった方々の報告書をいただいて、ここになかなかりっぱなものができているのでございますが、これは通訳というのはお連れにならないのですね、それはどういうことになっていますか。だれか英語のできる人が、中に一人ずつ入ってるみたいでもあるのだけれども、その点はどういうことになっておりますか。
予算の問題かもしれませんけれども、いらっしゃった方々の模様なんかを向こうから、外国から通信があったり、また聞いたりしているのですが、やはり通訳というのは連れていかなければいけないのじゃないですか。それでいままでは、団体の中に英語のできる人が班によって一人ずつ入っているみたいなんですけれども、そうしてその人がやってくれるのでしょうけれども、それは通訳といいますが、たいへんなんです。その人は自分の視察のほうができないのじゃないか、そういう考えがあるのです。それから外国へ行く場合に、ことばのできる人とできない人があると、できない人がコンプレックスを感ずるようなことがある。そうしてできる人が何だか上になったようなかっこうになって、まずいとい