やめてからあと、どういうふうにして責任をとるかということは、どうも私には具体的にはまだ出て参りません。
やめてからあと、どういうふうにして責任をとるかということは、どうも私には具体的にはまだ出て参りません。
実は私のときであるかどうかも記憶がないのでして、記憶にないものはないと事実言うよりほかはないのであります。
これは先ほど根本君からもお話があつたようでありますが、実は私はよくわかりませんので、根本君にも聞き、又東畑君にもお聞きいたしたのでありますが、東畑君もそういうことは報告されないと言つておるのでありまして、大体私も実は記憶にないのであります。そういうようなことで責任を逃れるかというお話のようでありますが、結果において、そういうような国損をかけたということは、誠に相済まんということは我々といたしても痛感しておるわけでございます。ただ事務的に我々が知らなかつたということは、これは全く不徳のいたすところでございます。
当時はそういつたようなことが問題にならなかつたのでございまして、適材適所であると我々は事務次官と相談してやつたわけでございまして、適材適所であることは私は今でも差支えないと思うのです。併しそういう問題が事務的に起つて、それが非常に迷惑をかけているということは、それは皆さんと一緒にやはり非常に責任を感じていると私は考えております。
実はこの食糧不足のときに、いもの管理と言いますか、さつまいもを貯蔵したことがあるのでありますが、その当時は非常にこれがよかつたと言われてやつたことでありましたが、あとになつて、これはキユアリングとか言つて、いもを貯蔵する方法をやつたのですが、結果においてはどうも荷厄介になつたことがあるのでありますが、要するに長い食管特別会計において、その当時そういうことをすることが、国民の食生活に一番よろしいと考えた、いわゆる見通しの誤りということになるのじやないかと思いまするので、これが逆になつた場合は、非常にこれは称讃されるのですが、結果が左様になつたので、単に私はその見通しが誤つたので、現職には決して差支えないのじやないかと考えております。
伊藤君とは、二十七年に三浦義一君を通じて知つております。
伊藤君と会つてからの金銭授受ということについては、単なる金銭授受でないのでありまして、私が東京において全都の五千軒の酒屋を主体として協同組合をつくつておつたのであります。協同組合をつくりまして、ここで酒の卸業をやつておつたのでありますが、協同組合の法律はなかなかなかよくできておる法律でありますが、実際に運営いたして参りますと、なかなか問題が多いのであります。そこで、酒の販売会社をつくりまして、株式会社に移行いたしたのであります。この株式会社に移行いたしましたのは、昨年の七月から株を募集いたしまして、十月から業務を開始するようにいたしたのでありますが、この株を募集する場合に、私が電話をもつて伊藤君に株に対する投資方を依頼いたしたのであ
三百万円であります。
さようでございます。
三浦君は私の選挙区におりまするので、六、七年前から私よく懇意にいたしております。
兒玉君は、私はこの前鳩山氏と会つた場合に、三木氏を通じてただ一回会つたきりでございます。
保全経済会のような特殊なものに対しての立法については、依頼されたことはございません。
九月だか八月だか、よく承知しておりませんが、伊藤君と東京会館の前の建物で会つたことは事実であります。
その際の話は、三浦君と新夕刊の山崎君と私の四人でありまして、これは伊藤君に対し新夕刊に投資してくれという依願で、三浦君だけでは信用が薄いから、あなたが助言をしてくれということで、新夕刊に投資依頼のことであります。
ございません。
その席で佐藤君、池田君に対して立法化に対して依頼をしてくれというようなことはございません。ただ、池田君に対しては、金融をやつておるのであるから、池田君にお会いいたしたい、紹介をしてもらいたいという依頼はありました。
紹介いたしました。
これも八月か九月かよく記憶いたしませんが、池田君のところに私と参りまして、たくさん客がおつたようでございます。そこで池田君と対し、伊藤君はこういう方だということを紹介いたしました。そしてこれは一、二分であつたと思いますが、伊藤君は紹介したのだからちよつとそつちへ行つていたまえ、そうしたあとで池田君といろいろな雑談をして帰つた記憶を持つております。
立法化を依頼するというようなことはございません。特に私は立法や何かについては不得手のものでございますし、これはまた大蔵省が非常にきらつておるところでありますので、そういつたような非常識な頼み方をするようなことはございません。
はつきりお答えいたします。絶対そういうことはございません