そうです。
そうです。
千葉県の船橋市海神五丁目二千三百五十一番地。
四十八であります。
はあ。
大正十五年の三月十日に警視庁巡査を拝命しまして、メモを持つておりませんので若干食違うかも分りません。
持つておりませんので、或いは若干拝命の月日が食違うかも分りません。昭和七年に巡査部長になりまして、昭和十二年の七月に警部補任官、昭和十八年の八月でしたか、警部に任官、昭和二十三年の九月頃と思いますが、警視に任官しまして、二十四年の八月三十日に中野警察署長を命ぜられまして、本年の二月七日に依願退職となつております。現在は何も職はありません。
本庁は昭和十五年からずつと勤務をしております。
中野署長になるまでです。
昭和十五年からは、警視庁の官房情報課というのがありまして、その官房情報課で二十年の十月まで情報課に勤務しておりまして、それから警備課の勤務になりました。警備の主任警部をやり、続いて係長になりまして警視になり、そうして中野署長に出るまでは警備の勤務をしておつたのであります。
そうです。
知つております。
これは昭和二十年の終戰の年の暮か、貰いは二十一年の春か、この点はつきり記憶ありませんが、本体において二十年の暮か翌年の春あたりに知合つたと思います。
これは当時鐘紡に勤めておりました水野嘉雄という私の古い友達がおりまして、その友人が紹介して呉れたのが最初の機会であります。
これは佐藤君の記憶の間違いじやないかと思います。
そうでございます。
あります。
はあ。
この点は、大体私はこの問題につきまして、監察官の取調べを受けたのでありますが、その当時の金銭の授受について、どういう記憶があるかというお尋ねがありましたのですが、そのときに私は私の記憶だけであるのでありますが、大体五、六回ぐらい金銭の授受の記憶がある。而もその日は大体において二十一年から二十三年春頃まで、或いは二十三年ははつきり記憶がないのだが、大体において主として昭和二十一年二十二年の間に五六回ぐらい金銭の授受があるという記憶があるということを監察官に申上げましたところが、いやもつとあるというお話なんであります。併し私ははつきりした日、或いは金額がはつきり記憶がないのでありますが、それはもつとあるとおつしやるならば、そのもつとある
二十一年二年を通じて五六回という記憶があるのであります。
これは細かく具体的にここで一々申上げる私のはつきりした記憶はありませんが、大体におきまして、私が警備の仕事をやるその仕事に必要な、或いは警備の仕事を能率的にやるために必要な面に使つたのであります。